戦国時代で敗戦したらどうなる?足軽に背負わされた過酷な運命とは
鎌倉時代から存在した足軽は、庶民出自の雑兵(一般兵)のことを指します。
戦国時代には「集団主戦力」として重宝されましたが、一方で個人戦力としては「使い捨ての駒」のような存在でした。
今回は、そんな足軽についてみていきましょう。
□御貸具足
武家出身の武士と違って、庶民出身の足軽には武具を購入するお金もままならない者が多くいました。
甲冑を自前で用意できない彼らは、所属する組織のボスが用意した「御貸具足」というレンタル武具を借りることになります。
御貸具足は大量生産を目的に製造された簡素なもので、胴体には「合印」とよばれる家紋が刻印されていました。
集団行動で戦う足軽にとって、敵と仲間を瞬時に判断できる合印は非常に重要なものだったといいます。
□「遅れをとるな」の真意
戦国時代のドラマや映画でよく耳にする「遅れをとるな」という台詞は足軽を鼓舞するものですが、疲労が蓄積した足軽に鞭を打つ残酷なシーンに感じる方が多いかもしれません。
しかし、実際の戦場で遅れをとった足軽は無力。孤立した者から狙われ、簡単に殺されてしまうのです。
「遅れをとるな」という台詞は合戦の陣形を乱さないためのものですが、ひいては足軽の命を守ることにも繋がっています。
□死刑宣告!「殿(しんがり)」
戦場で敗走が確定した際、足軽の部隊には「殿」の役目が回ってくることがありました。
殿とは、殿様や将軍を逃すために戦場に踏みとどまり、囮として犠牲になる役目のことです。
死亡率は驚異の80%超えといわれており、まさに死刑宣告。「軍監」が殿部隊を監視しており、逃げ出したものは打首に処されます。
奇跡的に助かった足軽には、さらなる地獄が待ち受けていました。
□落武者狩りの盗賊
合戦後、逃げ遅れた者に待ち受けていた地獄とは、敵兵や落武者狩りとの遭遇です。
戦場に散乱する死体や重傷者の武具を狙った追い剥ぎといった落武者狩りの盗賊が潜んでいたため、周囲を警戒して山の奥深くで身を潜める必要がありました。
空腹時には麓の村と交渉して食料を分けてもらったり、周囲で悪事を働く野党を捕まえて差し出して食料と交換してもらったりしたそうです。
これほど過酷な生と死の境界線を走り続けた足軽たち。
彼らは何を望んで戦場へ出陣していたのでしょうか。