#2 岡崎富夢×岩佐大輝 「日本でいちばん屋上を愛する男」の運命を変えたできごと
-特別な空間を日常生活の中に-岡崎富夢が世に広めた屋上ラグジュアリーテラス「COLORS」。その誕生と成長の裏には岡崎富夢の壮絶な体験と、どん底の彼を支えた強烈なビジネスパートナーの存在があった。
岩佐)富夢ちゃんが代表をつとめる株式会社PASIO。設立のきっかけは?
岡崎)最初のきっかけは前の会社を追放されたことだった。僕は前の会社で2つの事業を立直して会社を蘇らせ、会社の常務まで昇りつめていたんだ。年収は30歳で1000万、35歳で4000万。もうイケイケだったよ。いい酒飲んで、いい女抱いて、いい車買って、悪魔に魂を売ったかのように金を遣いまくってた。その金遣いの荒さに会社が目を付けて、ある日背任行為を指摘されるメールが届いた。でも僕が遣っていたのはほとんど自分の金。僕が接待費として使える会社の金は、当時毎月30万円くらいしかなかった。それじゃ全然足りないから、自腹で何十万円も切って飲ませ食わせしてたんだ。だって僕は絶対将来社長になるって決めていたし、今の給料で私腹を肥やそうなんて小さいこと考えているフェーズじゃなかったから。当時は4000万円くらい年収があって、それを派手に使いまくってた。だからメールが届いたときは愕然とした。
岩佐)それでいきなり収入0になったわけだ。
岡崎)そう、0だよ。金も何もかも失って、車も船も持っているもの全て売った。当時住んでた家賃37万のマンションからも出て、全部失った。完全に自分の慢心が招いたことだったんだ。さすがにその時は完全に落ち込んだよ。でも一度しかない人生、本当にやりたいことをやろうって思って、一文無しの身で起業したんだ。
そんなどん底の僕のもとにやってきたやつがいたんだ。それが僕の会社の専務。彼は前の会社で知り合ったんだけど、「岡崎が辞めるならこの会社はダメになる。起業するなら連れて行ってくれ。」って言って、普通のサラリーマンのくせに300万円も借金して僕のところに持ってきたんだ。無一文の僕について来ようなんて、ほんとおもしろいやつだよ(笑)彼の言葉に背中を押されたんだ。
岩佐)すごい人だね...!じゃあ今もその専務と仕事をしているんだね?
岡崎)そうそう。前の会社にいたとき、絶好調の時は毎年年賀状が200通きていたのに、クビになって2通しかこなくなった。そうやって全員がそっぽを向いたときに、300万持って来たやつだよ?どん底のときに僕についてきたやつだから、絶対に裏切らないって分かる。
今の会社は自分と専務の2人だけでやっているよ。僕らは完璧な役割分担でビジネスをまわしているんだ。僕が派手な性格でモノを売ってくる役で、専務はそれを収める役。彼がいなくなったら大変だよ。
岩佐)2人だけでこんなに全国にシェアを広げているんだ!富夢ちゃんのすごいところは、明らかに経営スタイル。僕の場合は農業だから数百人単位ではたらく人が必要な産業。でも富夢ちゃんは逆に人を抱えないっていうことを徹底しているよね。
岡崎)そう。従業員を雇わずに固定費をかけないっていう戦略。…っていうのはあるんだけど、僕は自分の性格がウェットなのが分かってるんだよね。すごい人好きだし、世話焼きだし。面倒見ようと決めたら徹底的に見ようとする性格。でもみんなにそうしてると人疲れしちゃうから、もう専務1人しか面倒みないって決めたんだ!(笑)
前の会社は36歳までいたんだけど、その時は部下を200人抱えていた。当時の自分の1日をみると、ほとんどが面談の時間。僕はそれよりも、「風呂に入りながらあそこで映画みれたらいいな」とか、「ここにWi-Fiはったらこんなことできるじゃん」とか考えて、バリュークリエイションをしている方が自分の力を発揮できるっていうことに気付いたんだ。自分が好きなものをビジネスにしているから、とめどなくアイデアが溢れるよ。思いついたことをを専務に伝えたら、彼があっという間に形にしてくれる。僕らは棲み分けをして、最大効率でビジネスを進めていく。それが僕たちの強さなんだ。
人生のどん底を乗り越えた岡崎富夢はCOLORSの成長を加速させていった。次回は、並外れて徹底した彼のビジネス観について、濃密な話を聞くことにしよう。