バレーボール界、Vリーグに新風を!東京グレートベアーズ始動!
「あれだけのフラッシュに照らされたのは初めて」
ネイビーブルーとピンク、色鮮やかなユニフォーム姿で東京グレートベアーズの選手が登壇する。
フォトセッションに先立って、新しいユニフォーム姿で壇上に上がったセッターの手原紳は「あれだけのフラッシュに照らされたのは初めて」と笑い、表情を引き締める。
「こんな素晴らしい場を用意してもらった以上、僕らはやるべきことをやらなければならないし、結果にこだわって、結果を出さなければならない。このチームが発足してずっとそう思ってきましたが、今日この場に立って、より一層強く感じさせられました」
昨年12月、前身のFC東京が昨季限りでの休部を発表。直後に行われた天皇杯皇后杯全日本バレーボール選手権大会では、前主将の栗山英之だけでなく、多くの選手が「突然の出来事に驚き、ショックだった」と言いながらも、なお続くシーズンをいかに戦うかで未来は拓ける。自らに誓うように「諦めない」と口々に語った。
1人1人ができることを、とばかりに選手もSNSや会場に掲げるメッセージなど積極的に発信した。さらに選手の全体譲渡に向け、前身のFC東京の母体でもある東京ガスのスタッフ、関係者やサポーターなど多くの人々が「東京のバレーボールの火を消すな」と尽力する。その結果、今年6月に東京を拠点とする「ネイチャーラボ」にチームが譲渡され、「東京グレートベアーズ」として新たなチームがスタートを切る。
そのお披露目となったのが、8日に行われたクラブビジョン、新ユニフォーム発表会の場だった。
「バレーボール界の歴史の1つになる」
まず株式会社グレートベアーズの久保田健司・代表取締役からチーム名の由来、チームコンセプト、チーム方針が発表される。
「バレーボールを通じて夢を叶えたい人たちのためのクラブになる」
高らかな宣言は決して夢物語ではない。世界に5億人と言われるバレーボールの競技人口、さらには男子バレー日本代表の世界ランキングがサッカー、バスケットボールなど他球技と比べれば世界トップに近い位置にいること。広がる可能性を活かし「夢」をつなぎ、叶えていく力が十分にある、と手ごたえを感じたからだ。
バレーボール経験者ではない久保田氏だが、実は19年前、自身にも未だ忘れられないバレーボールとの出会いがあった、と2003年ワールドカップの写真がプリントされた1冊のアルバムを手に、こう明かす。
「会社の人間たちと観に行ったんです。もちろん当時はバレーボールどころかスポーツに関わりもなく、『盛り上がっているから見に行こうよ』と急に決めてチケットを買ったので決していい席でもありませんでした。でも、その時の会場の雰囲気や華々しさ。何より選手が見せるプレーの迫力と素晴らしさ。あの印象は私の中でも強く残っていて、今思えばあれ以来どこかに“バレーボール”への思いがあったのかもしれません」
とはいえもちろん「見る」のと「チームを持つ」ことは意味が違う。さまざまな縁やめぐり合わせがあったとはいえ、なぜ娯楽の多い東京でスポーツチーム、バレーボールチームを持とうと考えたのか。
久保田氏を突き動かしたのは、秘めた可能性だった。
「バレーボール競技者が多い、ということはもちろん把握していましたが、身近な人間にバレーボールの話題を出すと、実は小学生の時やっていた、中学、高校でバレーボール部だった、という人間が非常に多かった。これは潜在的なバレーボールファンになりうる存在がたくさんいるということです。何かしらのきっかけさえあれば、会場へ足を運び、チームを応援してくれるサポーターになるかもしれない、いわば“隠れ顧客”や“潜在ファン”がたくさんいる。東京という地の利、アクセスの良さを活かし、日本国内、さらにはフィリピンやインドネシア、タイなどアジア圏からも『バレーボールを見に行こう』という広がりにもつながるはずだ、と大きなポテンシャルを感じました」
バレーボールファンだけでなく、広い層へと発信すべく、さまざまな面で特色を打ち出すのもクラブが掲げる方針の1つ。映像や画像などのビジュアルデザインや、音楽や映像と融合した演出、東京スカパラダイスオーケストラによるチームテーマソングの作成に加え、東京体育館、有明コロシアムといったこれまで国際大会で使用される規模の会場をホームゲームで使用し、クラブ初のホーム開幕戦となる東京体育館で10月28日に行われるウルフドッグス名古屋戦では、始球式に俳優の斎藤工さんが登場することも発表された。
近年Vリーグではホームゲームの演出や、チーム独自の運営に各チームが注力する中、“新風”を巻き起こす存在となるべく、久保田氏は「我々が必ずかき回します」と力強く宣言し、来る開幕戦へ思いを馳せる。
「まだすべて僕の妄想の中で、実際にスタートしているわけではありませんが、選手たちにも思いを伝え、みんなで1つのチームをつくっているので現場、フロントという区切りはありません。僕らの存在がバレーボール界の新たな一歩になれたら嬉しいですし、開幕戦を見たら、僕らもバレーボール界の歴史の1つになるんだ、という実感がわくかもしれませんね」
「無力感しかなかった日」を乗り越えて
久保田代表とはまた異なる思いで、始動の日を迎えた選手がいる。コミュニケーションマネージャーも兼務するリベロの野瀬将平だ。
新しいユニフォーム姿で登壇した後、個別の取材に応じた野瀬は目頭をおさえ、思わず言葉を詰まらせた。
「廃部から本当にいろいろなことがあって…。こうして、今日という日にたどりつけたことが、何より嬉しいし、安心、期待、緊張感。いろんな感情が一気にクリアになりました」
イスラエル、フィンランドで2シーズンプレーする前は前身のFC東京でプレーした。当時から日本のVリーグに対する課題を感じ、「リーグを変えていかないと将来のバレーボール界に未来がない」と自ら先頭に立ち積極的に行動してきた。だからこそ、海を渡ったフィンランドで古巣の休部という決定を聞いた日のことは今でも忘れられない、と涙を拭う。
「圧倒的な無力感というか。(同期の手原)紳と電話で話した時も、何ができるか必死で考えたんですけど、そもそもこうなる前に自分が何もできなかった、という後悔がこみ上げてきて、その日は眠れませんでした。今思い返しても、あの日のことは忘れられません」
FC東京バレーボール部がなくなる。その事実は変わらない。だがそのまま動かずにいれば共に戦ってきた仲間がバレーボールをする場も失われる。無謀だと思われても次へつながる可能性があるなら、と自ら動き、そこでつながったのが別の仕事で接点の生まれたネイチャーラボであり、数え切れぬほどの交渉の末に選手、スタッフの全体譲渡先に決定し、「東京グレートベアーズ」という新たなチームが誕生した。
「僕だけでなく、本当にたくさんの人が動いて、尽力してくれて、たくさんの方々が応援してくれた。その結果が今日につながり、バレーボールを続ける道を断たれるかもしれないという状況から、こうして新しいチームのスタートを切ることができた。もちろん甘い世界じゃないし、これだけ支援していただいている以上、僕たちは結果で示さなければなりません。バレー界で稼ぐことは難しいことかもしれませんが、ポテンシャルがないわけではないと僕たちが証明したいし、つないだ立場の1人として、できると証明しないといけない。ここで僕らが指標を示すことができれば、バレーボール界に希望が生まれると思うんです」
不安を抱きながらも最後まで戦い抜いたシーズンを終え、間もなく「東京グレートベアーズ」として挑む、初めてのシーズンが始まる。
バレーボールを通じて、夢を叶える――。
新たなクラブの誕生が、日本のバレーボール界の夢と希望につながるために、どんな戦いを見せるのか。どんな姿が見られるか。どれほど“かき回す”のか。
高まる期待に応える。その絶好の機会が間もなく訪れる。バレーボールは最高だ、と広く、強く、鮮やかに見せつけてほしい。