指示語は使いすぎると伝わらなくなる
私たちは生活の様々な場面で、「あれ、それ、これ」など指示語を使います。
技能や知識を教える場面でも、教える人は、教える相手に説明や質問する時などで、自然と指示語を使います。
指示語は、モノの名前や場所を言葉にする手間を省けたり、少ない言葉で効率よく物事を伝わる点で、便利なものです。こうした省力化や伝達効率の良さは、指示語を使う魅力といえます。
その一方で、指示語を使うことで、むしろ伝えたいことが伝わりにくくなるケースもあります。そこで、この記事では、指示語を使う場面を「ものの指示」と「ことの指示」に分け、省力化と伝達効率の点から、指示語の機能について考えていきます。
指示語を使うと便利な場面として、例えば飲食店で注文する時などがあります。メニューを指して「これください」と言えば、長い料理名をわざわざ言葉にしないで済みます。また、少ない言葉で相手に伝えることもできます。メニューのような「モノの指示」では、省力化しつつ伝達効率が高い点で、指示語は便利です。
一方で、いくつかのケースでは、指示語を使うと、むしろ伝達効率が下がることもあります。
そうしたケースの1つとして、「共同注意」が成り立っていない場面があげられます。「共同注意」とは、ざっくり言えば自分と相手が同じモノに意識を向けた状態のことです。
起こったコトを振り返るような場面では、一般的に共同注意が成り立ちにくくなります。例えば、上司と部下が一緒に打ち合わせに行き、帰社後に打ち合わせを振り返るような場面で、「あの時、なんでああ言ったの?」と上司が質問したとします。
この場合、具体的にどの時での、どの発言かについて言及していないため、上司と部下はイメージを共有していない可能性があります。
こうした点を考えると、カップやメニューのような具体的な「モノの指示」と比べて、イメージや記憶といった抽象的な「コトの指示」についての方が、共同注意は成り立ちにくくなるのかもしれません。
ですから、正確に伝えたいコトがあり、かつそれが共同注意が成り立ちにくいケースなら、指示語をたくさん使うと、教える側は言葉を省力化できるかもしれませんが、結果的に伝達効率が下がることになります。
しかし、言葉にしにくいコトを指示語で代用している面もあるように思います。まして正式な名前や共通の名前がないものの場合はなおのこと、指示語に頼るものです。
場所や動きが重要な情報の場合、それらが正しく相手に伝わるよう言葉が整備されていると感じます。例えば、将棋や囲碁のように場所が重要な技能では、盤面のどの位置にコマがあるかを正確に伝える必要があるため、「3-五」のように、場所を伝える言葉が整備されています。
頻繁に使い、しかもそれが正しく伝わって欲しいコトの場合は、指示語をあまり使わない方が、省力化の点では劣りますが、伝達効率は良くなるのではないでしょうか。
指示語の持つ省力化と伝達効率はとても魅力的で、「これやっといて」だけで全てが伝わるのは、ある種の快感があります。
しかし、「母さん、あれ」的な、シンプルで想定される選択肢がお茶か水ぐらいの状況ならともかく、複雑で多様な技能・知識の伝達や学習では、指示語を多用すると、むしろ伝達効率が低下してしまうこともあります。
省力化を少し犠牲にしつつ、伝達効率を上げるという選択ができると、伝え方の幅が広がるのではと思います。