英国政治に嵐の予兆?:「Mr.マルキスト」が労働党首候補NO.1に
5月の英国総選挙で大敗した労働党が、えらいことになっている。
党首選で「絶対勝つわけがない」イロモノ候補者の筈だった66歳のジェレミー・コービンが、「このままでは勝ってしまう」状況だからだ。
彼は絶滅寸前だった労働党内左派の代表で、「極左」または「マルクス主義者の爺さん」と呼ばれる人である。しかも、オフィシャルに「最も経費を使わない国会議員」になったことがある人で、その生真面目さでさえ現代社会では「クリーン」ではなく「貧乏くさい」と笑われてきた。
巧みなPR、ルックス、若々しさ、セレブっぽいライフスタイル。トニー・ブレア以降、英国の政治指導者には必須であると言われた華々しい要素をコービンは何ひとつ持っていない。むしろ、そのアンチテーゼのような人だ。
こういう人が「公共投資拡大」だの「計画経済」だの、まるで終戦直後の労働党のような社会主義理念を語るものだから、彼が党首候補に立候補したという事実だけで政界人やメディア人がゲラゲラ笑うのも道理である。
しかし、笑った人々は現在、真っ青になっている。
SNP(スコットランド国民党)の党首ニコラ・スタージョンの支持者たちが「スタージョン・マニア」と呼ばれたのと同様、「コービン・マニア」なる言葉が生まれるほど、彼が劇的に支持を伸ばしているからだ。
「彼が党首になったら、二度と労働党が政権に返り咲くことはなくなる」と労働党議員たちはパニックし、ブレア元首相が急きょ出て来て、「自分のハートはコービンの理念と共にある、などと言う人はハート(心臓)の移植手術を受けろ。頼むから労働党を退行させるな」とコービンを攻撃し、1983年から1992年まで労働党党首を務めたニール・キノックまで「コービンの支持者は有害なトロツキスト」と反コービン・キャンペーンを張っている。
労働党の主だった議員たち(党首選に出馬しているメンツも含む)が、もし彼が党首になったら頼まれてもシャドー・キャビネットには入らないと言っており、1983年から労働党議員を務めてきた大ベテランをそこまで足蹴にするかと思うほど物凄いバッシングである。彼が党首になったら労働党分裂は避けられないという声もある。
しかしその一方で、若者たちが続々とコービンを支持するために労働党に入っている。労働党に失望していた労働組合もコービン支持に回り、地べたの人々が彼の演説を聞くために集会に殺到している。ルートンでの彼の集会に集まった人々の熱気は「まるで一年前のスコットランドを見ているようだった」とガーディアン紙のジョン・ハリスは書いている。
テレビのニュース番組でも、新聞でも、連日コービンの話題が報道されている。わたしは1996年から英国に住んでいるが、労働党の政治家の台頭がこれほど人々の口にのぼっているのは、ブレア以来のことだ。
総選挙前に「SNPのようなオルタナティヴな政策を打ち出す政党がイングランド本土にもあったら」と言っていた若者たちが、コービンに夢中になっている。反緊縮、反核、反戦、NHS国営化などを強く訴えるコービンのポリシーは、スコットランドのSNPと共振しており、SNP前党首で現英国会議員のアレックス・サモンドは、テレビのニュース番組で「SNPとしてイングランド本土の労働党首選で誰を推すか、などということは言えない」と慎重な態度を取りながらも、「ジェレミーが党首になれば共に働ける分野がある」と発言している。コービンはスコットランド沖にある英国唯一の核兵器、トライデントの更新に反対しており、その点でSNPと主張を同じくしている。
無名だったコービンが英国政治の主役に躍り出ているのは、スペインのポデモス、ギリシャのシリザなど、反緊縮を訴える欧州の新左派の動きと連動しているのは間違いない。が、英国の場合はその旗手が若手ではなくベテラン左翼であり、そうした動きが新政党ではなく既存の大政党から出て来たというのが面白い(さすがは伝統とアンティークを重んじる国だ)。
ケン・ローチ監督のドキュメンタリー『The Spirit of 45』で、終戦の年に誕生した労働党政権のマニフェストを読んだ現代の若者たちが、「パーフェクト」「どうして今はこんなことを言う政党がいないんだろう」と驚くシーンがある。
サッチャー以降の英国政治は、80年代からずっと「人民」より「資本」に寄り添って来た。そしてその最終形とも言える「新自由主義の成れの果て+緊縮」のノー・フューチャーな時代を生きる若者たちが、「人民」を顧みる政治に真新しさを感じるのは不思議ではない。
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欧州の新左派は屡ポピュリズムとして批判される。特に日本ではポピュリズムが「衆愚政治」「大衆迎合主義」と訳されることもあるため、エスタブリッシュメントによるエリーティズムに対するカウンターとしてのポピュリズムの意味が希薄で、ポピュリズムといえば何かぽっと出の、現れてはすぐに消える人気取り主義のように思われている。
だが、欧州新左派の指導者たちを見てみると、彼らはぽっと出の迎合主義者ではないことがわかる。
スペインのポデモスのパブロ・イグレシアスは祖父が政治思想のために死刑宣告を受け、父親もマルクス・レーニン主義の過激派として禁固刑に処されたので肩身の狭い想いをして育ったという筋金入りの左翼だ。SNP党首のニコラ・スタージョンにしても、16歳でSNPに入党し、44歳で党首になったコテコテのスコットランド社会主義者だ。そしてイングランド労働党のコービンに至っては、サッチャー時代から新自由主義に二本指を突き立てて来た「ど」がつくほどのレフト議員である。
彼らはトレンドを利用して出て来たのではない。むしろ自分が信じる理念を人々が求める時代が来るのをじっと待っていたのだ。
そして今、緊縮に未来を奪われた欧州の若者や労働者たちが彼らを支持し、熱狂している。欧州のエリートやテクノクラートたちは、この年季の入ったぶれないポピュリズムと、それを支持する下層の人々を抑えられるだろうか。
もはやこれは「右と左」の構図ではない。欧州は「上と下」の時代だ。