オルフェーヴルが有馬記念を制した時の、池添謙一をめぐる裏話
3冠馬をめぐる悲喜こもごも
今週末に迫った有馬記念(G1)。
ここでブラストワンピース(牡3歳、美浦・大竹正博厩舎)の手綱をとるのが池添謙一だ。
過去にはデュランダルやスイープトウショウ、ドリームジャーニーといったいかにもひと筋縄ではいかなそうな個性派を見事に操り栄冠に導いた。中でも際立った個性という意味では右に出る者がいないと思えるのがオルフェーヴルだろう。
ステイゴールド産駒で、新馬戦から騎手を振り落とし、レース中に急に止まったかと思ったら再び加速する。そんな破天荒なパートナーを牡馬クラシック3冠ばかりか宝塚記念、そして2度の有馬記念で戴冠に導いた。とくに引退レースとなった2013年のグランプリは、思いがけないプレッシャーのかかる1戦となった。今回は、当時起きた一つの物語を記していこう。
2011年、池添を背に皐月賞、日本ダービー、菊花賞の3冠レースを制し、史上7頭目の3冠馬となったオルフェーヴル。古馬も撃破し、この年の有馬記念も優勝した。
翌12年には宝塚記念も優勝したが、一緒に金字塔を打ち立ててきた池添に、その秋、思わぬ宣告がなされた。
凱旋門賞に挑戦することになったオルフェーヴルだが、その鞍上には「フランスの競馬を熟知している」という理由でクリストフ・スミヨンが新たに迎えられたのだ。
「もちろんショックでした」と語る池添。それでも「オルフェーヴルには勝って欲しい」という気持ちで、大一番をテレビ観戦した。
結果は2着。更に翌13年も凱旋門賞に挑むというオルフェーヴルのため、池添は春先にフランスへ移動。かの地の競馬で経験を積んだ。
しかし、無情にも凱旋門賞は再びスミヨンが騎乗することになった。そして、またも国内でテレビ観戦した主戦騎手の視線に、2年連続で2着に敗れた栗色の馬体が映った。
「この年は宝塚記念を肺出血で回避した後、フランスへ渡りました。凱旋門賞を勝てばそのまま種牡馬入りという噂も耳にしていたので『もうオルフェーヴルに乗ることはないのかな……』と思いながら観ていました」
ラストラン前に入った朗報と思わぬ報せ
そんな池添に朗報が届いた。帰国した3冠馬は現役を続行。有馬記念をラストランとし、その鞍上を池添に戻すことになったのだ。
「ラストランだし、なんとしても花道を飾ってあげたい」と力こぶを作る池添に、騎手クラブを通じて思いもしない報せが届いた。
「オルフェーヴルの大ファンで、僕に会いたいと言ってくれている男の子がいると言うのです」
年齢は5歳。ここまでならよくあるファンレターと変わらないが、それから先の話に3冠ジョッキーは耳を疑った。
「僅か5歳のその子が治療の難しい病気に侵されていると聞きました」
自らも幼い子の父である池添は「自分で力になれることならなんでもしてあげたい」と考え、その子をオルフェーヴルに会わせてあげる段取りを整えた。
オルフェーヴルが当時、ノーザンファームしがらきに放牧されていたことからオーナー、そして牧場にも連絡。許可をもらった上で男の子を牧場へ招待した。
更に、当日は勝負服を着て、3冠馬に跨ってみせたのだ。
「撫でようとすると噛み付こうとする面のあるオルフェーヴルが、この子の手は噛もうとしませんでした。いつまでも撫でさせてあげていたんです」
その光景をみるうちに「この子のためにもラストランを勝たなければ……」という想いが強くなった。
ラストランを終え、浮かんでは消えた様々な想い
有馬記念の最終追い切り。跨った池添は、手綱を通して状態の良さを感じた。さらに、馬場へ向かう際、思わぬ出来事が待っていた。
「綺麗な状態の馬場で追いたいから1番で向かったのですが、当然、同じように考えている陣営は沢山いて、その時間帯は混み合います。ところが、そこにいた人達が皆、『お先にどうぞ』という感じでオルフェーヴルに道を譲ってくれたんです」
池添は「有馬記念を勝つことが、彼等の気遣いに対する恩返し」と思った。
こうして迎えた13年12月22日。レース後には引退式も決まっていた。この日、池添が騎乗するのは有馬記念の1鞍。待っている間のプレッシャーはいかばかりだっただろう……。
「自分は、大レースに乗る日はその前の競馬にも乗っていた方が気が紛れる性格です。でもこの日は有馬記念だけだったから、起床時間を遅らせるなど工夫はしたけど、それでも待ち時間が長くて、緊張感が高まりました」
しかし、同時に次のようにも考えたと言う。
「一緒に走れるのもこれが最後。だから“楽しもう!!”と考えるようにしました」
いざレースを迎えた。すると、池添の意のままに、折り合って走るオルフェーヴルがそこにはいた。
「力を出せれば1番強いと思って乗っていました。4コーナーでは勝てると確信しました」
それでも気性の難しさを考え、最後まで気を抜かさずに走らせた。軽く鞭を入れるとそくざに反応し「やっぱり凄いな……」と感じた。そして、次の刹那、オルフェーヴルが2着に8馬身もの差をつけ、最後のゴールに悠々と飛び込んでみせた。
引退式を待つ間の中山競馬場の地下馬道。オルフェーヴルの顔を両手で優しく抱きキスをした池添の胸中には様々な想いが浮かんでは消えた。
直後の引退式を思い安堵する気持ちがあった。3冠騎手にしてくれたパートナーへの感謝の想いもあった。もう跨れないと思うと、淋しい気持ちになった。凱旋門賞で乗りたかったという想いも改めて浮かんだ。そして、もう1つ……。
話は再び2週間前に遡る。池添に1本の連絡が入った。
「あの5歳の男の子が有馬記念を待つことなく亡くなってしまいました」
当時、呟くようにそう語った池添はその後、声を詰まらせた。
そして、レース後、馬上から天を見上げて「勝ったよ」と報告をしたのだった。
週末の有馬記念で池添はブラストワンピースの手綱を取る。果たして今年はどんなドラマが待っているだろう。
(文中敬称略、写真提供=平松さとし)