体操元日本代表・田中理恵さんインタビュー「性的画像、現役時代の記憶と取材攻勢」
「当時の思いをお話しします」
体操元日本代表の田中理恵さんが、胸に秘めていた思いを明かした。
2010年の世界体操選手権で、最も美しい演技をした選手に贈られる「ロンジン・エレガンス賞」を日本人女子として初受賞。2012年には、兄・和仁選手、弟・佑典選手の3きょうだいでロンドン・オリンピックにも出場し、一躍、時の人となった。
明るく、いつも笑顔。世間が持つ“田中理恵”の印象はきっとそうだろう。しかし、その笑顔の裏には悩みもあった。
引退から7年。現役時代の苦悩や日本オリンピック委員会(JOC)が問題視する“性的画像”についても口を開いた。撮られる側はどんな心境だったのか――。次世代の女性アスリートへ伝えたいメッセージとは。
「脚を開いた瞬間に聞こえる音があるんです」
――まず初めに。最近、女子選手の性的画像がインターネットで拡散される問題がニュースで取り上げられています。この問題への感想は?
いろいろと思うことはあります。体操の衣装はレオタードなので、標的になりやすいです。私は2010年くらいから注目されるようになり、試合に出たときに嫌な思いをたくさんしました。例えば、段違い平行棒の演技で脚を開いた瞬間に聞こえる音があるんです。
――その音とは?【注1】
脚が開いたときにカメラのシャッター音がカシャっと鳴るんです。体が柔らかいことを表現する演技ですから脚を開きます。その瞬間に必ず音が鳴っていました。本当は一番きれいな倒立をした姿を撮ってもらったらいいのに……。
――演技中でもカメラの音は聞こえている?
完璧に聞こえます。応援してくれる声も聞こえますが、カメラの音も聞こえているんです。当時は美人アスリートと書かれたりもしましたが、試合中の写真が雑誌の“袋とじ”になったこともありました。突然、友達から「理恵ちゃん、(雑誌に)出ていたよ」って見たら「袋とじじゃん!」っていうオチでした。私は男兄弟に挟まれて育ったせいか、性格がサバサバしているので、「もう最悪」っていう感情で、そこまで気にしませんでした。でも、傷つく選手は必ずいます。体操はもう嫌だ、レオタードになるのも嫌と思う選手がいると考えると、拡散は防がないといけない。一生懸命、目標に向かっている中で、そういうことをされると悲しい気持ちになります。
――カメラが気になって試合に集中できなかったことは?
そういう写真が世に出だしてからは、気にするようになりました。出番を待っている間はできるだけズボンやスパッツをはいて、試合で演技をするときだけレオタード姿になるとかはありましたね。
性的画像問題をなぜ語ろうと思ったのか
――JOCが被害防止対策に乗りだしたことについては、「ようやく」という思いでしょうか?
動きだしたのはすごく良かったと思います。選手からは声を上げづらいです。そもそも体操は美しさを競う競技なので、レオタードを替えるのは考えたこともない。レオタードだからこその美しさ、芸術、表現力というものがありますので、レオタードは替えたくないですよね。
――つまりは撮る側の問題ですね。
私はそう思います。脚を180度開いている大ジャンプはとてもきれいです。でも見る角度が少し変わるだけで、すごくいやらしく見えてしまう。それを狙っているとしたら問題です。脚を開いている写真が悪いわけではないのですが、きれいに開いているから美しいんです。選手の気持ちを考えて、載せるか載せないかを考えてほしいです。
――声を上げづらいテーマをどうして語ろうと思われたのですか?
すごく悩んだのですが、ありのままをお話したいと思いました。特にSNSでの画像の拡散は、絶対に悩んでいる子たちはたくさんいると思っていましたから。私はこうした性格なので、悩まなかったのですが、試合がやりにくいと思っている選手もきっといるでしょう。でも、私でもがんばれたから大丈夫だよ、と。対策も考えないといけませんが、注目されるのもうれしいことだと伝えたかったんです。
「オリンピックのあと燃え尽きた」
田中さんは、子どもたちに体操の楽しさを伝える伝道師としての役割を果たす一方、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事と日本体操協会の理事も務めている。
2017年に一般男性と結婚し、翌年に第1子を出産。体操の魅力を広める活動だけでなく、子育て真っ最中の母親の顔ものぞかせる。
仕事と家庭の両立は、大変そうなイメージがあるが、終始見せる笑顔からは充実ぶりがうかがえた。
そして、現在の活動の礎となっているのが、ロンドン・オリンピック出場という実績だろう。世間から注目を集めた当時の記憶を振り返る。
――現在はどのように過ごされていますか?
体操教室やトークショーなどを全国で行いながら、体操の普及活動を続けています。また、2歳になる娘がいるのですが、すごくかわいいんです。最近は母のときと仕事のときのオンとオフをものすごく感じます。外に出るとハキハキしている“元体操選手の田中理恵”、家に帰ってきたら「これが現実」だと思わされます。子育てはオリンピックに行くよりも難しい(笑)。
――“元体操選手の田中理恵”という肩書きも25歳で出場したロンドン・オリンピックの功績が大きいと思います。
ロンドン・オリンピックは初めて緊張した大会でした。普段はあまり緊張しないタイプですけれども、五輪マークを見たときに「本当にオリンピック選手になれた」と感じた途端、曲も聞こえないぐらい緊張していました。フワフワした中で演技をしたのを覚えています。きょうだい3人で出られた幸せもありましたが、心境的には少し後悔しています。もっと若かったらやり直したかった。
――ロンドン・オリンピックの翌年には現役を引退されました。
オリンピックが終わった瞬間に燃え尽きました。「あれ、私のこれからの目標は何だろう」って。体操をもっと普及させたいと思っていましたが、明確な目標があったわけではなかった。「気持ちはあるけれども、どうやって体操を広めていけるんだろう」と悩んだ時期でした。
――2013年12月に開かれた引退会見のときの心境は?
何の目標もなく生活をしているときだったので、モヤモヤした気持ちで会見した思い出があります。体操界では引退会見をした人もいなかったですし、今思えば、大人の事情もあったのでしょう。だから、あれを見るのは恥ずかしいんです。「何の感情も入っていないんじゃない?」と自分自身に言いたくなります。
現役時代は「メディアを利用してやろう」
――人気選手だったことも関係していると思いますが、注目されていると感じていましたか?
注目されていると思っていました。でも、不思議だったんです。2010年にエレガンス賞を取ったあとに“田中理恵”を世間の人たちに知ってもらうことができましたが、オリンピックに出たあとの人生はどうなっていくのか分からなかったです。現役をやめたらどんな仕事に就くのか、女性としてどのように生きていくんだろうと……。あとは周りに大人がたくさんいましたね(笑)。当時は「あれ、プライベートがなくなってきているな」と感じることも多かったです。
――プライベートがなくなるぐらい苦労をされたんですね。
確かに苦労はしましたけれども、どちらかと言えば、私はメディアに勝ちたいという気持ちが強かったですね。注目されて、それにビビッて成績が落ちていく選手には絶対になりたくないと。逆にメディアを利用してやろうって。取材が毎日続いたときは「体を休ませてほしい。もう来ないでほしい」と正直思ったりもしましたが、注目されることで自分自身も強くなりましたね。今はいい思い出です(笑)。
――最後に。体操界の未来に向けてどういう活動をされたいですか?
2年前にはパワハラ騒動もありましたが、新たな体制になり、話し合いながら次に進む関係性を作れてきているので、すごく雰囲気は良くなっていると思います。私自身の活動としては、たくさんの子どもたちが集まって体操競技ができる環境を作っていきたいです。
「ありがとうございました」と取材のお礼を伝えたあとだった。田中さんが「でも、もしかしたら……」と最後に言葉をつなげた。
「(今回の取材は)私が独身だったら話していなかったかもしれません。子どもを産んで、女性としてもアスリートとしてもいろんな経験をさせてもらったからこそ、後輩たちには伝えたかった。写真を撮られてもめげないでほしい。注目されることをプラスに変えて、強くなってほしい。だって人生がそうした写真で終わったら嫌じゃないですか」
【注1】平成12年から撮影は申請制になった。平成16年からは観客による撮影は原則禁止となっている。
■田中理恵(たなか・りえ)
1987年6月11日生まれ。和歌山県出身。6歳から体操を始める。父親は体操クラブを開いており、母親も体操選手という体操一家で育った。2009年全日本選手権個人総合2位で注目を集め、2010年には世界選手権に初出場し団体5位入賞に貢献。個人総合でも決勝進出を果たし、日本人女子初の「ロンジン・エレガンス賞」を受賞する。2012年、全日本選手権個人総合で初優勝し、NHK杯も初制覇。兄の和仁選手、弟の佑典選手も五輪出場を決め、3きょうだいそろって、ロンドン・オリンピック代表に選ばれた。大会では団体8位、個人総合16位の成績を残す。2013年に現役を引退し、テレビやイベントなどに出演。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、日本体操協会理事を務める。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】