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ナイジェル・マンセルがF1日本グランプリに登場する!記憶に残る名物ドライバーに会える!

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
ナイジェル・マンセル 【写真:MOBILITYLAND】

2014年10月2日〜5日に鈴鹿サーキット(三重県)で開催されるF1日本グランプリに、伝説のドライバー、ナイジェル・マンセルがゲストとして登場することになった。F1日本グランプリウィークのイベントで、懐かしいウィリアムズ・ホンダFW11をデモンストレーションランする他、様々なトークショーイベントにも出演する。

記憶に残るマンセルの伝説

ナイジェル・マンセルは1980年代〜90年代を代表するF1ドライバーの一人だ。日本のF1ブーム期にはセナ、プロスト、ピケと並ぶF1の四天王的な存在。中でもマンセルはキャラクター面で個性が際立っていたおり、他のドライバーとは違う視点でファンから愛されたドライバーだった。口ひげを生やしたマンセルのスーパーマリオのような風貌は誰にも覚えやすく、親しみやすかったことも数多くファンを獲得した理由だろう。走りでは「ライオンハート」と形容されたアグレッシブに攻める姿勢、マシンを壊す事もじさない諦めない姿勢はまさに日本人の心に響くものがあったし、戦いを終えた後のゆったりとした表情はこれまた他のドライバーとは違う雰囲気があった。

親近感が沸くキャラクターからか、日本のファンはナイジェル・マンセルのレース人生をいろんな角度から楽しんでいたような気がする。家庭環境が恵まれた貴族的なドライバーも多い中、マンセルは労働者階級の家庭で育ち、資金面でも苦労しながらF1までの階段を登り詰めた。苦労人であることに加え、ロータスからF1デビューしてからもチャンピオン獲得までの過程で不運が何度も襲い、長年に渡って「無冠の帝王」と呼ばれていた。大らかなマンセルの醸し出す雰囲気とは裏腹に波瀾万丈だった彼のレース人生はとてもギャップがあり、応援したくなった人も多いはずだ。

もちろん、キャラクター面だけでなく、ドライバーとしての実力も折り紙付き。1992年にF1で念願のチャンピオンを獲得してからは、93年にはアメリカのCART(現・インディカー)に参戦して、いきなり初年度でチャンピオンに輝くなど、レーシングドライバーとしての実力の高さも当然、マンセル人気を後押ししていた。

ナイジェル・マンセル 【写真:MOBILITYLAND】
ナイジェル・マンセル 【写真:MOBILITYLAND】

レース引退後は?

CARTでさらにレースのキャリアを積み重ねた後、マンセルはF1に94年のシーズン終盤、95年の序盤に参戦するがF1ドライバーとしては事実上、引退した。2010年のルマン24時間レースにレーシングドライバーである2人の息子たちと共に参戦したことも話題になったが、表舞台に出てくる事は多くなく、日本との接点も多くはなかった。鈴鹿にやってくるのは最後に鈴鹿でのF1日本グランプリに挑んだ1994年以来、20年ぶり。

マンセルにとって、鈴鹿での最高成績は最後の1994年の4位。それまでの1987年〜92年まで一度も優勝はおろか、表彰台、ポイント獲得、完走すらない、苦い思い出ばかり。そんな地、鈴鹿に彼はどんな心持ちでやってくるのだろう。日本のベテランF1ファンの拍手喝采を受けた時、彼は英国人だけでなく、日本人にとっても「愛すべき息子」だったことを実感するかもしれない。さぁ、マンちゃんに会いに行こう!

鈴鹿サーキット F1日本グランプリ公式サイト

【ナイジェル・マンセル】

1953年生まれのイギリス人F1ドライバー。1980年からF1で活躍。1992年には「ウィリアムズ・ルノー」で悲願のワールドチャンピオンを獲得。その後、アメリカのCARTに参戦し、インディ500にも出場。母国イギリスでは「大英帝国の愛すべき息子」と呼ばれ、多くのファンに愛されたレーシングドライバー。現在は中古車ディーラーのオーナー。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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