<イラク>ISの襲撃から8年 拉致、戦闘員にされたヤズディ青年 新たな人生
◆ISが両親殺害、自身は拉致されIS戦闘員に
カナダ、カルガリーの大学生、サイフ・ミトさん(21歳)は、イラク出身のヤズディ教徒。4年前、難民としてカナダに受け入れられた。過激派組織「イスラム国」(IS)に両親を殺され、自身はISに拉致、戦闘員にさせられた。過酷な体験を乗り越え、新たな人生を歩み始めたサイフさんに、ネットを通して聞いた。(玉本英子/アジアプレス)
◆ヤズディ襲撃、殺戮と拉致
彼の故郷は、イラク北西部シンジャル近郊のコジョ村。1700人の住民ほとんどが、ヤズディ教徒だった。「家は大きく、家族との楽しい日々があった」。
平和な生活が壊されたのは2014年8月。少数宗教ヤズディ教を「邪教」とみなしたISは、シンジャル一帯の町や村を一斉に襲撃。コジョ村では、学校の校舎に住民を集め、男と女に分けた。当時12歳だった彼と弟は、父のそばから引き離された。
「父は僕たちを安心させるかのように微笑みを見せた。それが最後に見た父の顔だった」。
ISはイスラム教への改宗を迫るが、父と村の男たちは拒んだ。ISは男たちを空き地に連れて行き、銃殺。さらに年配女性だった母を、サイフさんの目の前で射ち殺した。
若い女性は「戦利品」「奴隷」としてISの支配地域へ移送され、少女も含めて戦闘員が分配、強制結婚させられた。のちにISの元から脱出し、その悲劇を伝えてノーベル平和賞を受賞した女性、ナディア・ムラッドさんもこの村の出身で、同様に家族を殺されている。
◆拉致した少年を戦闘員に養成
少年や男児には、別の過酷な運命が待ち受けていた。戦闘員として養成されたのだ。サイフさんと弟は、隣国シリアのIS軍事キャンプで、少年100人とともに銃の扱いを叩き込まれた。「逃げることもできず、従うしかなかった」
その後、サイフさんは最前線の村に送られた。激しい戦闘と連日の空爆。
「もう命はないと思った」。
視力の弱い彼は、双眼鏡でも敵が見えないと上官に訴え続け、拠点都市ラッカに配置換えとなった。そこでイラク北部のクルド自治区に避難していた兄に密かに電話できた。
兄はお金で脱出を手引きするブローカーに依頼し、サイフさんと弟はラッカを逃れることができた。クルド自治区にいる兄と再会後、避難民キャンプに身を寄せた。
カナダ政府はISに拉致されたヤズディ教徒の受け入れを表明し、サイフさんは難民としてカナダへ渡った。カルガリーの高校では必死に勉強して、英語を習得。
たびたび悪夢に襲われ、呼吸ができなくなるストレス障害に苦しんだが、ヤズディ教徒の友人に支えられ克服することができた。昨年、地元大学への入学を果たし、化学を学ぶ。将来は医師になるのが夢だ。「いつか自分の経験を振り返り、本を書けたらと思っている」
◆自爆死させられたヤズディ少年も
一方で、IS戦闘員として自爆死させられた少年や、脱出できずに亡くなった女性たちがいる。断ち切られたたくさんの人生。それを思うと、胸が痛む。ISが去った1年後、私はコジョ村を取材した。無人となった村は、襲撃の日から時が止まったままで、いくつもの破壊された家屋が無残な姿をさらしていた。虐殺現場だった空き地には、人骨が散乱したままだった。
ヤズディ虐殺から8年。現地では今も発掘作業が続く。ヤズディ団体の統計によると、ISに拉致された住民は、男女合わせて6400人。うち、およそ2800人が現在も行方不明のままだ。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2022年8月9日付記事に加筆したものです)
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【ヤズディ教】
ゾロアスター教の流れをくむといわれるが、イスラム教やキリスト教の影響も受けている。イラク、シリア、トルコなどにまたがる地域などに暮らす。イラク国内には最も多く、およそ60万人が暮らしてきた。クルド語を話す。フセイン政権下では迫害され、イラク戦争後はイスラム武装勢力から「邪教」として狙われてきた。ヤジディ教、エズディ教とも表記される。