賞金13億円のサウジCを制したパンサラッサ。新たなる伝説はどうして生まれたか?
旅の始まりは思わぬ形
私のとった飛行機に吉田豊が合わせる形で、一緒にサウジアラビアを往復するつもりだった。事実、成田を発ち、経由先のドバイまでは同じ飛行機に乗った。しかし、ドバイの乗り継ぎ便の搭乗口まで行ったところで吉田が止められた。
「あなたの飛行機はこれではありません」
成田発の飛行機が同じだった事で、吉田はその先の飛行機をしっかり確認していなかった。そのため、勝手に終始私と同じ飛行機だと思い込み、まさかの搭乗口まで行ったところで違う便である事を告げられた。機内のバーラウンジで悠長に飲んでいる場合ではなかったのだ。
信じられない結末
旅の始まりがこんな形だったので「これは先が思いやられるね……」等と話し合っていたから、というわけではないが、本人もびっくりというまさかの最高の結末が、待っていた。
「信じられないです。こんな事あるんですね」
1着賞金約13億円(1000万米ドル)のサウジカップ(GⅠ)をパンサラッサで逃げ切った直後、興奮冷めやらぬ表情で吉田はそう言った。
「返し馬を終えた後のテンションが少し高かったのでこれならスタートを切ってくれると思いました。実際、出てくれたので、まずは自分の競馬が出来ると思いました」
「とにかくまずは行くだけなので、スタートだけは決めてくれという思いで見ていました」
スタートを振り返りそう言ったのは矢作芳人。このパンサラッサの調教師はサウジカップの約3時間前、同じく管理するバスラットレオンで1351ターフスプリント(GⅢ)を勝利。昨年のドバイワールドカップデーには一日に3勝を挙げ、一昨年のブリーダーズカップデーには同じく2勝を挙げた世界の伯楽は、続けた。
「出てくれたので、道中は『最後まで我慢してくれ……』という気持ちで見ていました」
指揮官がそんな気持ちで見つめていた時、鞍上は次のように感じていた。
「前へ行けた事で、最後に差されたとしても自分の競馬は出来ているわけですからね。そういう意味で、道中は安心して乗っていられました。実際、4コーナーを回ってもまだ手応えがありました」
それでも、最後の最後は後続に差を詰められた。
「さすがに脚が上がりました。でも、二枚腰のある馬なので、そこからよく頑張ってくれました。ゴールの少し手前では、勝ったと思いました」
ダート大国アメリカのカントリーグラマーの追撃を僅かにしのいで先頭でゴール。2着馬の背には、昨年のドバイターフで1着を分け合ったランフランコ・デットーリ 。今度は雌雄を決する結果となった。
「ダートでも逃げ切れるとはビックリです。何事も挑戦しないと、始まらないという事ですね」
笑みをみせてそう言った吉田の言葉は的を射ているだろう。レース前、矢作は言っていた。
「日本のダートで一度負けているけど、ひと言でダートと言ってもサウジのそれは日本とはまるで違います。おそらくサウジのダートは合うだろうと感じました。だから挑戦してみます」
「合うと感じた」というそれはデジタルで表される理由ではなく、直感的なモノだろう。しかし、この場合の直感は単なる当てずっぽうの勘とは違う。世界を知る男の経験則から導き出される直感だ。過去に芝のGⅠ馬であるモズアスコットをダートのGⅠに使い、勝たせた時にも、発揮された直感だ。矢作は続ける。
「競馬だし、勝負は時の運もあるので、勝ち負けは分かりません。でも、1着賞金が13億のレースですからね。サウジのダートをこなせると思えば、挑戦する価値はあると思ったのです」
それがたとえ国内でも、負ける事の方が多いのが、競馬だ。だからこの手の挑戦は勇気が要る。大概は負けるものにもかかわらず、負ければ「何故、実績のないダートに使ったんだ?!」と叩かれかねないからだ。それでも世界の矢作は信念を持って、挑んだ。負けたとしても“敗因がダート”とはならないだろうという確固たる思いを持って、走らせたのだ。
その結果、吉田の口から「何事も挑戦しないと始まらないという事ですね」という言葉が飛び出すリザルトが待っていた。そして、中東の夜空に、また一つ、伝説が生まれた。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)