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ドラマの「脚本」と「脚本家」について、倉本聰さんに訊いてみたら・・・

碓井広義メディア文化評論家
脚本家・倉本聰さんと(筆者撮影)

現在放送中のドラマ、どんな人たちが脚本を書いているのでしょう。主だった作品を挙げてみると・・・

『海月姫』 徳永友一

『FINAL CUT』 金子ありさ

『きみが心に棲みついた』 吉澤智子、徳尾浩司

『anone』 坂元裕二

『BG ~身辺警護人~』 井上由美子

『隣の家族は青く見える』中谷まゆみ

『アンナチュラル』 野木亜紀子

『99.9 -刑事専門弁護士- SEASON II』 宇田学

今期は、ドラマ界でよく知られた、ベテラン勢が手がけているものが多いですね。

脚本はドラマの「生命線」

脚本は、ドラマの設計図のようなものであり、また海図のような役割も果たしています。どんな役者が出ていようと、脚本がよくなければ、そのドラマは面白くなりません。脚本はドラマの生命線と言ってもいい。

そこで、「脚本」と「脚本家」について、あらためて考えてみたいと思います。お話をうかがったのは、大ベテランである倉本聰さんです。

――「脚本家・倉本聰」が60年も続けてきた、脚本家、シナリオライターという仕事について教えてください。

そもそもシナリオライターというのは、2つの役割がありましてね。ひとつはプロットをつくる仕事。そして、もうひとつは撮影台本をつくる仕事です。

――ドラマや映画で言うプロットは物語の筋、つまりストーリーですよね。大きく分ければ「原作有り」の作品と、「原作無し」のオリジナルと2種類あります。どちらの場合も、そのプロットを基に書かれた撮影台本をベースにしてドラマが作られていく。

そうです。ところが、日本では原作有りも原作無しも「シナリオ(脚本)」とひとくくりで呼ばれている。実は、それこそがテレビドラマの弊害のひとつになっていると思うんです。僕らは映画からこの世界に入りましたが、当時の映画会社では若造がいきなりオリジナルシナリオを書くなんてありえなかったんですよ。

――ある程度キャリアを積まないと、「オリジナル脚本」は書かせてもらえなかったと。

十数年は経験を積まないとだめですね。僕自身もシナリオライターになった時、作家といわれるのはまだ無理だ、まずはシナリオ技術者になろうと思ったものです。とにかく右から注文が来ても左から注文が来ても受ける。そして意向に沿って膨らませ、形にする。当時の映画会社にはプロットライターというものがいまして、企画部が筋までは完璧につくったものを脚本家に渡す。だから、僕らの仕事は撮影台本を書くことに徹した。分業の訓練を受けてきたわけで、いまとは全く違うわけですね。

アカデミー賞には「脚本賞」と「脚色賞」がある

――日本では、「シナリオライター」あるいは「脚本家」に2つの異なる役割があることが、広く知られているとは言えません。制作サイドもどこまで線引きできているのか。

米国ではきちんと分業してます。ハリウッドのアカデミー賞の授賞式を見るとお分かりになると思うんですが、まず「脚色賞」が呼ばれ、そのあとで「脚本賞」が発表される。

――原作がある場合は「脚色賞」で、丸ごとオリジナルの場合が「脚本賞」。

「撮影台本」を書くっていう仕事は「ストーリー」を書く仕事とは別。ですので、たとえばヤングシナリオ大賞みたいなものを受賞したからといって、いきなり素人にオリジナル脚本を書かせるのは、土台無理な話なんです。物語自体を書く仕事があって、その上で撮影台本を書く。それをごちゃ混ぜにしているところに、大きな課題を感じます。

――オリジナルを書く実力を身につけるには、本来、修行が必要だったんですね。

ええ。もし新たにシナリオ賞を作るのであれば、たとえば、藤沢周平の短編集を脚色しろっていう課題を与えたほうがいいですね。

――昨年ですが、『北の国から』の杉田成道さんが、CSの時代劇専門チャンネルで、藤沢さんの『橋ものがたり』を映像化していました。

藤沢作品は物語の骨格がしっかりしています。しかも、こと細かな心理ではなく登場人物たちの行動が描かれていく。その行間を読むように想像力を働かせるのは、とてもいい脚色の訓練になると思います。そうでもしないと、本当のシナリオライターは育たない。それをいまのテレビ業界は全く分かっていないんです。

ドラマは「化学反応」

――『やすらぎの郷』の第63回でしたが、「いまのホン屋(脚本家)は人を書く事より筋を書く事が大事だと勘違いしている。視聴者は筋より人間を描くこと求めているんだけどな」と、主人公であるベテラン脚本家の菊村(石坂浩二)に言わせています。これも実感ですか?

実感ですね。筋と呼ばれる、いわば、おおまかな展開から描いてしまうと、人間の事を考えていないから、化学反応が期待できない。

――登場人物たちによる化学反応ですか。

AとBが出会った瞬間からしか考えないで、とりあえず、都合よく出会わせてしまえっていうね。でも本来は、脚本家が生み出したキャラクター、人物たちがぶつかり合った時に、どんな出会いになるのか、どんな化学反応が起きるのか。そこを考えるのがドラマ作りの中で一番面白いわけです。まさにドラマ作りの醍醐味でもあるって、僕は思っているんですけれどね。

倉本 聰(くらもと・そう)1935年、東京生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家に。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか数多くのドラマや舞台の脚本を手がけてきた。現在、来年4月から1年間放送される、テレビ朝日開局60周年記念ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」を執筆している。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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