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トリクルアウトの経済:売られゆくロンドンとディケンズの魂

ブレイディみかこ在英保育士、ライター

今年のクリスマスの英国の話題といえば、「クリスマス・キャロル」の舞台ロンドンで、ディケンズの精神を発揮しようとしたスクワッターたちの話だった。LOVE ACTIVISTSを名乗る若者たちが、長いこと空き家になっている元ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドのビルをクリスマスに占拠し、伝統的クリスマス・ランチ(七面鳥、野菜のトリミング、クリスマス・プディングなど)を作って路上生活者に提供しようとしたのである。ガーディアン紙が12月23日にこの話題を取り上げると、あっという間にネット上で話題になり、食料や調理器具、現金の寄付が殺到して本人たちも驚いたそうだ。

英国では2012年に居住用建物のスクワッティングは刑事犯罪になったが、商業用建物のスクワッティングはいぜんとして民事上の不法行為のままだ。よって不動産所有者は、スクワッターを追い出すために裁判所の命令を取りつけなければならない。アクティヴィストたちは、現在の建物のオーナーに、「クリスマスが終わったら、建物をきれいに掃除して元の状態にして去る」ことや「わざわざ提訴して、貴重な金や時間を無駄にすることは賢い判断ではない」という旨を手紙にしたためて送ったという。オーナーからの返事は来なかった。アクティヴィストたちはこれに油断し、占拠を実行した。彼らには、ずっと見捨てられている建物を一日(しかもクリスマス)だけ路上生活者たちに開放することはそんな悪いことだとは思えなかったのである。

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が、クリスマス・イヴの日、建物所有者である企業は、高等法院から緊急差し止め命令を取りつけて、彼らを建物から退去させようとした。しかし、アクティヴィストらはバルコニーに立ち十時間の抗議運動を展開する。ネットやラジオなどでこの件を知り、彼らを応援する人々が集まって声援を浴びせ始めた。

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こうした声を意識したのか、高等法院の裁判官は、彼らが建物内に戻ってホームレスのためにクリスマスのごちそうを料理することができるように、差し止め命令の内容を変更した。おお、さすがディケンズの国、とわたしなどは驚いたものである。

が、その報せを受けて建物内に戻った彼らを待っていたのは警察だった。彼らはその場で逮捕されたのである。しかしなぜか彼らは6時間身柄を拘束されただけで何のお咎めもなく全員釈放されている。

釈放後、アクティヴィストたちは、七面鳥ではなく、サンドウィッチを作ってホームレスの人々に配った。そして「食料や現金を寄付してくださった方々、返還を希望する人には速やかにお返しします」とツイッターやガーディアン紙上で呼びかけている。

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「UKには150万戸の空き家になっている住宅があり、11万人の路上生活者がいます。建物内を荒らして破壊するスクワッターは昔の話で、本当に住む場所がない人々は、調子の悪い部分は修理し、普通の住宅と同じようにたいせつに住みます。路上生活者の中には、空き家の家主に掛け合い、建物の修繕と警備をする条件で無料で住ませてもらっている人々もいます。政府は、長期間空き家になっている不動産に、ホームレスが短期間住むことができるような法の整備をすべきです」と同団体のクレア・ポーリングは書いている。

彼女自身もまたホームレスだそうだ。ロンドンでウエイトレスとしてフルタイムで働いていたが、フラットの家賃が急騰し、もはや払えなくなって路上生活者になったという。

ロンドンの住宅は「海外の富裕層の貯金箱」と呼ばれている。ガーディアン紙によれば、中国、香港、マレーシア、シンガポールなどの海外企業が、30000戸の住宅が収められた集合住宅を所有しているという。アジア系海外企業によるロンドンの不動産開発は、海外の富裕層が「株より手堅い貯金箱」として買う超高級住宅を提供することが目的であり、そうした住宅はもはやミドルクラスの英国人にも手が届かない。こうした超高級住宅は「売れても誰も住まない家」と不動産関係者に呼ばれているという。主にアジア系富裕層をターゲットとして作られた高層マンションは煉瓦づくりの英国の街並みとは一線を画す近代的デザインのため、すでにロンドンの風景を変え始めている。こうした高層マンションは「買って貸す」ことさえされずに無人で放置されているため、テムズ河畔は「ゾンビ・タウン」と呼ばれ始めている。

「英国は、今こそ伝統的ブリティッシュネスに立ち返るべき」と主張して首相になったのはデヴィッド・キャメロンだが、彼が率いる保守党のロンドン市長、ボリス・ジョンソンは「ロンドンの都市開発には海外資本の協力が必須」と言って首都を海外投資家に売りさばいた。この二枚舌政治で、彼らは赤い煉瓦のディケンズの街を高層ビルの街に変え、富者と貧者が対立したり助け合ったりして「生きていた」ロンドンをゾンビ・タウンに変えた。

一国の政権がやたら「我が国らしさを取り戻せ」などと精神論で愛国を語る時には、その裏側で、形あるものが海外の金持ちにばんばん売られているという現実がある。

ほんの二年前まで英国で居住用建物のスクワッティングが違法でなかったのは、「個人や企業が住宅を長期間空き家にすること=人間が住むべき場所を貯金箱にすること」を阻止する合理的なカウンター措置でもあった。この法の改正も海外投資家誘致の一環だったとすれば、英国はもはやディケンズの精神すら売ったことになる。

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クリスマスにロンドンで起きたLOVE ACTIVISTSの事件についてガーディアン紙が書いた記事に、こんな読者コメントが寄せられていた。

●「他人の不動産に勝手に入り込んで慈善を施そうというのが間違っている。前もってすべての企業に連絡を取り、路上生活者に七面鳥を食べさせたいのでビルを貸してくれと頼めば良かったではないか。むろん、金融街シティの全ての企業がノーと言っただろうが」

●「誰だって勝手に自分の持ち物を使って何かをされたら腹が立つ。その目的が何であれ、そんなことは関係ない」

●「若者がこういう草の根の運動をしているとは頼もしい。今は潰されても、きっと将来、芽を出すだろう」

●「BBCニュースを見ていても、セント・ルイスで起きていることに詳しくなるばかりで、ロンドンで起きていることは全く報道されていなかった。これって、センサーシップってやつ?」

●「夥しい数の商店が、住宅が、オフィス・ビルが、無人の空き家になっている。我々の街は海外の投機家に占領されている。なのに右翼政党支持の排外主義者たちは、不幸の元凶はすべて移民労働者なのだと信じている。なんと気が滅入る、滅茶苦茶な状況だろう」

●「保守党政権は『トリクルダウンの経済』を吹聴して国民を騙した。それは単に国民から大切なものを盗んで外国人に売りさばく『トリクルアウトの経済』だったんだ

在英保育士、ライター

1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)、『アナキズム・イン・ザ・UK - 壊れた英国とパンク保育士奮闘記』、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝 』(ともにPヴァイン)。The Brady Blogの筆者。

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