「殺したいほど憎かった」還暦女子プロレスラー・ダンプ松本、最大の悪役・父との確執と別れ
悪役女子プロレスラー「極悪同盟」の中心メンバーとして長年プロレス界の人気を牽引してきたダンプ松本(本名=松本香)、59歳。生涯現役を宣言し、今年でデビュー40周年。今なおリングに立ち続ける彼女の人生は闘いの連続だった。日々の生活に困るほど貧しかったという幼少期、「殺したいほど憎んだ」という父との確執、その父から母を守るために選んだプロレスラーの道……。金髪に強面のメイクをほどこし、竹刀を振りまわして武装する松本には、人知れず闘い続けてきた孤高の歩みがあった。その強さは一体どこからやってくるのか。
<傷だらけのプロレス人生>
「見てよこれ! ちょっと攻撃がずれてたら失明やで」
顔のいたるところに残る無数の傷跡から、その激闘の歴史をうかがい知ることができる。松本は現在、ひざを治療しながらも、試合のリングに立ち続けている。プロレスラーがリング上で脚光を浴びるのはほんのひと時。その舞台裏では過酷な訓練、度重なるけが、そして休む間もなく地方を回る巡業の日々が待っている。満身創痍の身体を抱えながら、還暦を目前にしてもレスラーとして闘い続ける松本。その闘志のルーツは、生まれ育った家庭環境にある。
<松本家きっての「悪役」父の存在>
埼玉県熊谷市の貧しい家庭に生まれた。今も脳裏をかすかによぎる、幼いころの記憶がある。葬式の場で父・五郎がバットを振りまわしながら母・里子を追いかけまわす姿だ。無鉄砲な父は定職に就かず、外で博打や女性、酒に溺れては酔っ払う日々を過ごした。父が家庭に一銭もお金を入れないため生活は貧しく、母が内職で必死に家計を支えた。不条理なふるまいに耐えかねて家出した母を、泣きながら迎えに行ったこともある。小柄な体で父の仕打ちに耐え続ける母を見る度に、父への憎しみが募っていった。そんな鬱屈とした日々の中で偶然目にした女子プロレスラーの勇姿が、のちに人生を大きく変えることとなる。
<そしてプロレスの道へ>
当時中学2年生だった松本の目に飛び込んできたのは、華やかなステージで観衆から歓声を浴びながら活躍する女子プロレスラーのテレビ中継だった。父に抑圧される暮らしの中で、向かい来る敵と身一つで闘う女子プロレスラーはたちまち彼女のヒーローとなる。「強くなってお父さんをやっつけて、お母さんを守ってあげたい」。
家計を支える母を早く楽にさせてやりたいと願っていた松本にとって、プロレスラーを目指すことはごく自然な決断だった。「全日本女子プロレス」のオーディションに合格したのは、高校を卒業した春のことだ。
<悪役(ヒール)に徹する正義を貫いたレスラー時代>
全日本女子プロレス入門後は厳しい訓練に明け暮れ、決して順風満帆とは言えない日々が続いた。その状況は「悪役・ダンプ松本」の誕生により一変する。当時爆発的な人気を誇った「クラッシュ・ギャルズ」と敵対するヒールユニット「極悪同盟」の悪役として、一世を風靡したのだ。金髪に奇抜なメイク、革ジャンを着てチェーン片手にリング上を暴れまわる。攻撃的なスタイルは、「清楚でかわいらしい」のが良しとされた当時の理想的な女性像とは対照的な姿だった。
型破りで女性の枠にとらわれない人生を歩んできた松本は、「結婚して幸せになった家庭を見たことがない」という理由からこれまで一度も結婚願望を抱いたことがないという。「結婚して親に孫は見せられなかったけど、それでも家族と一緒にいることが幸せ」。
<父との和解と別離>
女子プロレスラーとして活躍する間も、父との確執は続いていた。母に送った仕送りを盗んで使い込んでしまう父とは、帰省して顔を合わせてもろくに口をきかなかった。二人の断絶関係は実に45年にわたって続いた。それが、父の「老い」によって、父に対する怒りや憎しみの形が少しずつ変わっていく。
認知症を患い、老人介護施設で暮らす父のもとへ訪れた時のこと。久しぶりにじっくりと向き合った。父はやせ細り、ひどく小さく頼りなく見えた。「丸くなって、かわいそうだから」。カレーパンを口元に運んで食べさせてあげた。父と並んで撮った写真が、二人の最後のツーショット写真になった。
強くありたい――。その思いから「生涯現役」を掲げたダンプ松本。これからもその歩みは続く。憎しみではなく、父との最後のツーショット写真とともに。
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