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第1次大戦終結から100年 ロンドンで行われた、地元の追悼式に参加して

小林恭子ジャーナリスト
第1次大戦の戦没者を追悼する十字架とヒナゲシの造花(撮影筆者)

 ちょうど100年前の1918年11月11日、第1次大戦(1914~18年)が終結した。

 休戦協定が結ばれたフランス北部コンピエーニュの森では、10日、フランスとドイツの記念式典が、翌11日にはパリで終結から100周年を記念する式典が開催された。同じく11日、英国各地でも英国や英連邦諸国の戦死者を悼む式典が行われた。

 

街角にあった、赤いヒナゲシを模した標識(筆者撮影)
街角にあった、赤いヒナゲシを模した標識(筆者撮影)

 英国では毎年、11日を「リメンバランス・デー」(戦没者記念日)、この日に最も近い日曜日を「リメンバランス・サンデー」(戦没者記念日曜日)と呼んで、それぞれ追悼式を行ってきた。今年は両方が11日になった。

 毎年秋になると、戦没者の犠牲を象徴する赤いヒナゲシの造花を付ける習慣もある。造花の販売は英国在郷軍人会による募金活動の1つで、収益金は英軍関係者の支援に使われている。

 第1次大戦は国民が総動員された大規模な戦争で、BBCによれば、戦死者は970万人、民間の犠牲者は1000万人と言われている。

 英国では終戦時までに約600万人が兵士として動員され、88万6342人が戦死。民間人の死者は10万9000人だった。

 筆者は、第2次大戦で父親を亡くした家人と一緒に、地元ロンドン南部の追悼式に出席した。

 今年の追悼式の様子を伝えたい。

集まってくる人々

 追悼式の場所は、地元の教会の近くにある慰霊碑の周辺だ。

 午前10時半頃、自宅を出る。襟元にはヒナゲシの造花を付けた。子供連れの家族、男女のカップル、老夫婦などがゆっくりと教会に向かって歩いていく。

襟元のヒナゲシの飾り(筆者撮影)
襟元のヒナゲシの飾り(筆者撮影)

 

 風船の束を持った若い男女のグループが前にいた。「式の終わりに飛ばすつもりなのかな。『お祝い』の式ではないのに」と家人。

 家人の父シドニーは爆撃機のパイロットだった。英国から夜中、敵国のドイツに飛ぶ。爆弾を落として、英国に戻ってくるのが任務だ。

 1943年8月15日、シドニーが乗った爆撃機はミュンヘンで爆弾を落とした帰り、フランスのある村の上空でドイツ軍の攻撃に遭い、墜落。7人のクルー全員が死亡した。家人が生まれる2か月前の話である。戦争終了までに爆撃機のクルーはその半分が戦死したと言われている。

 この村では、毎年夏、クルーを追悼する儀式を行っている。フランス側、英国側からすれば、爆撃機のクルーは「英雄」だ。しかし、ドイツ側からすれば、爆弾で軍事施設を爆破し、時には市民をも犠牲にした「ひどい奴ら」になる。現代を生きる私たちの感性からすれば、両方の側の犠牲に目が向いてしまう。

 慰霊碑の場所まで歩いていると、今年の参加者が例年より多いように見えた。自分の祖父が、あるいは父が戦争に行って亡くなったことを追悼したい人が集まってくる。近年、英国はイラクやアフガニスタンに兵士を送っており、「現役」、「元現役」がたくさんいる。

 慰霊碑周辺に到着すると、すでに何重にも人の輪ができており、牧師が追悼の言葉を述べていた。

 ヒナゲシと第1次大戦を結びつける詩を書いたカナダ人ジョン・マックレーの詩「イン・フランダース・フィールズ」が読み上げられる。

 戦争が過去のものではないこと、遠い昔の犠牲を追悼するためだけに私たちが集まっているのではないことを象徴するように、アフガニスタンに派遣された兵士による詩も読み上げられた。

 聞いているうちに、第1次大戦以降の様々な戦争での犠牲者や兵士を戦場に送った政治家のことなどが想像され、涙がたまってきた。少し離れたところにいる家人を見ると、泣きはらしたような顔になっている。周囲でも鼻をすすり、泣いている人があちこちにいた。

 「私たちは、犠牲となったあなた方のことを忘れない!」牧師が力強く、そう言った。

 午前11時から2分間の黙とうとなる。子供たちが後ろで走り回る音、遠くで吠える犬の鳴き声がかすかに聞こえたが、参加者全員が口を閉じたままだ。

 「今、ここにいて、時間を共有している」ー。ひしひしと、そう感じた。

 黙とうが終わって詩の朗読が続く中、私は家人のそばに行き、手を握った。「この人の父親が、第2次大戦で墜落死した。その何十年か前には、第1次大戦でも多くの人が死んだ。今も、命を危険にさらしている兵士がいる」。過去の出来事が、今につながっている。

 最後に、兵士の楽隊が地元のボランティアや子供たちとともに通りを行進し、道の両脇にいた人々が熱心にこれを見守った。

 だんだんと参加者が帰りだしたので、慰霊碑のところに行って、紙製のヒナゲシで作った花輪の写真を撮った。

慰霊碑全景(筆者撮影)
慰霊碑全景(筆者撮影)

 

付けてきたヒナゲシの造花を置いた(筆者撮影)
付けてきたヒナゲシの造花を置いた(筆者撮影)
花輪がいくつも並ぶ(筆者撮影)
花輪がいくつも並ぶ(筆者撮影)
慰霊碑の周囲を囲む市民(筆者撮影)
慰霊碑の周囲を囲む市民(筆者撮影)

 車いすでやってきた、数人の元兵士の姿もあった。ほとんどが高齢だったが、一人は30代前後のように見えた。両手がかじかんだように丸まっている。握手をさせてもらおうと思い、許可を求めると、車いすを押していたヘルパーの人が「いいですよ」という。片手を包み込むようにして握手した。一体どこで負傷したのか。イラクか、あるいはアフガニスタンかー。

チャールズ皇太子が献花

 ロンドン中心部では、例年のように、エリザベス女王をはじめとする王室のメンバーが中心となって大々的な追悼式が行われ、その模様はテレビで生中継された。(2分間黙とうの様子

 チャールズ皇太子が慰霊碑に花輪を献呈し、ドイツのシュタインマイヤー大統領が、独指導者として初めてこの追悼式で花輪をささげたという。

 ▽第1次大戦については、以下の記事(「英国ニュースダイジェスト」)もご覧ください。

 終戦から100年 英国・ドイツ・フランスから見る第一次世界大戦

 

 

 

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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