従軍慰安婦問題「歴史的合意」「不可逆的」への拭いがたい違和感
「歴史的合意」「画期的」ー昨日28日に日韓両政府が、従軍慰安婦問題で「最終的解決」で合意したことについて、そんな言葉がニュース記事にあふれている。だが、この間、慰安婦問題に取り組んできた研究者や人権団体は、釈然としないようだ。まして、従軍慰安婦とされた被害者達は納得しないだろう。要は、従軍慰安婦問題について、日本政府の法的責任を曖昧にしたまま、「最終的、不可逆的」と幕引きを図る、つまり「もう蒸し返すな」的な姿勢がそもそもおかしいのだ。「最終的、不可逆的」ということを言えるのは、従軍慰安婦とされた被害者本人であるのに、そうした被害者達の頭越しの「合意」が、果たして本当に合意と言えるのか、疑問である。
○本当に「画期的」「歴史的合意」なのか?
韓国の研究者でつくる、日本軍「慰安婦」研究会設立準備会は、従軍慰安婦についての日韓合意について、「早まった『談合』を警戒する」という声明を発表した(関連情報)。
また、声明は、日本政府が「道義的な責任」でお茶を濁し、「法的責任」を曖昧にしたことこそ、慰安婦問題がこじれたことを示唆している。
今回の日韓合意は、従軍慰安婦とされた被害者や、その支援者らが求めてきた「法的責任」を曖昧にしている。そうした意味では、これまでの「お詫びの談話」と、内容的に変わらないばかりか、「最終的、不可逆的」ということを強調、要は合意に不満があっても、もうこの件についての議論をするな、と言わんばかりだ。これでは、日韓両政府で合意しても、被害者やその支援者ら、そして韓国の世論も納得はしないだろう。
○「不可逆的」で問われる安倍政権の振る舞い
日韓合意についての報道で、日本のメディアでは「韓国が従軍慰安婦問題を蒸し返してきた」というような表現が散見されるが、そもそも、ここ数年、従軍慰安婦問題が日韓両国の懸案となった原因は、従軍慰安婦問題を言いがかりとして否定しようとする安倍政権の振る舞いであった。結局は踏襲したものの、従軍慰安婦問題についての「反省とお詫び」に言及した河野談話の見直しを度々、提起したのは、安倍政権の面々だ。昨年6月も、安倍政権は河野談話の検証結果を公表。河野談話そのものを否定する内容ではなかったものの、談話作成の仮定に疑問を投げかけるなど、河野談話の信頼性を損なう意図が感じられるものだった。当然、韓国側はこれに強く反発。日韓関係は非常に険悪なムードとなった。
また、安倍政権は、昨夏の従軍慰安婦問題についての朝日新聞の報道、いわゆる「吉田証言」の信ぴょう性への追及にとどまらず、従軍慰安婦問題自体が誤りであるかのように主張し始めた。昨年10月、安倍政権は、国連人権委員会の「女性に対する暴力」の特別報告官だったスリランカの法律家ラディカ・クマラスワミ氏に対し、同氏が1996年にまとめた従軍慰安婦問題についての報告「クマラスワミ報告」*の記述の一部を修正するよう、安倍政権は要求。同報告については、今年8月3日の会見でも、稲田朋美・自民党政務調査会長が「総理も、『事実関係と違うことに関してはやはりきちんと反論すべきだ』と言及されました」「いわれなき非難、間違っていることについては、きちんと反論したうえで、日本がどんな国を目指すかという、未来志向の点が重要だということをお話しになっておられました」と発言している(関連情報)。
*クマラスワミ報告全文http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf
「不可逆的」というならば、こうした従軍慰安婦問題を否定しようとする言動を反省し、今後はこうした言動を行わないと明言するべきではないのか。ドイツでは「ホロコーストは無かった」など、ナチスが戦争犯罪・人道に対する罪を行ったことの否定は、法律で禁止されている。それくらい強い姿勢で歴史修正主義を排していくことが、本当の意味での「不可逆的」というものだろう。安倍首相は「私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない」と発言しているが、ドイツは今もナチスの罪について反省し、謝罪を続けている。謝罪しようが、基金に拠出しようが、従軍慰安婦として女性たちに耐え難い苦痛を味わせた事実自体は無くならないし、それは今後の日本の世代も、決して繰り返してはならない愚行として、その反省と教訓を受け継いでいくべきだろう。これからの世代に歴史から学ぶことをさせないために、「不可逆的」という文言が使われるようでは本末転倒なのである。
○恐らく再燃する従軍慰安婦問題
今回の「画期的」「歴史的」な合意も、そこに真摯な反省がなく、加害者の居直りを続けるようならば、従軍慰安婦問題が再び日韓関係の懸案となることは防げないだろう。そして何より、被害者達の声に今一度、誠実に耳を傾けるべきである。加害者が被害者に謝罪し、反省する。同じ過ちを繰り返さないようにする。日本に求められているのは、人として当たり前のことなのだ。