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拘禁生活966日。毎日12時間、無実の証拠を探し続けた男。「人質司法サバイバー国会」報告(第6回)

赤澤竜也作家 編集者
著書でバブル期の金融機関の凄みや、その内幕を描いた横尾宣政さん 撮影:西愛礼

コンサルティング会社社長としてベンチャー企業の発掘、指導、投資などの業務に従事していた横尾宣政さんは、2011年発覚したオリンパス粉飾決算事件で粉飾の指南役とされ、翌2012年2月に証券取引法・金融商品取引法違反の共犯容疑で逮捕・起訴された。詐欺、組織犯罪処罰法違反の容疑も加えられるが、当初から一貫して否認を貫き続け、966日間にわたって東京拘置所などに勾留されてしまう。

ベストセラーが明かす人質司法の実態

「勾留されている間、優しくしてくれた何人かの刑務官から『本を出してくれ』と言われました。『拘置所のなかでも特捜部の取調べがあるんですけれども、殴る蹴るが行われている。あなたの場合はないかもしれないが、それを毎日見ているわたしたちは苦しくてしょうがない、これを明らかにして欲しい』と」

横尾さんは、出身企業の実態やオリンパス粉飾決算事件の内幕を描いたベストセラー『野村證券第2事業法人部』(講談社)が書かれることとなったキッカケを明かす。横尾さんの勾留期間は966日。経済事件において身体拘束が長引くことは多いものの、この長さは尋常ではない。

拘禁生活について横尾さんは次のように話した。

「わたしたちのような特捜部の案件で入れられる場所はですね、天井にテレビカメラがついてまして、24時間動いているんです。そんな監視下のもとで毎日過ごさなくてはならない。そのほかにも便所の衝立は禁止であるとか、荷物は部屋に入れてはいけない、廊下に出しておけとか、非常に制約されたなかで966日暮らしました」

無罪の推定がなされる被疑者・被告人は否認すると実質的な刑罰を与えられてしまうのである。

また、

「朝から12時間くらい毎日資料を調べてやってたんですけれども、辛かったのは腱鞘炎がひどくなって寝られなくなったことですね」

とも語った。

『野村證券第2事業法人部』の第10章『人質司法の生け贄』によると、横尾さんは無罪判決獲得のため、拘置所内で証拠資料の数値をすべて手計算で算出し直したという。パソコンも計算機も手もとになく、10桁×10桁の筆算を検算も含めて紙とペンで行ったため、作業は膨大になったと記している。拘置所で使える万年筆のペン先はプラスチック製のものだけなので、すぐダメになってしまう。このような生活を続けていて、ひどい腱鞘炎に悩まされたというのである。

証拠や供述調書が膨大な経済事件の場合、勾留されたままの公判準備は多大なるハンディキャップを負わされてしまうのだ。

人質司法のもとで、公平、公正な裁判などできない

横尾さんは保釈後も無罪を主張して争ったものの、2019年1月に上告を棄却され、実刑判決が確定して収監されてしまう。

スピーチでは「検察、特に特捜部は本当にひどい」「(拘置所から)出て来たあとの裁判が100%デタラメだった」とも語った。確かに『野村證券第2事業法人部』の後半部を読むと、一理あると思う部分が多々あった。

『人質司法サバイバー国会』で後ほど登壇した細野祐二氏は、著書『粉飾決算 VS 会計基準』(日経BP)で100ページにわたってオリンパス粉飾決算事件について分析しており、そのなかで「わたしは、この人(横尾氏)は無実だと思う」と記している。少し長くなるが細野氏の記述を引用させてもらう。

「本章(第7章)の記述から明らかなように、横尾氏の存在はオリンパス粉飾決算事件における必然性がない。この事件は公認会計士がいなければ成り立たないが、横尾氏がいなくとも事件は成立している。必然性のないところに事件の証拠などある訳がなく、そもそも必然性のない証拠構造の下で横尾氏に対する犯意など認定できるはずがない」

「横尾氏はどうせオリンパスの元経営陣の共犯者供述により有罪とされているのであろうが、オリンパスの元経営者は罪を認めて執行猶予を取る作戦に出ているので、横尾氏を粉飾指南役に仕立て上げて罪状を良くしようとする供述をするのは当たり前のことであろう。事実、彼らは東京地裁で執行猶予判決を得てその目的を達し、全員控訴せず、刑が確定した。オリンパス元経営陣による共犯者供述は信用できず、これを横尾氏の公判において証拠採用するのは、冤罪を作り出すだけの結果に終わる」

検察は、横尾さんがオリンパスの簿外損失の存在を承知していて、損失隠しスキームの構築とその解消に協力したと主張していた。一方の横尾さんは粉飾決算などまったく知らなかったと主張する。

検察側の有罪立証はほぼオリンパス関係者の供述で行われた。彼らに「勾留から逃れたい、みずからの罪を軽くしたい」という理由で虚偽供述してしまうインセンティブがあったことは間違いない。

スピーチの最後に横尾さんはこう述べた。

「本当の意味の人質司法はなんであったかということを見直して頂きたいです」

人質司法によって公平・公正な裁判を受けることができなかったという横尾さんの訴えには真摯に耳を傾けなくてはならない。

「苦しむ仲間を助けたい」と冤罪被害者は語った

再審請求でようやく雪冤を果たした西山美香さん。再審の公判では警察から検察に送られていなかった捜査報告書も開示され、当初から患者の自然死の可能性も指摘されていたことが判明した 撮影:西愛礼
再審請求でようやく雪冤を果たした西山美香さん。再審の公判では警察から検察に送られていなかった捜査報告書も開示され、当初から患者の自然死の可能性も指摘されていたことが判明した 撮影:西愛礼

西山美香さんは2003年、看護助手として勤めていた滋賀県の湖東記念病院で、男性患者の人工呼吸器のチューブを引き抜いて呼吸を停止させて殺害したとして逮捕・起訴。2007年5月に懲役12年の有罪判決が確定した。2017年に第2次再審請求で再審が開始し、2020年に無罪判決が確定した冤罪被害者である。

満面の笑みを浮かべて登壇した西山美香さんのスピーチは次のように始まった。

「今日は貴重なお話を聞けるということで、楽しみにしていたんですけれども、事故に巻き込まれて遅れてしまって、せっかくの最初のお話(村木厚子さんと山岸忍さんの基調トーク)が聞けなかったことが申し訳なかったです。山岸さんは滋賀県出身の方っていうことを聞いていまして、親しみも感じているとともに、(冤罪事件に)巻き込まれて大変だったなと思いました。本を出されたということで、買って勉強したいと思います」

自分のことはさておき、まずは同郷の冤罪被害者である山岸忍さんのことを慮った。

なぜ西山さんが冤罪に巻き込まれることになってしまったのか。

「わたしは取調べで、最初はキツかったけれども、認めたら優しくなって、その刑事が好きになったという異例な経緯があるんです」

「わたしは国賠をしているので、証人として取調官も出て来ると思うので、どういうことがあったのかということも詳しくはわかると思います」

任意の取調べを受けた担当の警察官に好意を抱き、導かれるがまま虚偽供述をしてしまったのである。

刑務所のなかから両親に宛てた手紙で無罪を訴えた西山さん。再審請求をするが4度にわたって棄却され、再審開始が決定したときは、すでに刑の執行を終え、出所していた。

西山さんは壇上で、

「なかなか無罪判決が出ない。難しいし、いい裁判官に恵まれないとそういうことにならない。どうにか再審に関する法律を改正していって欲しいなと思います」

とも話してくれた。

再審は誤った判決により有罪が確定してしまった冤罪被害者を救済することを目的とする制度なのだが、具体的審理の在り方は裁判所の裁量に委ねられており、証拠開示の基準や手続は明確ではない。とりわけ冤罪かどうかが激しく争われている事件において、再審が開始され、無罪になることは極めてまれである。西山さんの場合も最初に再審請求してから開始決定が確定するまで8年半かかっている。

人質司法によって歪められた裁判によってあらぬ罪に問われている人を早期に救済するためにも、西山さんが言うよう、再審制度の運用改善・法改正が急務である。

筆舌に尽くしがたいほどひどい経験をされた西山さんだが、笑顔の絶えないスピーチの最後も、

「本当にみなさん、ご支援ありがとうございました」

と感謝の言葉で締めくくった。

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『人質司法サバイバー国会』の動画はこちらから視聴可能です。

https://innocenceprojectjapan.org/archives/4701

作家 編集者

大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋・籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。編集者として山岸忍氏の「負けへんで! 東証一部上場企業社長VS地検特捜部」(文藝春秋)の企画・構成を担当。日本文藝家協会会員。

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