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中国「反スパイ法」、習近平のもう一つの思惑

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

中国外交部は日本人2名をスパイ活動容疑で逮捕したと明言した。「反スパイ法」は「外国人をも対象とする」特徴を持っているが、実は反スパイ法制定前にもう一つの重要なシグナルを発していた。習近平の思惑を読む。

筆者は2014年11月4日付けの本コラム「日中首脳会談――今はそれどころではない習近平」で、同年11月1日に制定された「反スパイ法」の特徴の一つを、「外国スパイと中国国内の組織または個人が連携するという項目が加わり、強調されたことである」と書いた。

それもあるが、ここではもう一つの「背後に潜んでいる習近平の深い思惑」を解明したい。

◆反スパイ法制定直前に起きた異常現象――江沢民の父親に関する情報が解禁

反スパイ法が制定された年(2014年)の5月から10月末にかけて、中国のネット空間で最も使われている検索サイト「百度(baidu)」で、異常な現象が起きている。

それは江沢民の祖父である「江石溪」および江沢民の父親(実父)「江世俊」に関する情報が解禁されたことだ。5月に解禁された情報の一部は削除されたが、反スパイ法が制定される前夜である10月29日および10月30日に集中的に解禁された江沢民の実父に関する情報は、今もなお残っている。

その内容の概略は以下のようなものである。

いくつもあるが、「蟹児(Share)」というウェブサイトでまとめている情報に基づいてご説明しよう。

●百度紹介:江世俊は(日中戦争時代の)日本の傀儡だった汪精衛(汪兆銘)政権の宣伝副部長をしており漢奸(かんかん)(売国奴)だった。彼はその息子を出世させるために(南京)中央大学に行かせた。中央大学は日本軍が高級漢奸を養成し皇民化教育を施す日本傀儡政権の最高学府であった。その息子は第4期青年幹部養成に参加している。鉄のような証拠写真が山のようにある。2014年10月31日10:48。

(筆者注:その息子の名前は、ここでは書いていない。)

●【江石溪_百度百科】これは2014年10月29日に百度で初めて現れた情報だ。皆さん、江石溪の子女たちが誰であるかを自分でしっかり確かめよう。そこに江世俊と江上青に関する情報が書いてあるのは、衝撃的なことだ。2014年 10月31日 10:15。

(筆者注:江上青は革命烈士で、江沢民が自分の出自を隠すために売国奴である実父の弟の江上青の養子になったと偽っている。)

●江世俊という名前は、何だか最近、よくネットで見られるようになった。2014年5月25日の正午ごろに一度ネット上に出現したことがある。2014年10月23日、23:04.

一方、2014年10月16日 08:57:45には、「汪偽南京国民政府漢奸名録」(汪兆銘傀儡政権南京国民政府漢奸リスト)というタイトルのブログが新浪博客(ブログ)に現れた。このリストの中ほど辺りを見ていただきたい。そこには他と区別して目立つように「江冠千」のことが書いてある。この「江冠千」こそは江沢民の実父・江世俊の別名である。

ブログの中にある「前zhonggong」は「前中共」のピンイン表示で、「総shuji」は「総書記」、つまり、ここまでは「全中共総書記」の隠し文字である。

「国家zhuxi」は国家主席、「江zemin」は「江沢民」のこと。

この文章の隠し文字部分を通して書けば「前中共総書記、国家主席 江沢民」となる。

「江世俊は、江沢民の実父ですよ」と書いてあるのだ。

これらの予兆現象を中国大陸のネットユーザーが最も頻繁に使用する「百度」空間で現出させたのちに、2014年11月1日に「反スパイ法」を制定した。

この企みは何を意味するのだろうか?

◆国家安全法と反スパイ法とは何が違うのか?

一方、反スパイ法の制定と同時に、1993年に制定された中華人民共和国国家安全法(ここでは便宜上、これを旧国家安全法と称する)が撤廃され、2015年7月1日に新たに中華人民共和国国家安全法(これを便宜上、新国家安全法と称する)が制定された。

なぜ旧国家安全法を撤廃し、新たに新国家安全法を制定しなければならなかったのか?

また、国家安全法と反スパイ法では、「スパイを逮捕する」ことに関して、何が違うのかを深く分析してみよう。そうすれば、習近平国家主席の思惑が見えてくるにちがいない。

旧国家安全法には、反政府活動をおこなった者には「国家転覆罪」といった罪名をつけて逮捕することができ、又その第四条 には「国家安全を脅かす行為とは、海外の機構、組織、個人の指図により国家安全を脅かす」場合が含まれており、そこには「スパイ組織に参加した者あるいはスパイ組織の依頼を受けて国家機密を提供した者」を含むと書いてある。ということは、これらの条文に基づき、2014年11月1日前でも、外国人をスパイ容疑で逮捕することが不可能ではなかった。事実、2014年11月1日前にも日本人を拘束している。

しかし旧国家安全法の第三十二条には「国家安全機関のメンバーが職務怠慢したり、私情にとらわれて不正行為をしたりした場合は、刑法○○条(多いので省略)により処罰する」とあるのみだ。

ここが肝心なのである。

反スパイ法では、「境外(海外)」という言葉と「間諜(スパイ)」という言葉が数多く出てくるので、まずは「在中の外国人スパイ」を逮捕できるということが焦点になっていることは明確ではある。

しかし、中国にいる誰かが「民主化を求めたりなどして、中国政府に抗議運動をした場合」、そこには特定のスパイ組織がいるとは限らない。

スパイという行為は、たとえば日本の週刊誌の記者とかがスクープ記事を書こうと思って冒険的行動に出るといった特殊なケース以外では、基本的に何らかの組織があって、その組織に有利な情報を提供するために行う行為だ。つまり国家安全法で「反国家転覆罪」で逮捕するのとは性格が異なる。

しかも国家機密を入手できる立場にいる人間がいないと、深いスパイ行為は成立しない。

すなわち、反スパイ法は、実は外国人もさることながら、「中共中央あるいは中国政府の中枢」に所属している人をも対象としていることが見えてくる。

それが江沢民の実父に関する前兆現象とリンクしていたのである。

その証拠が新国家安全法の登場だ。

新国家安全法の第十三条には、「国家機関のメンバーが国家安全活動の中で、職権を乱用し、職務怠慢を起こし、私情のために不正行為をした者は法により責任を追及する」とある。ここに「職権乱用」という、新たな言葉が加わった。同法第十五条には、「国家機密漏えいにより国家安全に危害を与える行為」という文言が明記してある。

これは周永康や令計画などの「職権乱用」を具体的に指してはいるが、行きつく先は「江沢民」であることは明白だろう。

反スパイ法はさらに、国家安全法だけではカバーできない「お家の事情」が、これでもかとばかりに盛り込んである。

◆傍証

その傍証として、2009年から江沢民の出自を暴露し、当時の胡錦濤国家主席に直訴状を出してネットで公開した呂加平(1941年生まれ)が、2011年に逮捕され10年の懲役刑を受けていたのだが、2015年2月に釈放されたことが挙げられる。反スパイ法が発布された後の現象だ。体を病んだための釈放と入院だが、それでも中国のネット空間では「呂加平が出てきたぞ―!」という喜びの声が現れた。

また新国家安全法が発布された今年7月1日からほどなくして(2015年7月10日に)、「なぜ江世俊のような漢奸の息子が、主席になったりできるの?」という見出しが「百度知道」に現れたのである。

反スパイ法誕生前に、江世俊の履歴に関してはネット解禁となっていたが、その息子が「あの主席だよ」という明確な記述は避けていた。もちろん前述のピンイン表示による表現はあったが、それでも誰でもが疑問に思う「なぜ国家主席になったままでいいのか?」を、中国大陸のネット空間で発信した人はいなかった。発信してもすぐに削除された。それが今では削除されていないことに注目しなければならない。

旧国家安全法から新国家安全法への移行過程では、江沢民の腹心であった周永康が牛耳っていた中共中央政法委員会への降格問題が重要な要素となっている。

それは「チャイナ・ナイン」から「チャイナ・セブン」への移行の核心でもあった。胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員会「9名」を習近平政権では「7名」にした最大の理由でもある。

そのために中共中央政法系列も、習近平政権になって創設された「中央国家安全委員会」に統一され、習近平国家主席が一手に担うという、中央集権的色彩が濃厚となる結果を招いている。

こういった流れの中での日本人の逮捕は、「中国の内部情勢に巻き込まれた」という印象を強く与える。これは一つの現象に過ぎなくて、中国で起ころうとしていることを見えなくするための「煙幕」のようなものだ。この煙幕は筆者が1948年に長春で中共軍による食糧封鎖を受けたときから直感している中国の掟だ。

中国を外から概観せずに、内部情勢に入り込んで考察しなければ、日本の国益、ひいては日本国民を守ることさえできないと筆者が主張し続ける所以(ゆえん)でもある。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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