有馬記念でのアーモンドアイ。あの日、彼女に何があったのか?! ある馬との想いを胸に担当者が語る
JRA職員の父の下、船橋で生まれ、トレセン入り
12月22日、午前5時10分。有馬記念(G1)に出走するアーモンドアイを乗せた馬運車が、美浦トレーニングセンターの国枝栄厩舎を出発した。一緒に馬運車に乗ったのは持ち乗り厩務員の根岸真彦。1982年12月6日生まれだから37歳になったばかり。アーモンドアイの担当者だ。
「ドバイ遠征時の滞在競馬や、前日輸送ばかりが続いていたので、当日、輸送されるのは東京で未勝利戦を勝った時、以来でした」
東京で未勝利戦を勝ったのは2017年の10月。実に2年以上前の話だった。
「ただ、それによってイレ込むというような事はありませんでした。いつも通りの雰囲気で落ち着きもありました」
根岸はJRA職員の父・彰と、母・恭江の間に生まれ、千葉県船橋市で育てられた。その出自から、幼少時にも競馬を観戦していた。
「ナリタブライアンが有馬記念を勝ったのは僕がまだ小学生の時でしたが、よく覚えています」
01年に高校を卒業すると、社台ファームに就職した。乗馬経験がほとんど無かったため最初は繁殖部門で汗を流した。その後、育成部門に異動。何度も落馬したが、経験を積むうちに上達。05年には山元トレセンへ異動。翌06年に競馬学校に入学すると、更に翌年の07年、美浦トレセンで働く事となった。
「最初からほぼ国枝厩舎ひと筋という感じです。僕がトレセンに入る前に父の関係で見学させてもらった事もある厩舎でした」
トレセン入りした直後、マイネルシーガルを担当した。同馬は皐月賞(G1)やNHKマイルC(G1)に出走。いきなり大舞台を経験した。また、条件馬時代のマツリダゴッホに跨った事もあった。更には新馬勝ちをしたマンボネフューを担当していた時期もあった。同馬は共同通信杯(G3)で3番人気に、スプリングS(G2)では2番人気に支持された。しかし、勝つ事は出来なかった。
重賞を勝つ事が出来ないまま迎えた17年。担当していたタンタアレグリアがアメリカジョッキークラブカップ(G2)を優勝。根岸にとって初めての重賞勝ちを記録すると、流れが変わったのか、その約半年後、アーモンドアイとの出合いが待っていた。
アーモンドアイと歩んだ日々
アーモンドアイについて、細かい説明は不要だろう。17年8月のデビュー戦こそ2着に敗れたが、その後は19年3月まで7連勝。桜花賞、オークスといった牝馬三冠レースの他、ジャパンC、更にはドバイへ遠征してのドバイターフなど、国内外で5つのG1を含む6つの重賞を勝ち続けた。
その後、安田記念(G1)こそ大きな不利を受けた事もあって3着に敗れたが、それ以来の出走となった天皇賞(秋)(G1)で名誉挽回。2着に3馬身差をつけて圧勝し、有馬記念に駒を進めて来た。
もっとも天皇賞の後、グランプリまでの間、決して順調だったわけではなかった。本来、挑戦する予定だったのは香港の香港カップ(G1)。しかし、出発予定の前日、11月29日に熱発。渡航を断念した経緯があった。根岸は言う。
「アーモンドアイは38度くらいが平熱でした。これが38・6度まで上がりました。熱発としては程度が軽く、翌日にはほぼ通常通りの体温となり、実際、元気にしていました」
よく「熱発明けは買っちゃいけない」とか「熱発後でも大丈夫」だとか、馬券を予想する上で議論される事がある。しかし、冷静に考えればそれは0か100かで決められる話ではない。俎上にのせるべきは熱発したかどうかではなく「熱がどのくらい上がったか?」「どのくらい長引いたか?」なのだ。更に言えばもう1つ重要な要素があるのだが、それは後述するとして、先の2つ、すなわち「どのくらい上がったか?」「どのくらい長引いたか?」という点に関してはこのアーモンドアイの場合、その影響は限りなく0に近いと考えて良いと推察された。
熱発した翌々日、12月1日には馬場入りを再開している。先に根岸が言ったように元気を取り戻していたのだ。
「そこで新たなプランを考えると、自然と有馬記念しかないですよね」と根岸。
ここで熱発明けの際のもう1つの要素が重要になってくる。それは、熱を出してから次のレースまでの期間、時間的な余裕である。そこで再度、日付をおさらいすると、熱発したのが11月29日であり、有馬記念が12月22日。微熱程度だった事を考慮すれば、時間的な余裕は充分にあったと見て良いだろう。だから根岸は言う。
「有馬記念前の追い切りや、当日の様子を見ても、熱発の影響はなかったと思います。体のハリやトモのバランス、調教での動きもむしろ天皇賞の時より良くなっていましたから……」
有馬記念当日のアーモンドアイの様子とは……
レース当日の競馬場に到着した後の雰囲気も良かったと続ける。
「装鞍所もパドックも落ち着いていました。以前はジョッキーが跨ると一気にテンションが上がるような面もありましたけど、この秋は天皇賞も有馬記念もリラックスしていたので、ルメールとも打ち合わせなどは不必要でした。挨拶をかわしたくらいでした」
ただ、馬場入場時には少々ゴネる素振りを見せた。このあたりについては次のように述懐する。
「中山の本馬場入場は地下馬道から内馬場へ出て、ダートコースを横切って芝に入るのですが、そこが少しトリッキーなため、止まる素振りを見せてしまいました」
トリッキーというのは、ダートを真っ直ぐに横切れない作りの事を言っていた。ダートコースを斜めに横切らないと芝にはいられないのだ。
「それでも本馬場入りしてキャンターにおろすと普通に返し馬をしてくれたのでひとまず胸を撫で下ろしました」
その後はバスに乗って発走地点まで向かった。輪乗りの間も相変わらず落ち着いていたアーモンドアイの様子が、ゲート入り後、少し変わった瞬間があったと言う。
「ゲート入り後、近くの馬が後ろ扉を蹴飛ばして大きな音を立てました。その瞬間、興奮する素振りを見せました。ヤバいと思いました」
自らの怪我のリスクも覚悟して一緒にゲートに入っていた根岸は、懸命になだめた。すると、ゲートの中で長く待たされた事が、逆に幸いに転じた。アーモンドアイは徐々に落ち着きを取り戻し、ゲートが開く前にはまた普段通りの精神状態に戻っていた。
「ひと安心してスタートを見届けました」
そこから車載テレビのあるバスへ戻った。バスまでは少し距離があったため、乗り込んだ時には馬群はすでに一周を終え、向こう正面で隊列を作っていた。
「小さな画面越しに、中団にいる事は確認出来ました。そこまでの展開やペースは分からなかったけど、包まれない外側にいたし、位置として悪くないと思いました」
ゴール付近にある脱鞍所まで向かうバスの中で、戦況に目を凝らした。3~4コーナーで前との差が詰まり、直線へ向くと先頭に立とうとするアーモンドアイの姿が映し出された。
「これまで差されて負けた事が無かったので、この時もそういうイメージは全くありませんでした。だから『これなら勝てる!!』って思いました。でも、そう思ったのも一瞬の事でした。次の瞬間にはもがくアーモンドアイが映っていて、外からはモノ凄い脚で伸びてくる馬が見えました。『強いのがいる!!』って思ったけど、それがリスグラシューだと分かったのは、後になってからでした。その時は『アーモンドアイに何かあったんじゃないか?!』という気持ちもあって、他の馬を冷静に見る事は出来ませんでした」
バスが到着して根岸が降車するのと、馬群に沈んだアーモンドアイが戻ってくるのはほぼ同じタイミングだった。根岸の目は、今まで見た事ないほど疲労困憊しているアーモンドアイの姿をとらえた。「ありがとうございました」と声をかけつつ鞍上を見ると、黒いゴーグル越しにもルメールの寂しそうな表情が見てとれた。
「たびたび見せる熱中症のような症状は見せませんでした。でも、様子そのものはおかしかったです。背中もトモもカチカチという感じ。歩様もかたく、道中、ずっと力んで走っていた事が分かりました」
その後、馬体を洗った時の挙動もいつもとは違った。体を触られるのがあまり好きではないアーモンドアイは、普段なら洗っている最中も嫌がる素振りを見せるのだが、この時は終始ジッとしていた。
「疲れ果てていました」
無事に上がってきてくれた女王と、ある1頭の馬に対する想い
それから3日後の25日。クリスマスの昼前にノーザンファーム天栄へ放牧に出されるアーモンドアイ。朝の作業が終わり、厩舎には馬運車を待つ根岸だけが残っていた。アーモンドアイの馬房の前で、彼はボソリと口にした。
「中山競馬場の近くで育った僕にとって有馬記念は特別なレースなんです。(厩舎の)マツリダゴッホが勝った時には口取り写真に混ぜてもらい『いつかは自分の馬で勝ちたい』という想いが更に強くなりました。正直、今回はチャンスだと思っていました。強敵が沢山いる事も、初めての中山も、全て克服してくれると思っていたけど、甘くなかったですね……」
絶対女王と思われた馬の大敗に、世間では犯人探しをする声も上がっており、当然、根岸の耳にも心無い台詞が届いていた。
しかし、競馬は負ける事の方が圧倒的に多いスポーツである。勝ちを前提として話を進める方が間違っている。そう伝えると根岸は答えた。
「でも、それだけ皆が期待してくれていたという事ですからね。その期待に応える結果を残せなかったのは申し訳ないです。だからこそ、来年はまた強いアーモンドアイをお見せ出来るように頑張ります」
根岸に初めての重賞勝ちをもたらせてくれたタンタアレグリアはこの夏、調教中の事故で残念ながら星になってしまった。アーモンドアイは有馬記念で負けてしまったが、命まで奪われたわけではない。だからこそ、来年のリベンジを誓える事だけでも、いかに有難いかを根岸は知っている。
捲土重来を誓う彼の視線の先にはアーモンドアイのつぶらな瞳が輝いていた。失意の女王はレース後、3日が経ったこの日もまだ筋肉痛が癒えていないと根岸は言う。そうだ、彼女はそれまでと同じように死力を振り絞り、一所懸命に走ったのだ。ただ結果が、1着ではなかったという部分が違っただけである。そんな彼女をどうして責める事が出来ようか。そんな事を考えていると、外で馬運車の到着を告げる音がした。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)