南北連絡事務所を爆破した北朝鮮「瀬戸際外交」の法則とは 今年、朝鮮半島は荒れる条件がそろっている
朝鮮人民軍「金剛山、開城に部隊を展開せよ」
[ロンドン発]米大統領選の年、北朝鮮が再び「瀬戸際外交」に舵を切りました。6月16日、南西部・開城にある南北共同連絡事務所を爆破。朝鮮人民軍総参謀部は17日、金剛山、開城に連隊級部隊と火力区分隊を展開し、非武装地帯に再び監視所を設置する行動計画を発表しました。
今年1月、北朝鮮の核・ミサイルを巡る米朝交渉が全く進展を見せない中、金正恩朝鮮労働党委員長は党中央委員会総会で演説し「世界は遠からず、わが国が保有することになる新たな戦略兵器を目撃する」と宣言。新型の大陸間弾道ミサイルでも打ち上げるつもりでしょう。
米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のビクター・チャ韓国部長によると「北朝鮮は歴史的に米大統領選の年に挑発を強める傾向がある」そうです。CSISがまとめた北朝鮮による挑発行為のデーターを自分でグラフ化してみました。
青色が従来の軍事行動による挑発、オレンジ色が弾道ミサイル発射による挑発、灰色が核実験による挑発です。
北朝鮮は大陸間弾道ミサイルで米全土を核攻撃できる能力を獲得し、対米核抑止力を確立することを最終目標に、核・ミサイル開発を進めてきました。これを従来の軍事行動を通じた挑発行為に織り交ぜ、交渉の賭け金をつり上げる「瀬戸際外交」を展開してきました。
金正恩は2年前の米朝首脳会談を受け、アメリカを刺激する大陸間弾道ミサイルの発射試験と核実験を一時停止(モラトリアム)しました。しかし核兵器の材料となる高濃縮ウランの生産や弾道ミサイル開発は継続し、核・ミサイル能力を向上させています。
北朝鮮の挑発行為が突出する年にはいくつか共通する要素があります。
(1)米大統領選を狙って揺さぶりをかける
(2)北朝鮮内部の権力基盤を固める必要がある
(3)指導者の健康不安説を打ち消す狙いがある
(4)飢饉や経済的困難で不満が高まり、外に目を向けさせる必要がある
北朝鮮「瀬戸際外交」の歴史
「瀬戸際外交」がエスカレートした年を振り返っておきましょう。
1967年、粛清を通じ朝鮮労働党および政府部内に軍人勢力が台頭
1968年、リチャード・ニクソン米大統領が誕生
青瓦台(韓国大統領官邸)襲撃事件、米海軍の情報収集艦プエブロ号拿捕事件や蔚珍、三陟のゲリラ上陸事件が起きる。民族保衛相、朝鮮人民軍総参謀長を更迭、代わりにパルチザン出身の軍内強硬派を任命。金日成個人崇拝が一段と強化される
(1994年、金日成死去)
1996年、ビル・クリントン米大統領が再選
この年、朝鮮労働党機関紙・労働新聞は飢饉と経済的な困難を乗り越えるため「苦難の行軍」をスローガンに掲げる。北朝鮮の特殊潜水艦が座礁し、工作員が韓国内に潜伏した江陵浸透事件が発生
2003年、北朝鮮が核兵器不拡散条約(NPT)からの即時脱退を宣言
2009年、2度目の核実験
2010年、韓国哨戒艦「天安」撃沈事件。延坪島砲撃(朝鮮人民軍と韓国軍による砲撃戦)事件
(2011年、金正日死去)
2014年、金正恩が両足首の関節の手術などを受け、40日間公の場に姿を見せず(「空白の40日」)
2016年、ドナルド・トランプ米大統領が誕生
2020年、金正恩に「空白の20日」。11月に米大統領選
今年は荒れる理由がいくつもある
今年は北朝鮮が「瀬戸際外交」をエスカレートさせる要素がいくつもそろっています。
新型コロナウイルス対策の失敗と白人警察官による黒人暴行死事件で、トランプ大統領は米民主党の大統領候補ジョー・バイデン前副大統領に敗れる可能性が出てきました。金正恩としてはトランプ大統領に最後の揺さぶりをかけ、譲歩を引き出したいところです。
譲歩を引き出せなくても、バイデン氏が当選した場合に備えて交渉の賭け金をつり上げておく必要があります。
そして新型コロナウイルスの大流行。北朝鮮は1月21日、エピセンター(発生源)の中国湖北省武漢市が都市封鎖する2日前に外国人観光客の入国を許可しないことを観光会社に通知。数時間後には出入国を全て禁止し、中国とロシアからのフライトを停止しました。
北朝鮮は4月下旬「740人を検査したが、全て陰性」と国内感染を全面否定してみせたものの、「1月に180人の兵士が死亡。2月に3700人の兵士を隔離」(デーリーNK)、「朝鮮人民軍が30日間封鎖」(在韓米軍司令官)という情報が駆け巡っています。
中国商務省によると、国境閉鎖後、1月から2月にかけ北朝鮮の中国への輸出は前年同期比71.9%減の1070万ドル。英誌エコノミストの調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニットは今年、北朝鮮の農業生産は肥料や農機具不足のため減少すると予測しています。
英王立防衛安全保障研究所(RUSI)による衛星写真の分析では、北朝鮮西部の南浦に3月3日時点で139隻が停泊。1カ月前、その数は50隻に過ぎませんでした。石油の密輸に使われるタンカーも含まれており、北朝鮮への石炭や石油の流れが止まっている可能性が浮上しています。
繰り返される短距離弾道ミサイル実験
北朝鮮は3月に入って、短距離弾道ミサイルの発射実験・訓練を繰り返しています。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の年次報告書によると、北朝鮮の核弾頭総数は昨年の20~30発から今年1月時点で30~40発に増強され、偵察衛星でも探知しにくい新型固形燃料短距離弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発を強化しています。
北朝鮮は短距離弾道ミサイル(対象は韓国)、中距離弾道ミサイル(同日本)、大陸間弾道ミサイル(同アメリカ)のカードを巧みに使い分け、日米韓を分断するため揺さぶりをかけてくるでしょう。もちろん中国やロシアに対する牽制も織り込まれています。
くすぶる金正恩の健康不安説
金正恩は今年4月11日に党政治局会議に出席したことが伝えられた後、メーデーの5月1日に肥料工場完工式への出席が報じられるまで公の場に姿を現しませんでした。しかし太り過ぎの金正恩の健康不安説はくすぶり続けています。
3月には金正恩氏の妹、金与正党第1副部長が初めて談話を出し、短距離弾道ミサイル発射を非難する韓国を「3歳児並み」「怯える犬ほど吠える」とこき下ろしました。
6月13日には脱北者団体による体制批判ビラ散布への報復措置として南北共同連絡事務所を破壊すると表明。「最高指導者に承認された私の権限を行使することによって、軍部に断固として次の行動をとるよう権限を委譲した」と韓国を恫喝しました。
金与正は2018年の平昌冬季五輪では開会式に出席して南北融和を演出したことがあります。昨年末に党宣伝扇動部から党中核の組織指導部に移ったとの見方もあるそうです。金正恩に取って代わるのか、それとも妹として補佐する体制を強化するだけなのかは分かりません。
ただ最高指導者の健康不安説が払拭できず、権力構造に変化の兆しがある時は、北朝鮮の「瀬戸際外交」が極限までエスカレートする危険性があります。
(おわり)