政治に緊張感を取り戻す解散に
先ほど、安倍首相が衆議院の解散を表明した。大義の有無や争点の所在がネットでも話題になっているが、政治に緊張感を取り戻すことができるかが問われているように感じる。
2010年代の政治に共通していたのは、「緊張感の欠落」だった。
2009年の政権交代で大勝した民主党は、実現可能性に乏しい、百花繚乱のマニフェストを具体化すべく右往左往した。2010年の参院選直前に、不用意に消費増税の話題に言及して、「ねじれ国会」を生み出し主導権を失ったり、その状態のまま、誰も経験したことのない未曾有の東日本大震災を経験してしまったことである。むろん、複数の不運が重なったともいえる。平時の政権運営に習熟しないままに、有事を迎えてしまったため、過剰にマイナス評価を受けてしまった可能性は否定できない。とはいえ、その政権運営は、有権者から見れば、やはり緊張感を欠いていたといわざるをえないこともまた事実である。
他方、2012年末の衆院選では、逆に民主党の政権運営への反感を背景に、自民党が大勝した。その後、現職の政界引退や、知事への鞍替えなども相次いだように、野党はこの大敗を引きずったまま――言い換えれば、与党はこの大勝利を追い風に――、2013年の参院選を迎えた。その後、矢継ぎ早の経済政策と、顕著な株価の改善なども、与党に味方した。だが、その盤石さは、政治的に向かうところ敵なしであるかのような、緊張感を欠く政治的態度を生み出した。
理由は、まさにコインの裏と表だが、かつての民主党政権にも、現在の安倍政権にも、緊張感の欠落が共通する。確かに、今回の解散の経緯は、いささか混乱して見えるが、すっかり批判政党に戻ったかに見える民主党や、解党騒ぎが浮上したみんなの党など、野党サイドは与党よりもいっそう混迷している。今回、政権交代は望むべくもないだろう。
しかし、良かれ悪しかれ、選挙が行われることは確実になった。このとき、有権者からすれば意味があるのは、緊張感のある政治を取り戻すことができるか否かではないか。「政治は関心を向けるものに微笑む」という。今回の解散は、与党党内の引き締めと、野党が脆弱な状態での選挙というニュアンスが色濃い。普段の選挙ならば、複雑な政策の選択が求められるが、今回の選挙は、そもそも今回のような解散に肯定的か、否定的か、あるいは、最近の政治に賛成か、反対か、投票行動を通して明確に態度表明することが、政治に緊張感を取り戻す契機になるはずだ。
かつて、自民党の森元首相は「(特に強い支持政党のない)無党派層は、寝ててくれればよい」という趣旨の発言をした。むしろ、今こそ、無党派層が態度表明すべきときではないか。その態度表明は、無党派層も、時には政治に関心を持ちうること、そして投票を通じた態度表明しうることを、政治に明確に提示するだろう。それは、今回の選挙で、どの政党が勝利するかという短期的な視点を超えて、政治に緊張感を取り戻すことに繋がるはずだ。