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米国が懸念するロシアのINF(中距離核戦力)全廃条約違反疑惑とは何か

小泉悠安全保障アナリスト

7月29日、米国務省は軍縮・不拡散に関する議会向け年次レポートを公表し、この中で「ロシアがINF(中距離核戦力)全廃条約を遵守していない」と指摘した。

1987年に同条約が締結されて以降、初めてのことである。

そこで以下では、そもそもINF条約とは何であり、ロシアがどのような形でこれに違反している可能性があるのかについて解説する。また、この問題についてはロシアも以前から様々な主張を行っていることから、ロシア側の主張も併せて紹介したい。

INF全廃条約成立の経緯

RSD-10ピオネールIRBM
RSD-10ピオネールIRBM

1970年代、ソ連はRSD-10ピオネール(NATO側の名称はSS-20)と呼ばれる中距離弾道ミサイル(IRBM)の配備を開始した。RSD-10の射程はおよそ5500kmと、大陸間弾道ミサイル(ICBM)にはわずかに及ばない。つまり、米国を攻撃することはできないが、欧州ならばソ連の奥地からも短時間で攻撃できる。しかもRSD-10はこれまでソ連が配備していた各種IRBMよりも射程と命中精度が向上し、弾頭は複数個別誘導弾頭(MIRV)化され、その上、道路上を移動することが可能となっていた。

RSD-10の配備は、米国に真剣な懸念をもたらした。米国には届かないが欧州には届くミサイルが出現したことで、「米国に被害が及ばず、欧州だけが攻撃を受ける事態において米国の抑止力は機能するのか?」という疑念が生まれたのである。米欧離間(デカップリング)の危機であった。

これに対してNATOは、ソ連に対してRSD-10の配備中止を求める一方、対抗手段としてパーシング2 IRBMやBGM-109G地上発射巡航ミサイル(GLCM)といった独自の中距離核兵器の配備を開始するという「二重路線決定」を下す。

だが、このような「二重路線」をソ連が呑むはずもなく、欧州では米ソの中距離核戦力の増強が続き、欧州戦域内での限定核戦争の可能性が高まるという皮肉な結果を招いてしまった。

もっとも、このような事態はあまりにも危険であり、1985年には「新思考外交」を掲げるゴルバチョフ政権がソ連で成立したこともあって、米ソは中距離核戦力の規制に向けた話し合いを本格化させる。その結果が、1987年に結ばれたINF全廃条約であった。

INF全廃条約の概要

INF全廃条約は、射程500-5500kmの地上発射弾道ミサイル(GLBM)及びGLCMを米ソが全廃するとともに、今後の保有を全面的に禁じたものである。

正確に言えば、同条約では射程500km以上1000km未満のGLBM及びGLCMを「短距離ミサイル」、射程1000km以上5500km未満のGLBM及びGLCMを「中距離ミサイル」と分類している(両者には廃棄完了までの期間などに関して若干の相違があるが、ここでは省く)。

既存のINFを廃棄するプロセスは1991年までに完了し、その後の履行状況を監視する検証措置も2001年まで実施されたのち、違反なしとして終了した。

一方、現在問題になっているのは、新たなINF配備の禁止に関する規定である。INF全廃条約第6条第1項は、この点について次のように規定している。

INF全廃条約第6条

第1項 本条約の発効後、両国は以下の行為を禁じられる。

a) 中距離ミサイルの生産若しくは飛行試験又はこの種のミサイルの一部ステージ又は発射装置の生産を行うこと

b) 短距離ミサイルの生産、飛行試験若しくは発射又はこの種のミサイルの一部ステージ又は発射装置の生産を行うこと

このほかにも細かい付帯条項がたくさんつくのだが、要するにINF条約が対象とする射程距離のGLBMやGLCMは生産することも試験発射することも一切禁止である、ということだ。その一方、INF条約は、米海軍のトマホークのように洋上から発射される巡航ミサイルや、これに関連した陸上テスト施設等については規制外としている。

また、有効期限が区切られているSTART条約などと異なり、INF全廃条約はどちらかが脱退を申し入れない限り無期限に有効である点も大きな特徴だ。

ロシアによるINF全廃条約違反疑惑

このINF全廃条約にロシアが違反している、という疑惑はこれまでにも幾度か取りざたされてきた。

詳しくはこちらの拙稿(WSI DAILY 2014/7/29)で触れたが、ここ数年、米国の政府高官やタカ派議員の間で、この種の話は繰り返し持ち上がってきていたのである。

では、ロシアはどのような形でINF違反疑惑が持たれているのだろうか。大きく分けて、これにはGLCMに関するものとGLBMに関するものとがある。

(1)イスカンデル-K地上発射巡航ミサイル

国務省のレポートには具体的な違反の内容は記載されていないものの、米国務省のサキ報道官が今年1月に述べたところでは、ロシアは「中距離巡航ミサイル」を開発している可能性があるという(2014年1月29日付『ニューヨーク・タイムズ』)。

その有力候補の一つが、イスカンデル-K地上発射巡航ミサイル・システムだ。短距離弾道ミサイルであるイスカンデル-Mについては小欄でも度々お伝えしてきたが(たとえばこちらを参照)、イスカンデル-Kはこれと同じ発射プラットフォームにR-500巡航ミサイル(海軍の装備する3M14巡航ミサイルの陸上バージョン)を搭載したものだ。

R-500の公式な射程は300kmとされているが、ベースとなった海軍型の3M14は600-900kmの射程がある。また、ロシアの軍事専門家たちはR-500の射程を1000-3000kmなどとしており、実際には相当の長射程ミサイルである可能性も考えられよう(前述のサキ報道官が述べた「中距離」巡航ミサイルという表現がINF全廃条約の用語法に従っているのであれば、少なくとも1000kmは超えていることになる)。

ロシア国防省のサイトに掲載されたイスカンデル-Kと見られる画像
ロシア国防省のサイトに掲載されたイスカンデル-Kと見られる画像

イスカンデル-K計画の存在自体は早くから知られており、2007年5月には最初の発射試験が実施されたと言われていたが、ロシア軍への配備は確認されていない。だが、今年6月20日、ロシアのショイグ国防相が西部軍管区第26ロケット旅団を訪問した際のプレス資料の中には、R-500らしき細長いミサイルのキャニスターを搭載したイスカンデル用プラットフォームがはっきりと映っていた。英IISS(国際戦略研究所)のバリーとボイドは、これがおそらくイスカンデル-Kであろうと最近のレポートの中で結論している。

とすると、すでにイスカンデル-Kはロシア軍に配備済みか、何らかの試験運用が行われている段階であるとも考えられよう。

(2)RS-26ルベーシュ弾道ミサイル

疑惑の目を向けられているもうひとつの対象が、現在開発中のRS-26ルベーシュ弾道ミサイルである。表向き、RS-26はミサイル防衛網突破用の極超音速弾頭を搭載した小型ICBMということになっているが、実際にはより射程の短いIRBMではないかと指摘されている。

というのも、2011年から2013年までに実施された4回の発射試験のうち、2回はカプスティン・ヤール演習場からカザフスタンのサリ・シャガン(直線距離2000km)というごく近距離で実施されているためだ。通常、ロシアのICBM実験はカムチャッカ半島のクラに向けて5000km以上の射程で発射するので、RS-26の試験方式はかなり特異だ。

RS-26のプラットフォームになると言われるMZKT-27291
RS-26のプラットフォームになると言われるMZKT-27291

加えてRS-26はその発射プラットフォームのサイズなどから相当の小型ミサイルであると推定されており(RS-24ヤルスICBMから第1段目を取り払ったとも言われる)、核弾頭を搭載した状態で米本土まで飛行するのは困難であると考えられている。

ロシア戦略ロケット軍によると、RS-26の配備は2015年には始まる予定だ。

INF全廃条約に関するロシアの主張

ここでロシア側のINF全廃条約に関する見解も紹介しておきたい。

ロシアが同条約に疑義を呈するようになったのは、東欧へのミサイル防衛システム配備が先鋭化しつつあった2007年のことである。同年、プーチン大統領やイワノフ国防相(当時)、バルエフスキー参謀総長(当時)らがこぞってINF全廃条約は「誤り」あるいは「冷戦時代の遺産」であるとして、米露以外の他国もINF全廃条約に参加させるか(「INFのグローバル化」論)さもなければ条約から脱退することをほのめかし始めた。

INFを米国のミサイル防衛計画に対する「非対称的対抗手段」として位置づけるとともに、米露以外の第三国(主として中国が想定されていると考えられる)が自由にINFの配備を進めている現状ではINF全廃条約は不公平だというのがロシア側の主張である。

このような主張は一時期なりをひそめたが、オバマ米政権の「リセット」政策が行き詰まり、米露関係が再び先鋭化し始める中の2013年6月、イワノフ大統領府長官が「INF全廃条約を無期限に継続することはできない」と述べたことが波紋を広げた。

現在のところ、ロシア政府が公式にINF全廃条約からの脱退を表明しているわけではないが、脱退論は常に政府や軍の対米強硬派内でくすぶり続けている。

また、条約脱退派は、条約違反を犯しているのはむしろ米国の方だというロジックを展開している。

最近の論調から代表的なものを拾い上げてみると、次のようなものが挙げられる。

・米国がミサイル防衛実験の標的として使用しているトライデント潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の改造型は射程が3000-5500kmであり、INF条約が禁じるGLBMにあたる

・米国の長距離無人攻撃機はINF全廃条約が禁じるGLCMに該当する

・米国が欧州ミサイル防衛計画の一環として配備を計画している「イージス・アショア」(いわゆるイージス艦のレーダーや管制システム、ミサイル発射装置などを丸ごと地上に設置したもの)からは迎撃ミサイルだけでなくトマホーク巡航ミサイルを発射可能であり、INF全廃条約が禁じるGLCM発射機に該当する

イージス・アショア完成予想図(米弾道ミサイル防衛局より)
イージス・アショア完成予想図(米弾道ミサイル防衛局より)

以上のうち、特に多く言及されるのが最初の標的ミサイルの件だ。INF全廃条約第7条には、「あるタイプのGLBMが、地球の表面に置かれていない目標を迎撃又はこれに対抗する目的のためだけに開発及び実験される場合、当該のミサイルには本条約の規制が摘要されないものと見なす」との規定がある。しかし、これはGLBMを迎撃ミサイルそのものに転用するような場合を想定したものであって、標的として使用する場合に制限外になるとは読み取れない、というのがロシア側の主張のようだ。

一方、無人機についてはほとんど言いがかりというほかなく、そもそもロシア自身もこの種の長距離無人機の開発を進めている事実とも整合しない。

最後の「イージス・アショア」については、たしかにSM-3迎撃ミサイルを収容するMk.41垂直発射装置(VLS)はトマホークの発射装置も兼用しているため、ロシア側の主張が一理あるように思われる。今後、トマホークの発射が不可能な形に改修するなど、何らかの措置が必要とされる可能性もある。

INF全廃条約の今後

以上で見たように、ロシアは様々な形でINF全廃条約に違反している可能性がある。これについては早い段階から様々な形で疑惑が指摘されてきたが、今回、米国務省が公式に違反を指摘したことは、一つの転機となろう。

一方、ロシア政府からの公式の反応はまだ見られない、今回の件でロシア政府が直ちに違反を認めたり、是正することも考えにくい。しかもイスカンデル-KやRS-26はすでに配備間近の状態にあると思われ、配備を未然に防ごうとすれば時間的余裕はあまりにも少ない。もし、これら疑惑の兵器の実戦配備が始まれば、その配備撤回がミサイル防衛問題と並ぶ安全保障上の一大問題となる可能性もある。

特に懸念されるのが、イスカンデル-Kのカリーニングラードへの配備だ。以前からロシアは、米国のミサイル防衛計画に対抗するためにイスカンデルをバルト海の飛び地カリーニングラードに配備することを示唆してきた。だが、(筆者自身も見落としていたが)ロシアはあくまで「イスカンデル」としか言っておらず、短距離弾道ミサイル型のイスカンデル-Mと明示的に限定していたわけではない。イスカンデル-Mの射程は500kmに過ぎず、攻撃可能範囲は大きく制限されるが、イスカンデル-Kがこれまで見たような射程1000km超の中距離GLCMであった場合、中東欧の大部分を射程に収めることが可能となる。

折しもウクライナ問題を巡って米露関係が緊張する中で、INF問題の今後が俄かに脚光を浴びる可能性が出てきた。

安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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