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温家宝の投稿はなぜ消えたのか?

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
2012年の温家宝(写真:ロイター/アフロ)

 3月から4月にかけて『澳門導報』に掲載された温家宝の母親追憶集が中国のネットから消えた。中国共産党内の条例に基づいて考察するに、温家宝自らが取り下げた可能性が最も高いと判断される。

◆『澳門導報』に掲載された温家宝の追憶集の問題点

 今年3月25日から4月15日にかけて、『澳門導報』に【清明追憶】我的母親(私の母親) というタイトルで、温家宝前国務院総理が自分の母親を追悼する追憶集が4回にわたって連載された。

 一言一句漏らさずつぶさに読んだが、この私でさえ、「これは国家のトップに立っていた前国務院総理として使うべき単語ではないのでは?」と思われる個所が最後にあった。

 それは文末にある数行ほどの、以下に示す文章の中で使われている。

 ――私は貧しい人に同情し、弱者に同情し、いじめや圧迫に反対します。私の心の中にある中国は、公平と正義に満ちた国であるべきで、そこには人の心や人道および人間の本質への尊重があるべきで、そこには永遠なる青春と自由と奮闘の気質がなければならない。私はそのために声を上げてきたし、奮闘しても来た。これはこれまでの生活が私にわからせてきた心理で、母が私に授けたものでもある。

 これらの主張は、自由主義国家で生活する者からすれば、至極当然で、むしろ民主主義国家の価値観に合致する。

 しかし、温家宝は今もなお中国共産党党員であるだけでなく、何と言っても国家のトップに立っていた国務院総理という立場だった人間だ。中国のような一党支配体制を構築している国家からすれば、「引退すれば何を言ってもいい」ということではないし、ましてやまだ党員である以上、党規約や条例を守らなければならないだろう。

 上記引用文で問題なのは日本語で「あるべき」とか「なければならない」と翻訳するしかない中国語の二文字「応該(インガイ)」(~であるべき)である。

 この「応該」は軽い意味合いで使われることもあるが、場合によっては仮定的意味合いを含んで、厳格に「(今は違うが本来なら)~であるべきだ」というニュアンスを含むこともある。

 ここは、国家を論じているだけでなく、最後の「結論」として「重く」用いているので、厳格な意味合いであることは容易に想像がつく。

 となると、この「応該」は「今はそうでないが、こうあるべきだ」という「現状否定」を示唆することになる。

 社会に責任を持っていない巷の若者が発する言葉なら、まあスルーしてしまうところかもしれないが、「中国共産党を代表する中共中央政治局常務委員会委員(チャイナ・ナイン)の党序列3位にあった国務院総理」の発言としては「党への責任感に欠け」、中国共産党党員に対する数々の条例にも抵触する。

◆党員権利保障条例「異議は党内で議論せよ」に違反

 温家宝が国務院総理に選ばれた翌年の2004年9月22日に「中国共産党党員権利保障条例」が発布された。温家宝は党内序列3位のチャイナ・ナインとして、この条例を審議し(2004年9月9日)、9月22日に批准することに署名している。自分自身が当時の胡錦濤中共中央総書記・国家主席とともに審議議決した条例だ。

 その第16条に何と書いてあるか(以下、概要)。

第16条: 党員は、党内で異論を唱える権利を有する。党の決議や政策に対して異議がある場合は、党の上位組織、さらには中共中央に反映させる権利を有する。但し党員は、中央の決定と一致しない意見を公けの場で公開発表してはならない。

 つまり「党内であるならば、いくらでも異なる意見を申し立て論議してもいいが、党外に、党と異なる意見を公開発表してはならない」と厳重に書いてある。これは2020年12月25日、中共中央においてさらに修正され、改めて通知を発布している。

◆中国共産党紀律処分条例「妄議中央大政方針」に違反

 この「厳重さ」は、中国共産党紀律処分条例において、さらに極まっている。

 本条例はまさに温家宝が国務院総理に就任した2002年の12月に、中共中央が発布したもので、「中国共産党規約」に基づいて制定された党内規定で、中国共産党員の言動を強く縛るものである。

 習近平政権になった2015年10月22日に改めて新修訂「中国共産党紀律処分条例」として発布された。

 その第四十六条に以下の規定がある。

 第四十六条:インターネット、ラジオ、テレビ、新聞雑誌、書籍、講座、論壇(フォーラム)、報告会および座談会などの手段を通して、中央政府の重大な施政方針に関して妄言を吐き(妄信的に議論し=妄議し)、党の集中統一を破壊した者で、その情状が重大である場合は、党から除名する。

 (四十六条の三には、「党や国家のイメージを毀損し、党や国家の指導者を誹謗中傷したり、党や軍の歴を歪曲した者に対しても、一定期間の保護観察あるいは党から除名する」旨のことが書いてある。)

 これは反腐敗運動を断行する際に中共中央で定めたものだが、温家宝自身が2003年12月に強く主張して胡錦涛とともに制定したのだから、これに違反するということは、あってはならないことだろう。

◆温家宝自身が取り下げたと判断される根拠

 そこで、『澳門導報』に連載した追憶記を取り下げたのは温家宝自身だろうということが推測されるのだが、その判断根拠になったプロセスをご説明したい。

 第4回目の連載が4月15日に公開されると、4月16日には中国大陸内でいくつかの、あまり大きくないサイトやWeChat(ウィ・チャット)(微信)の個人サイト「温暖世界」などが転載した。しかし4月17日になると、転載を抑える動きが見られ、中には削除されるものが現れた。

 これは明らかに中宣部(中共中央宣伝部)が内部で待ったをかけ、論議が生じたものと推測できる。中宣部はすぐさま中共中央紀律検査委員会にお伺いを立てただろうが、この段階になると、必ず温家宝の耳に入る。

 なぜなら前国務院総理だ。素早い情報キャッチと報告は、くまなく温家宝の周りにも張り巡らされているからだ。

 自分の文章に関して党内で「争議」が生じたことを知った瞬間、温家宝ならすぐさま自分の「過ち」に気づき、「自ら取り下げる」はずだ。

 なぜなら、もうかなり昔の話になってしまうが、 温家宝がまだ中共中央書記処の書記をしていたころ(90年代半ば)、私は何度か彼に会っている。中央弁公庁に筑波大学時代の教え子がいた関係からだ。温家宝は素朴で威張らず、誠実な人だった。

 私は1941年生まれで、彼は1942年生まれ。

 中国建国後の1950年には朝鮮戦争が起きて、私は朝鮮族が多い吉林省朝鮮族自治州の延吉から天津に行き、そこで建国後の息吹を鮮烈な形で経験している。

 一方、温家宝も天津で生まれ育っている。

 私が「天津で育った」と自己紹介すると、温家宝は「そうですか!では私たちは同郷ですね!」とえくぼを作りながら歓迎してくれた。こういう時に「同郷だ」という言葉を出すのは、心理的に距離を縮める。

 彼には、何というか、やや「うっかり」なところがあった。

 1965年になってようやく入党している温家宝には、何か「緩い」というイメージを与える庶民的なところがある。

 だから母親への追慕のあまり、うっかり「応該」という言葉を使ってしまったのではないだろうか。おまけに、その後に続く文章に、なんと「母が私に授けたものだ」と書いている。

 となると温家宝の「うっかり」が咎められた場合、彼が最も敬慕する母親を巻き添えにして罪を負うことになってしまう。だから温家宝はすぐさま「自ら」取り下げると中央に告げたものと推測されるのである。

◆元党幹部長老

 温家宝に最初に会った90年代に知り合いになった、今ではもう90近くになる長老がいる。元党幹部で、中国共産党のやり方に必ずしも賛成できず、党を自ら脱退し、今では「非党員」だ。

 だから気楽に連絡できるが、しかし多くを語ろうとはしないので、私は自分が出した「結論」だけを彼に告げた。

 すると彼は「その通りだ!」とひとこと答えた上で、「妄議中央を調べろ」と忠告してくれた。

 それが上述した条例である。

 温家宝の投稿が消えたことに関して、日本には「習近平が文革を起こそうとしている」などという「妄想」に近い論議(=妄議)を展開する人がいるが、あまりに的外れとしか言いようがない。

 習近平がなぜ「毛沢東回帰」と思われる言動を行っているかに関しては拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』で詳述したが、上述の「異なる意見を論議すること」に関して、習近平の父・習仲勲は「党内だけでなく、一般庶民にも異論を唱える権限を与えるべきだ」と主張し続け、1990年に二度目の失脚を鄧小平によって強行された。そのことも拙著で詳述した。

 習近平が言論の自由に関して親の理念に背いて、これまでで最も厳しい「中国共産党紀律処分条例」(2018年に再修訂)を出しているのは、一党支配体制を維持するためには言論弾圧が不可欠だということの証左であり、習近平政権のアキレス腱でもあることに注目したい。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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