【京都市】山科区 天智天皇が勧請したと言われる1400年の歴史の『若宮八幡宮』で史実を学ぶ!
京都市の山科区には数多くの歴史や史跡に関する場所があります。
大化の改新でも知られる『天智天皇御陵』や中臣遺跡なども山科区にあります。
その山科には、『若宮八幡宮当宮』があります。
『若宮八幡宮当宮』は、第38代・天智天皇が、志賀の都から山科郷へ御巡幸の天智8年(669)の折、音羽の杜に八幡神を勧請されたのにはじまると伝えられています。
八幡神(=誉田別命、応神天皇)と言われています。
ご祭神は 第16代・仁徳天皇、第15代・応神天皇、神功皇后、須佐之男命、第40代・天武天皇の5神を祀るとあります。
すごい名前が連なりますね。。。
創建、変遷の詳細は不明と伝わります。
平安時代には、神仏習合期に「神宮寺」の観音寺が建てられ、十一面千手観音、不動明王、毘沙門天が勧請、安置されたそうです。
1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により観音堂は廃され、1872年に十一面千手観音は光照寺に遷されました。
天気がとっても良い秋の空です。
井戸とつながる手水舎もありました。
山科は琵琶湖が近いことからも水が豊富です♪
社内には宝篋印塔(供養塔)2基があります。
『大津皇子』と『粟津王』です。
飛鳥時代の皇族・大津皇子(663-686)です。
墓は二上山の雄岳(奈良県)にあるのですが、こちらに石碑がありました。
またその横には、飛鳥時代の皇子『粟津王』の供養塔もあります。
山科の音羽村に居住した山科郷士になる粟津家が多かったため、粟津という家族名の人が多く住んでいると言われています。
本殿には、第16代・仁徳天皇、第15代・応神天皇、神功皇后、須佐之男命、第40代・天武天皇の5神を祀ります。
当初は仁徳天皇、応神天皇、神功皇后の3神柱でしたが、出雲社を本社に合祀、そして、大津皇子の子・粟津王の末裔とされる粟津氏が、音羽の地を拓いて居住した際に、その祖である天武天皇も合祀されたそうです。
末社・天満宮に、宇治稚郎子命(うじのわきいらつこ)、菅原道真(すがわら-の-みちざね)を祀ります。
天満宮といえば、北野天満宮にあるように、牛が見られます。
『高津商会』もお世話になっている北野天満宮です!
牛さんを撫でてお参りさせていただきました。
山科界隈を散策すると歴史の中を歩いているようで、面白いです♪
若宮八幡宮
〒607-8066 京都市山科区音羽森廻り町36