【富士宮市】日曜深夜内房地区の停電の原因は…戦国時代の尾崎城の遺構『相沼浅間神社』を訪れました
2年前の12月にも一度記事として取り上げた富士宮市内房の県道富士川身延線を左折した大きなカーブの右手にある『相沼浅間神社』。
付近を散歩がてら歩いているとまるで『ついておいで』と言うように、黒猫が私の前を横切りました。
その誘いに乗って黒猫の後をついて行くと、『相沼浅間神社』の鳥居をくぐり、急な階段をどんどん先へと昇って行きます。
『相沼浅間神社』は、かつて宮峠(釜口橋と内房橋に挟まれた瀬戸島下流の岩山)に富士宮浅間神社の別宮として祀られていましたが、甲斐南部の領主であった武田勝千代丸が交通の要衝に築かれた尾崎砦のあるこの場所に社殿を寄進し、遷宮されたと言われています。
急な石段、200段強はあると思います。
昔力比べや力試しに使われたという「力石」。この力石は力自慢だった村の住人が担ぎ上げてここまで運んだとか。重さは123kgもあるそうです。
前に訪れたときにはなかった説明書きが、設置されていました。
置いてあるものや祀られているもののそれぞれの意味を知ることができると散策が楽しくなります。
境内前の看板にはこのような説明書きがありました。
以前訪れたときには、あまり触れることがなかったのですが、『相沼浅間神社』は尾崎城の遺構でもあります。
「尾崎城」の築城時代は1569年前期頃と考えられていて、1515年12月12日の武田信玄の駿河侵攻で、武田氏に攻略されたため、武田氏の山城に見られる構えになっているようです。
尾崎城遺構についての説明も、力石と同じ場所に掲示されていたので、掲示内容に沿って境内を散策してみました。
社殿の裏の森へ入ると、馬出しの東西方向に山腹を回りこもうとする敵を防ぐため山腹に縦方向に掘られた「竪堀」の跡が何カ所か見られました。
神社の裏側には城兵が上に乗って戦ったり、城内に矢玉が飛びこむのを防ぐコの字型の土塁の跡が残っていました。
こんな身近に戦国時代の遺構があることに驚き、散策している間に日が暮れ始めていました。
道案内をしてくれた黒猫も、いつの間にか姿を消してしまっていました。
甲斐国と駿河国の国境に当たるこの場所は、交通の要として、重要な役割を果たしていたのでしょう。
ますます交通の便が良くなった尾崎バイパスを通る車を眺めながら、豊かで便利な時代を改めて実感しました。
5月14日(日)の0時頃、内房一帯が停電になりました。
連日の雨で『相沼浅間神社』裏山の木が倒れ、電線に干渉したことが原因だったようです。
停電は1時間ほどで復旧しましたが、本日の朝はまだ『相沼浅間神社』前の道は通行止めとなっていました。
尾崎バイパスができたおかげで、この道を通行しなくても支障がなくなったのが幸いでした。
倒木も、本日中には処理されて、現在は通行可能になっています。
内房浅間神社:富士宮市内房3388
アクセス:県道75号を静岡側に向かい尾崎交差点を左折したカーブ右手