「アバクロの盛衰」はサステナビリティを考える最高の題材だ
Netflixで4月に公開された「ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰」は、企業のサステナビリティ(持続可能性)を考える上で多くの示唆を与えてくれる作品だ。
有名アパレルブランド「アバクロ」のドキュメンタリーで、社会の批判や変化に対して、ありがちな企業の対応を知るのにたいへん参考になる。同社に馴染みがなくても、ぜひ見ておきたい。
ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰 - Netflix
ブランドの成功から凋落への道は単純に興味深い
アバクロは、ムキムキのマッチョなイケメン白人男性が上半身裸で踊る姿が印象的だったアパレルブランドで、1990年代から2000年代前半には世界的に注目されていた。
そのブランド特性を象徴するキーワードが「排他的」というもの。白人を中心に置く外見至上主義で、広告展開はもちろん店舗のスタッフ採用や登用まで徹底されていたことがこの作品中にも描かれている。
昨今、サステナビリティの中心的なキーワード「ダイバーシティ&インクルージョン」の対局にあるメッセージとターゲット設定で、ひときわ目を引く。
結果的にアバクロは、その差別的な雇用や商品展開が問題視されて世間から大バッシングを受け、ブランドは凋落する。
https://www.youtube.com/watch?v=3yperp-SFYM
White Hot: The Rise & Fall of Abercrombie & Fitch | Official Trailer | Netflix
この作品では、元従業員や関係者が多数証言し、当時の社内カルチャーやキーマンである経営トップ、マイク・ジェフリーズCEOの人となりなどが明らかにされていく。
アバクロンビー&フィッチは1892年から続く伝統のあるブランドだったが、長く低迷しており、創立100周年を迎えるにあたって立て直しを託されたのがマイク・ジェフリーズ氏だった。
ジェフリーズ氏は、「伝統」+「エリート主義」+「セクシー」+「排他的」の組み合わせがアバクロ・ブランド成功の鍵になると確信し、それを徹底することで急成長させた。
2009年のアバクロ東京・銀座店オープン時も、多くの注目を集めた様子が動画で残っている。
https://www.youtube.com/watch?v=NXNviIVBS64
Abercrombie and Fitch Ginza (Tokyo) opening
しかし、その姿勢が先鋭化しすぎた(あからさまに差別的だった)あまり、また、ジェフリーズ氏の失言などによって世間から大きな反発を招くことになる。
- 例: アバクロの「美形店員」は雇用差別?仏人権団体が調査開始
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吉野家役員の問題発言を想起する
本作品が公開された4月、当時吉野家の役員だった人物が早稲田大学の社会人向け講座において不適切な発言をしたことが問題視され、役員を解任され、早稲田大学との契約も解除された。
本作品に触れると、その「吉野家事件」を連想する人も少なからずいるかもしれない。
吉野家が苦手としていた女性客の取り込みを託されたのが、数年前に外部から登用されたこの人物だったなど、境遇としてもやや近いところがある。
批判をかわす「形だけの対策」
話を戻そう。「ホワイト・ホット」の最大の見どころは、批判を受けてアバクロが取った対策とその実態である。
人種差別的だという批判に対して、アバクロは黒人のダイバーシティ担当責任者を置いた。しかし、それはあくまで形だけで、ほとんど機能しなかったことなどが作中で語られている。
それまで9割のスタッフは白人だったが、ダイバーシティ責任者が置かれた後に有色人種が約半数を占めるようになった。しかし、店舗で見えるところにいるのは白人ばかりで、有色人種のスタッフはバックヤード(つまり見えないところでの)勤務だった。また、どれだけ有色人種の人数が増えても、組織の上層部は白人ばかりだった。などだ。
対応策や再発防止策が、批判をかわすための形だけのものになっていないかは、社内外から継続してチェックしていく必要があることを物語っている。
社風を変える難しさ
アバクロが社会の批判を生んだきっかけの1つが、アジア人に対する人種差別的なデザインのTシャツだった。2002年のことだ。
入れ替わりの激しいアパレル業界では、次々に新しいデザインの新商品を投入し続ける必要があり、排他的でクールを売りにするアバクロ社内で求められていたデザインの方向性は、「より失礼で、よりおかしい」ものだったと言う。
社内にアジア人がいれば止められたのでは、という問いに対して、実際にはアジア人のデザイナーが2人いて、問題視しなかったために承認されたと作中で明らかにされている。
批判が広がった後は、その問題は明らかかもしれないが、高速でビジネスが進んでいる時に、どれだけの人がその流れを止める発言ができるのかという疑問を投げかけられるシーンが登場する。
最初に声を上げる難しさは、今も同じだろう。
現場は「いかに失言を防ぐか」を議論
「吉野家事件」の後、ビジネスの現場では、自社で「あんな失言」が起きないようにするにはどうすれば良いか? が多く議論されている。
対処法的として必要不可欠なのは、役員研修だ。
コンプライアンスや人権問題の再認識(このあたりが詳しい)、
そして、メディアトレーニングなどがある。
メディアトレーニングは、取材対応する役割を担う人物は受講を必須条件にしている企業はもともと多いが、今後は組織の取り組みを話す講演などに登壇する場合にも必須条件にしていく流れになるだろう。
しかし、それだけでは心許ない。
なぜなら、今ほとんどの組織には、サステナビリティに向けた宣言がすでにまとめられているからだ。
たとえば吉野家にも行動憲章があり、また役員の失言を受けた謝罪文(当社役員の不適切発言についてのお詫び)でも、コンプライアンス教育について「職場全体へのコンプライアンス浸透に努めています」と述べられている。
SDGs(持続可能な開発目標)は、国連で議論が始まったのが2012年、採択されたのは2015年9月の国連サミットでのことだ。
ESG(企業の長期的な成長を測るための指標)の方がやや早く、2006年に概念が生まれたとされている。
いずれにしても比較的最近の考え方と言える。急速に広がってはいるが、現在は、どのように浸透させていくかが重要なステップなのだろう。
必要なのは「宣言」のチェックだ
サステナビリティに向けた取り組みへの関心は、実際のところまだまだ弱い。悩ましいのは、「大切だが、真面目にやっていてもそれほどすぐには評価されない」ということだ。
その結果、会社としては立派な宣言をしているものの、取り組みが追い付いていなかったり、宣言内容とはちぐはぐな現象が現場で起きやすい、ということである。
社内で長らく続いていた慣習で、今の時代にふさわしくないとしても、急にそれがなくなるわけでもない。
それに誰かが気づき、勇気をもって疑問を呈した時に、一人でも一緒に考えて声を上げることをサポートする人がいれば、みんなが目指そうとしている方向に向けた力になるのだろう。
立派な宣言をまとめる。それはいい。しかしそれだけでは不十分だ。形だけになっていないか、批判をかわすだけの対応になっていないか。それをチェックする役割も大切な存在である。そんなことを考えるのにも、「ホワイト・ホット」はたいへん良い題材だと感じた作品だった。