なぜ富山県魚津市からカニバリズムの異色ゲームが誕生? 開発者明かす制作秘話
地方自治体が旗を振るゲームの産業育成
ゲームに対する社会的な批判がある中、「ゲームづくりで街おこし」を進めているのが富山県魚津市だ。村椿晃市長の旗振りのもと、2017年度より「つくるUOZUプロジェクト」と銘打ち、さまざまなゲーム開発者育成・支援プロジェクトを進めている。
こうした中、2021年4月に発売されたゲームが『喰人記』だ。ゲーム開発は初めてという社会人と学生の混合チームが、約3年かけて開発した本ゲーム。その舞台裏について、中心メンバーの森影氏と谷津ユウイチロウ氏(氏名はすべてハンドルネーム、以下同じ)に話を聞いた。
『喰人記』はその名の通り、カニバリズム(食人)をテーマにしたノベルゲームだ。プレイヤーは青年の姿をした人喰いの怪物となり、飢えを満たすために人々を補食していく。補食すると対象の記憶や感情を取り込めるが、これによって青年は悩み、傷ついていく。
一方で影の主役を果たすのが、この世から消えたいと願う死にたがりの少女だ。両者の利害は一致しているように思われるが、それを阻むのが青年の自我。ゲームが進むにつれて、両者の事情が徐々に明らかになっていき、意外な結末へと導かれていくという内容だ。
一行で記述されたゲームの原アイディア
開発のきっかけは2018年6月に魚津市主催で開催された「つくるUOZU GAMEサミット」だ。地元の大学生だった蒼井円氏が「人を喰うことで感情を得るバケモノが、人間性を得て苦悩する」というアイディアを提示し、これに建設業界で働いていた谷津氏が興味を示した。チーム編成の過程で森影氏と学生イラストレーターの水酸化物いおん氏らが合流。森影氏の「ノベルゲームに良いんじゃない?」というアイディアで、具体的な形が定まっていく(職業や肩書きは当時のもの)。
その後、森影氏と谷津氏を中心に、蒼井氏ら学生3人が加わり、ゲーム開発がスタートした。メンバーは入れ替わりがありつつも、おおむね5名で進行。2021年4月にPCゲームでリリースされた。小粒ながらピリリと辛い秀作として、ユーザーから高評価を受けた本作。なによりゲーム開発の初心者チームが、仕事や勉強の合間を縫って開発を続け、リリースさせた時点で快挙だろう。
ディレクターとシナリオライターをつとめた谷津氏は「最大の功労者はメインプログラマー兼プロジェクトマネージャーをつとめた森影氏」だと振り返る。チーム唯一のプログラマーとして開発を進めつつ、オンライン会議も毎週行うなど、ゲーム開発が円滑に進む環境も整えた。三十路に突入した森影氏は「富山の若者の未来に関心があった」という。つくるUOZUのイベントに参加したのも、「魚津市をゲームの街にする」というビジョンに共感したからだった。
森影氏と同世代の谷津氏はゲーム開発に興味があり、個人サークル「やづ屋」でアナログゲームの制作・販売も行っていた(イラストレーターとして制作に協力していたのが、水酸化物いおん氏だ)。以前からデジタルゲームのチーム開発に興味があった谷津氏は、小説やシナリオの執筆経験が乏しかったが、本作のシナリオ制作に着手。壁打ち相手になった森影氏から「内容はおもしろいが、ノベルゲームの体をなしていない」などの指摘を受けつつ、1万6千字にもおよぶシナリオを書き上げていった。
『喰人記』の特徴は周回プレイを重ねるたびに、キャラクターの過去が明らかになっていく点だ。最初は何の気なしに補食したキャラクターも、2周目からは人物像などがあきらかになり、補食の意味が変わってくる。
それまでノベルゲームをプレイしたことがなかった谷津氏が参考にしたのが、RPGの『NieR:Automata』だ。本作ではBルート(2周目)に入ると、敵キャラクターの声が聞こえるようになる。ここからヒントを得て、相手の事情が2周目以降にわかるようにした。いままでにないアイディアで、本作のウリの一つになった。
プロのゲーム開発者のメンターを受けて成長
社会人や学生が本業の合間にゲームを開発する……いわゆる同人ゲームや、インディゲームと呼ばれるスタイルだ。業務ではないため、自由にゲームが作れる反面、プロジェクトが四散することも多い。本作の開発も同様だったが、「つくるUOZU」による支援が功を奏した。市内の施設で行われるゲーム試遊イベントへの出展支援や、プロのゲーム開発者によるメンタリングイベントの活用だ。こうしたイベントにあわせて計画的に開発することで、チームのモチベーション低下が防げたという。
中でも役に立ったのが、いたのくまんぼう氏によるメンタリングだ。ゲーム会社出身で、インディゲーム開発者として活躍する一方、Unityの入門書執筆などでも知られるいたの氏。1~2ヶ月ごとに制作途中のバージョンを提出し、試遊後に感想を聞くことで、内容がぐっと向上していった。その指摘は「ノベルゲームらしいシナリオの書き方」から、「チュートリアルを兼ねた導入部の工夫」、さらには「画面切替の時間を1秒長くする」など、多岐にわたったという。「いたの氏に遊んでもらえるものを作ることが、合言葉になっていました」(谷津氏)。
いたの氏の薫陶をもっとも受けたのが、シナリオの組み込みと演出を担当した蒼井氏だ。これにより、蒼井氏のスクリプターとしてのスキルが、メキメキと上がっていった(開発にはゲームエンジンのUnityと、ノベルゲーム制作用アセット『宴』が使用された)。もともとゲーム業界志望だった蒼井氏は、この開発経験を糧に就職活動を進め、首都圏のゲーム会社に内定を得た(※)。谷津氏も開発中にゲーム会社への転職を決めている。このように本作はチームメンバーにとって、大きな転機をもたらすものにもなった。
2021年4月のリリースを経て、現在は小康状態のチーム。今後もノベルゲームを中心にゲームのリリースを続け、ブランド力を上げていきたいという。そこには人材育成の意味も含まれている。ゲーム開発の過程で実力をあげ、ゲーム業界に進んだ蒼井氏のように、新たな人材の苗床になること。そして「魚津市をゲームの街にすること」に貢献することが、あらたな目標に加わったからだ。「自分と谷津さんがいれば、ゲームは作れる。安心して学生を育てられる場を作りたい」と森影氏は語る。
地元にゲーム産業が存在しない魚津市では、人材育成が鍵を握る。地方自治体がゲームの産業育成政策をとり、そこで育ったゲーム開発者が、さらに若い世代の人材育成にとりくむという流れが生まれれば、理想のループになるだろう。公立学校でプログラミング教育が始まり、ゲーム開発が導入教材に使われる中、こうした取り組みは全国に広がっていくことが期待される。つくるUOZUからどのようなゲーム、どのような人材が輩出されていくか、注目していきたい。
※当時の事情は蒼井氏のブログ「チーム開発をして感じたこととか、いろいろ振り返る」に詳しい