カジノドライヴ死す。アメリカ遠征時、藤沢和雄がとった一見奇妙な行動とは……
新馬を勝ってすぐアメリカへ遠征した理由
「血統のしっかりした馬だったからね。産駒も勝ち上がっているし、若いのにもったいないよね」
藤沢和雄は開口一番、そう言った。
現役競走馬時代、彼が管理していたカジノドライヴが昨年、2019年の夏に死んでいた事が分かった。日本のナンバー1調教師にその話を振ると、2008年の懐かしい話が口をついた。
カジノドライヴがデビューしたのは08年2月23日。京都競馬場、ダート1800メートルの新馬戦に武豊を乗せて走ると、楽々と逃げ切り。2着につけた差はなんと2秒3もあった。
そのデビュー戦は衝撃だったが、更に世間を驚かせたのは続いて発表されたこの後の予定だった。6月にアメリカ・ベルモント競馬場で行われる三冠最後の一冠ベルモントS(G1)に挑戦させるべく、4月29日には現地入りするというのだ。
「カジノドライヴは兄も姉もベルモントSを勝っている馬。この馬を山本(英俊)オーナーが買った時『3きょうだい連続でのベルモントS制覇が見られなくなる!!』とアメリカの競馬ファンが嘆いたと言うのです。オーナーも『これだけの血統の馬を日本で埋もれさせては彼等に失礼にあたる』と言うので、厩舎としてその希望に沿えるように動きました」
兄のジャジルと姉のラグズトゥリッチズが共にベルモントSの覇者というカジノドライヴはこうしてアメリカへ飛んだ。デビュー2戦目はベルモントSの前哨戦としてピーターパンS(G2)に出走する事になったのだ。
1907年のベルモントSの勝利馬名が冠せられたこのレースに出走するためベルモント競馬場入りした栗毛馬に割り当てられたのは1984年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選出されたスルーオゴールドが入厩していた厩舎。同馬は83年のピーターパンSの勝ち馬でもあり、良い流れが来ていると思わせる出来事だった。
伯楽がとった細心の注意を払う姿勢とは……
しかし、藤沢は全てをそんな運否天賦に任せるような男ではなかった。カジノドライヴを仕上げるために同馬主のシャンパンスコールとスパークキャンドルの2頭を現地へ連れて行った。最終追い切りは3頭の併せ馬でしっかりと追った。そして何よりも彼は、細心の注意を払う姿勢を見せた。
馬房の前には3頭それぞれの馬名が記されたが、藤沢はあえてそのネームプレートと実際に馬房に入れる馬を別々にした。それによりカジノドライヴはスパークキャンドルと書かれた馬房に入れられた。一見、奇妙に思えるこの行動。今回、当時を述懐してもらうと伯楽はひと言、次のように言った。
「いたずらされたら困るからね……」
これには細かい説明が必要だろう。1年前には「3きょうだい連続でのベルモントS制覇を見たい」と言ったアメリカの競馬ファンだが、実際、レースが近付いた時には情勢が変わっていた。
ピーターパンSの行われる1週間前、チャーチルダウンズ競馬場で行われた“最も偉大な2分間”と呼ばれるケンタッキーダービー(G1)。アメリカ三冠最初の一冠のこのレースを、制したのはビッグブラウンという馬だった。同馬がケンタッキーダービーで2着につけた差は4と4分3馬身。圧勝といえる内容なのだが、これでもビッグブラウンにとってはデビュー以来、最小の着差。ケンタッキーダービーで4戦4勝とした同馬は、いずれも圧倒的な大勝続き。世間は「久しぶりに三冠馬誕生のシーンが見られるかもしれない」とざわめき出していた。
当時、アメリカの三冠馬は1978年のアファームドを最後に三十年間、出ていなかった。世間は新たなる最強三冠馬の誕生を熱望していた。そして、その夢をビッグブラウンに乗せていた。カジノドライヴはピーターパンSで2着に1秒近い差をつけて圧勝するのだが、更に1週間後にビッグブラウンがプリークネスS(G1)をまたも楽勝し二冠を達成すると、日本からの挑戦者はヒール役にまわる雰囲気となってきたのだ。
これで藤沢の言った「いたずらされたら困る」の意味がお分かりいただけるだろう。『一度は裏切って日本へ行ったと思えた馬が、今度は厄介な相手として帰ってきた。私たちのニューヒーロー誕生を阻む可能性があるのなら、飼い葉桶に禁止薬物でももってやろう』という輩が出てきてもおかしくない雰囲気だったのである。
夜間の警備員も強化し、無事に迎えられたピーターパンSは前述したように快勝した。それまで日本の競馬界とは別次元に存在していると思えていたアメリカのダート競馬が、実は同じ競馬である事を証明したわけだが、その口取り写真撮影の際、これもまた藤沢は“らしい”態度を見せた。カジノドライヴを中心に関係者が集まって撮られたウィナーズピクチャー。藤沢はその輪に入ろうとしなかった。他の皆に促され、なんとか端っこに立ったものの「もっと中央に来てください」という声に対してはひと言「Next Time」とだけ言って笑顔で断った。「負ければ私の責任だけど、勝つのはお馬さんのお陰」と語る指揮官らしい態度だった。
本番直前、思わぬアクシデントに襲われる
こうして前哨戦を勝利したカジノドライヴは予定通りベルモントSへ向かい、ビッグブラウンとの一騎討ちに臨むはずだった。しかし、アメリカ三冠最後の関門は、この有力両頭に試練を与える事になる。
最初に不運に襲われたのはビッグブラウンだった。プリークネスSで二冠を達成したものの、その直後、裂蹄を発症。馬場入りを休む事になった。日本と違い、二冠目から三冠目までは僅かに中2週。アメリカ競馬史上2頭目となる無敗の三冠馬誕生は絶望的と噂された。
一方、順調に来ていたと思えた日本からの挑戦者が不運に見舞われたのはレース直前の事だった。枠順も決まり、スクーリングも終え、ゲートボーイを付けないなどといった細かい取り決めも競馬場側と交渉を済ませていた。そんなレース前日の6月6日の朝の事だった。調教に出ようとカジノドライヴに跨った調教助手が、歩様の乱れに気付いた。
「左後脚。石か何かを踏んだのかもしれません」
藤沢はそう報告を受けた。獣医師に診てもらうとやはり「ザ石」と診断された。しかし「症状は軽く、出走させるなら可能」と言われたため、スタッフを集め、言った。
「出来る限りの事はしよう」
そこでレース当日の朝も馬場入りさせた。引き運動だけにとどめる手もあったが「これから2400メートル(ベルモントSの距離)を走ろうという馬が、調教で600メートルすら走れないのでは、本番へ行っても話にならない」と馬場入りさせる事にしたのだ。そして、3ハロンをキャンターで走らせると、カジノドライヴはしっかりと走って見せた。当時その様を見た報道陣は「なんとか出走できそうだ」と胸を撫で下ろしたものだ。
しかしそれから1時間もせず、藤沢は両手でバツ印を作り、改めて、そして正式に回避を発表したのだ。獣医師からもゴーサインも出たというのに、諦めた理由をリーディングトレーナーは次のように語った。
「ここまで来て、走らせてあげたいという気持ちはもちろんあります。でも、このレースで終わりの馬ではありません。将来のある馬ですから『出走させるなら可能』などという状態で無理をさせる必要はない。また万全の時に使えばよいし、そういう状態で使えるよう、今回は我慢します」
こうして“Next Time”は先送りされる事になった。なんとも無念な決断と思えたが、お陰でカジノドライヴは後に再度アメリカへ遠征して勝利。全米最大のレースであるブリーダーズCクラシック(G1)にも出走したし、更に後にはフェブラリーS(G1)でサクセスブロッケンのクビ差2着に好走。ドバイのドバイワールドC(G1)にも挑戦する事が出来た。ちなみに裂蹄で一時は出走が絶望と言われたビッグブラウンは急転直下で出走。それが無理をした判断での出走だったのかどうかは分からないが、勝ったダタラから大きく離される最下位で入線。記録上は競走中止となってしまうのだった。
カジノドライヴの産駒がデビューしたのは2015年。少ない世代の中からみやこS(G3)を勝ったヴェンジェンスやバレンタインS勝ちのレッドゲルニカなど、ダートのオープン馬はもちろん、フェニックスSを5馬身差で快勝したコウエイテンマや新馬戦を12番人気で快勝したシャイニードライヴなど、芝で穴をあける馬も出していた。まだ14歳での死は残念でならない。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)