プーチンの言うウクライナの中立化は、そもそも米国の冷戦戦略の基本だった
フーテン老人世直し録(637)
弥生某日
いま日本のメディアが伝えているのは、ウクライナ国民の悲惨な状況と、精神異常の独裁者プーチン大統領の悪逆非道ぶり、そしてロシアを孤立化させれば、良識あるロシア国民が立ち上がってプーチンを破滅させ、「悪の帝国」は滅ぶという見通しだ。
これは米国のリベラル系メディアが発信する情報の受け売りである。冷戦後の米国議会の議論を見てきたフーテンからすれば、米国民主主義が絶対的正義だと主張して力による一方的な現状変更を繰り返してきた米国が、それによって衰退への道を歩み出したにもかかわらず、再び同じ過ちを繰り返そうとするように思えて仕方がない。
米国メディアは、プーチンを精神異常者に仕立てて葬り去れば、ウクライナのNATO加盟が実現するだけでなく、ロシアも米国と同じ民主主義の国に生まれ変わるとでも思っているのだろうか。
そして次に共産党独裁の中国を民主化し、世界が米国型の民主主義で統一される日がやって来ると本気で思っているのだろうか。フーテンには「お花畑」の話にしか思えない。
米国を見ていると、悪逆非道な独裁者を倒して民主主義が勝利するストーリーが子供の頃からすり込まれていて、誰でもが好む話だ。そのためか冷戦後の米国は、気に入らない外国の政権に「悪逆非道の独裁政権」とレッテルを貼り、そのうえで世界最強の軍事力を使い、「一方的な現状変更」を行ってきた。
アフガニスタンのタリバン政権は「9・11同時多発テロ」の容疑者を匿ったというだけで戦争を仕掛けられ、新型兵器の投入であっという間に政権を追われた。イラクのサダム・フセイン政権は大量破壊兵器を保有しているという嘘を流され、それを根拠に米国は先制攻撃を行ってサダム・フセインを捕らえ処刑した。
メディアが報ずる「悪逆非道の独裁政権」というレッテルを信じて米国民は戦争を支持したが、結果はどうなったか。史上最長の戦争となったアフガニスタンではバイデン政権のなりふり構わぬ撤退でタリバン政権が蘇り、イラクではフセインの存在で安定していた宗派対立が激化し、より過激な集団が生まれ、米国の世界一極支配が崩れるきっかけを作った。
そして今回のウクライナ戦争である。戦争はロシアのプーチン大統領が起こしたもので米国ではない。しかし起こさせるようにしたのは米国のバイデン政権である。ウクライナのゼレンスキー大統領の背中を押してプーチンを挑発させた。しかし軍事力を使う余力が米国にはない。その足元を見透かしてプーチンは挑発に乗った。
ロシアとウクライナの軍事力の差から、短期間でロシアが制圧すると思われていたのに時間がかかっている。それを米国はウクライナ軍に比べてロシア軍の士気が低いからだと言うが、プーチンが意図的に時間をかけている可能性もある。じわじわ攻めてゼレンスキーに降伏を迫るためだ。
ゼレンスキーは3月7日に米ABCテレビのインタビューに答え、「NATOがウクライナを受け入れる覚悟がないことはかなり前に理解していた」と述べた。「かなり前」がいつなのか分からないが、米国にもNATOにも見捨てられたことが分かり、ゼレンスキーは白旗をちらつかせた。
ただNATOに入ることは断念しても、将来に含みを持たせているのではプーチンは納得しない。プーチンが求めているのは恒久的なウクライナの中立化である。それはそもそも第二次大戦後の米国の冷戦戦略の基本だった。
冷戦が始まった時、米国の対ソ連戦略を作成したのは外交官のジョージ・ケナンである。ケナンはウクライナとジョージアのNATO加盟に強く反対した。それはソ連共産党の強権的体質とそのもろさの両面を見抜いていたからで、ケナンは「ソ連封じ込め戦略」を提言する。
ソ連に対して攻撃的に出れば、ソ連は必ず反撃するから双方に犠牲が出る。そうではなくソ連の影響力が西側陣営に及ばないようにして「封じ込める」のが賢明だ。そうすればいずれ共産党内に内部矛盾が生まれ、ソ連は自壊すると説いたのである。
ウクライナとジョージアのNATO加盟は、ソ連の喉元にナイフを突きつけるような行為だから、決してソ連は受け入れない。それよりも西側世界に共産主義を浸透させない目的で、西ドイツと日本の経済力を高め、「反共の防波堤」にするのがケナンの考えだった。
こうして第二次大戦で敵国であった西ドイツと日本が米国に次ぐ経済大国になった。そしてケナンの予言通り、ソ連は米国の攻撃によるのではなく、共産党の改革が必要になったために登場したゴルバチョフ書記長の手で冷戦終結に向かい、次いでソ連崩壊に至ったのである。
これに対しNATOの東方拡大を主張したのは、カーター政権で安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグニュー・ブレジンスキーである。ブレジンスキーはポーランド生まれで、ポーランドをはじめとする東側諸国がNATOに加盟することから始まり、NATOを拡大させていけばロシアもいずれは民主主義の国になると考えていた。
冷戦崩壊後に誕生した民主党のクリントン政権で、ブレジンスキーは1996年の大統領選挙にクリントンが勝利する方法として、ポーランド系移民の2千万票を獲得するため、NATOの東方拡大を進言する。これによってジョージ・ケナン以来の米国の戦略は変更された。
おりしもソ連崩壊で唯一の超大国となった米国の中に、米国の民主主義こそが絶対の正義という思い上がりに等しい信念が生まれた。政治学者のフランシス・フクヤマは『歴史の終わり』を書き、民主主義が勝利したことで世界の歴史は最終形態に入ったと説いた。それが彼をネオコン(新保守主義)の思想家として有名にする。
そしてNATOの東方拡大はネオコンの影響を受けるブッシュ(子)政権に引き継がれた。プーチンは当初はブッシュ(子)政権に協力的だった。それが反米に変わるのは2008年である。その年に3つの出来事があった。
1つは米国がコソボの独立を承認した。それより前、セルビア人とアルバニア人の民族紛争に米国のクリントン政権は「世界の警察官」として介入し、セルビアのミロシェビッチ大統領を「悪逆非道の独裁者」として精密誘導兵器によるセルビア空爆を行った。
アルバニア人は一方的にコソボ独立を宣言したが、それを次のブッシュ政権が正式に独立国家として承認したのである。すると西側諸国も次々それに従った。しかしコソボはセルビア領内の一地域である。プーチンはセルビアの主権が侵害されたと強く反発した。
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