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<朝ドラ「エール」と史実>父が最期に聴いたのは「船頭可愛いや」ではなく軍歌だった?

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
福島市 信夫山 烏ヶ崎展望デッキ(写真:アフロ)

視聴率も20%台と好評の朝ドラ「エール」。単純計算で視聴者2000万人なので、ご覧になっている方も多いのではないでしょうか。

今回の主人公のモデルは、作曲家の古関裕而です。昭和を代表する大衆作曲家であり、「六甲おろし」「モスラの歌」「オリンピック・マーチ」などの作品で知られ、生涯の作品数は5000曲ともいわれます。

朝ドラはあくまでフィクションという建前なのですが、史実をたくみに盛り込んでおり、それが見どころのひとつとなっています。

ただ、その盛り込みかたはしばしばマニアックすぎて、「さすがNHK、よく調べているな」と感心するいっぽうで、「これわかるの、地球上で100人もいないのでは?」とも考えます。

そこで、ここでは毎週、朝ドラのどこの部分が史実と関係しているのか、注目ポイントを紹介していきたいと思います(筆者は、評伝『古関裕而の昭和史』を書いたばかりなので、史実にかんしては詳しいです)。

では、先週の第11週「家族のうた」から行ってみましょう。テーマはズバリ、「父が最期に聴いたのは軍歌だった」です。

ドラマでは、主人公・古山裕一の父が胃癌で亡くなります。裕一は長らくヒット曲が出せなかったのですが、「船頭可愛いや」でようやく成功。父はこれを喜びつつ、旅立ちます。

これは、ほぼ史実どおりのエピソードですが、違うのは、最期に聴いた古関メロディーは「船頭可愛いや」ではなく、どうやら軍歌「露営の歌」だったということです。

この年[1938年]、父が亡くなった。危篤の知らせを受けて急いで帰福したが、間に合わなかった。「露営の歌」が私の曲だと知って喜んでくれたのも束の間。それまでは私のヒット曲をあまり知らない様子だった。しかし、この歌が全国を風靡し、上京の折親戚から「演歌師の片棒かつぎが関の山だろう」と非難を受けたことは帳消しにしてもらえたのではないかと、せめてもの親孝行だと思い冥福を祈ったのである。

出典:古関裕而『鐘よ鳴り響け』

「露営の歌」は、日中戦争の初期に作られ、半年で60万枚も売れるほど大ヒットしました。地元の福島でも出征兵士を送るのに使われたので、古関の父も耳にしたのでしょう。

古関の母も、こんな手紙を送っています。

婦人会で出征兵士を見送りに行くと、皆が小旗を振って、お前の作った歌ばかり歌います。近所の人々も「息子さんの作った歌ですってねえ」と声をかけてくれたりして、何となく晴れがましい気持ちです。

出典:前掲書

当時としては「誇らしい」ことだったはずです。とはいえ、現在の朝ドラで「軍歌で成功! バンザイ!」はむずかしかったのでしょう。そのため、「船頭可愛いや」に切り替えられ、父の死は戦争前に早められてしまいました。

今回の「朝ドラ」では、軍歌をどう扱うのかが注目されています。古関は、たくさんのヒット軍歌を送り出したからです。

この週では、エピソードのひとつが付け替えられてしまったわけですが、今後はどうなるのやら。引き続き、注目していきたいと思います。

※今回スタートした連載なので、11週よりはじまっています。今後、さかのぼって以前の週についても記事を投稿する予定です。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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