Yahoo!ニュース

「子どもの権利」の視点から考える少年事件報道・平野裕二氏との対話(第三回)

藤井誠二ノンフィクションライター

今年2月神奈川県川崎市で13歳の少年が殺害される事件が起きた。加害者は17~18歳の少年3人で、主犯は18歳の男だとされる。この事件は連日おおきく報道され、週刊誌は確信犯的に実名報道をおこない、ネット動画投稿サイトには容疑者宅の前から中継する動画も投稿された。この事件の「展開」について、かつて私も活動をともにしていた、国連の子どもの権利委員会を初回から傍聴、日本に伝え続けてきた平野裕二(アークARC Action for the Rights of Children 主宰http://www26.atwiki.jp/childrights/ )と意見を交換した。18~19歳の少年の「実名報道」について議論がかまびすしいが、私と平野の考え方の差異や同調する点を「議論するための前提知識」として、吟味しながら読んでいただきたい。

─────────────────────────────────────

■ネットの動画投稿サイトの悪質さを考える

■「双方向コミニケーション」はただのヘイト表現の場に成り下がった

■少年法61条はインターネットにも適用される、されないか

■ネットはプロバイダーも投稿者も、拡散した者も責任がある

─────────────────────────────────────

■ネットの動画投稿サイトの悪質さを考える■

(前半から続く)

藤井:

では、インターネットメディアはどう考えたらいいんだろう?無料で動画を中継(投稿)できるサイトからツイッターなどのソーシャルメディアまでふくめて、個人が発信できる場はいくらでもあり、無限に拡散されていく。川崎の事件では動画サイトの「ニコ生」で、「ここが犯人の自宅らしいよ」と逮捕された少年の自宅前とみられる場所からユーザーがネット中継した。投稿者はたぶん削除されることを予想して複数のサイトに投稿してた。ニコ動のは二日ほどで削除要請がなされ削除されたらしいが、無数にコピーされ、ネット上のどこかで残り続けて、見られるようになっている。永遠に消えないだろうね。

平野:

川崎の事件については、無責任な投稿が名誉毀損等につながりかねないことを警告する記事がネットでもいくつか出ていたけど、最近は同じようなことが毎回繰り返されているね。しかも、どんどん酷くなっているという印象だ。最近は日本でもヘイトスピーチ(差別扇動表現)が問題になっているけど、容疑者の民族的背景を勝手に決めつけ、それを川崎という場所と結びつけて差別や偏見を煽っているような書き込みが、ちょっと検索するとたくさん目につく。

藤井:

ネットはほんとうに無法地帯でネトウヨたちがやりたい放題やっている。ぼくは連中を罰する規制が必要だという立場だが、今回は、容疑者(当時)の家屋の前に取材陣が集まっている様子や、親族とみられる人たちが出入りする様子を生中継し、表札まで映してた。「弁護士ドットコム」(3月4日)等によると、「犯人の本名は〇〇、下の名前は〇〇」と個人名を口にしたり、「人を殺しているからね。まあしょうがないね」と取材陣が殺到している様に対してコメントしてた。これってニコ動のオフィシャル番組の「中継モノ」みたいなノリでやったんだろうけど悪質極まりない。

─────────────────────────────────────

■「双方向コミニケーション」はただのヘイト表現の場に成り下がった■

平野:

ニコ動だと、そういう行為を無責任に煽るコメントもたくさん流れるんだよね?

もちろんたしなめるコメントもあるんだろうけど。いじめは「被害者」「加害者」「観衆」「傍観者」の4層構造をとると指摘されるけど、同じことが当てはまるんじゃないか。

藤井:

ぼくは「ニコ生」で「ニコ生ノンフィクション論」という書き手を招く番組を二年やっていたけど、書き込みがひどすぎて、途中で書き込みできないNGワードをスタッフとつくって膨大な数がいまNGワードに設定できるようにしたこともあった。でも、それをかいくぐって書き込んでくる。書き込みのことを最初は「双方向コミュケーション」とか名付けてもてはやしていたけど、ただのヘイト表現の場に成り下がってしまった。これは動画サイトだけじゃなくて、ネットでは「煽る」のが普通で、差別や憎悪の言葉を垂れ流して「祭り」をやっている。ぼくが番組を始めてから一時はたくさんの言論番組ができたけど、みんな辞めてしまった理由の一つにそういう「双方向コミュニケーション」という幻想が砕かれたということもあったと思う。まあ、これは少年法61条に関わった議論というより、ネット上にあふれるヘイト表現や名誉棄損、プライバシーを晒す行為とか、ネットでの私刑=リンチをどうなくしていくかという議論の気がするけどね。法規制で対応していくのか、業界団体の自浄努力で対処していく問題なのか。

平野:

「炎上」という言葉もあるけど、ネット業界はそういう「観衆」によって支えられている部分がマスコミよりもいっそう大きいから、自浄努力といってもなかなか難しいかもしれないね。フェイスブックやツイッターのようなグローバルなSNSは、いやがらせやヘイト表現への対応を徐々に迫られるようになってきているみたいだけど。最近いわゆる「リベンジポルノ防止法」(私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律)が施行されたし、ヘイトスピーチの刑事規制も国連・人種差別撤廃委員会などから勧告されているから、状況によっては新たな法規制も考える必要があるかもしれない。

─────────────────────────────────────

■少年法61条はインターネットにも適用される、されないか■

藤井:

ちなみに、東京弁護士会の「子どもの人権と少年法に関する特別委員会」はウェブサイトで、〔少年法61条が制定された当時は、インターネットのように、個人が手軽な方法で広範囲に情報を発信できる手段が登場することは予想されていませんでした。また、インターネットでの情報発信は、少年法61条とは無関係であると考える見解もありました。しかし、同条の立法趣旨は、新聞その他の出版物を用いて少年の名前や顔などを報道することにより、少年に関する情報が社会に流布すると、それにより少年のプライバシーを侵害し、また、犯罪者としての社会的烙印を押されるなど、その更生を妨げる危険が大きいことから、それを防止しようとするところにあります。そして、インターネットの情報発信力・流通性の大きさは新聞その他の出版物と何ら異なりませんし、瞬時に全世界に向けて発信できるほどインターネットが高度に発達した現代にあっては、新聞や出版物以上に広範な情報発信力があると言えます。したがって、インターネットで少年の特定情報を流通させることも、新聞その他の媒体による場合と同程度の弊害があるということから、インターネットも少年法61条の「新聞その他の出版物」と同視できると考える〕ことを明記していているね。インターネットも61条の対象になるという。少年法を守護せんとする立場の人達にとってはとうぜんの意見だと思うけど、「いけません」というだけでは弱いような気がする。

平野:

ネット社会における少年法61条の解釈は妥当だと思う。「新聞その他の媒体による場合と同程度の弊害」というより、拡散性の高さや記録の永続性ということを考えると、より弊害が大きいと言えるんじゃないかな。最近では、個人情報をネットから削除させたり、検索結果に表示されないようにしたりることを要求する根拠として「忘れられる権利」が有力に唱えられつつあるけど、これが法的に定着していったとしても、実際にその権利を行使するのはかなり大変だろうし。

藤井:

ネットは無視すればいいという考え方もあるが、メディアとしての特性という意味ではより悪い影響力を持ってしまう。さきに事件の加害者が起こした「実名報道訴訟」について触れたけど、これをネットにあてはめると、もし仮に「容疑者」の誰かが、どこかの配信者に対して「保護法益を侵害された」と主張しても、侵害されたという実体が、はたしてその配信者Aによるものなのか、あるいは他の無数のネットにあふれる情報によるものなのかより分けることは司法判断は難しいだろうね。ようするに「法益を侵害した」犯人が誰なのかわからないというのが実体だから。週刊誌や月刊誌は版元がわかるし、書き手もわかるから、責任主体がはっきりしている。ぼくも含めて署名で取材している者は、リスクを背負う責任も覚悟もある。ネットもジャーナリズムであるという意見に即して考えて、確信犯として「容疑者」の実名報道を個人でやっているんだったら、発信者は自分の個人情報を公開しておこなうべきじゃないかな。

─────────────────────────────────────

■ネットはプロバイダーも投稿者も、拡散した者も責任がある■

平野:

侵害の主体は、もともとの情報発信者はもとより、無責任なコピペやリツイートで情報を拡散させた者全員に責任があると考えていいと思う。また、裁判所の判断で権利侵害が確定すれば、事業者には関連の情報を削除する責任を負わせていいんじゃないか。「発信者は自分の個人情報を公開しておこなうべき」というのは道義的な議論になるけど、そういう場合は発信者情報の開示を認める基準を低くしてもいいかもしれないね。いずれにせよ、プライバシーや名誉を侵害された被害者がいちいち裁判を起こすのは非常に手間がかかるし、そのためにみんな“自分は訴えられないだろう”と高を括る面もあるだろうから、このような場合の紛争処理制度を第三者機関として設けることも検討した方がいいと思う。

藤井:

個人情報保護法で守られている面もあり、問題のある発信者の特定をもっと簡単にできる手続きに変えたほうがいいとぼくも思うよ。

実名報道の問題からは離れるが、そもそも18歳~19歳は死刑になる可能性があるけれど、一方で、18歳に満たない者は一等減じられ、死刑にはならない。光市母子殺害事件が最近では記憶に新しいが、加害者は18歳になったばかりだった。木曽川・長良川事件も主犯格は18~19歳だったが全員が最高裁で死刑が確定した。18歳、19歳は、日本の司法の判断では、いわば「子どもであって、子どもでない」というグレーゾーン的な存在のように受け取れるんだけど。で、日本が1990年に批准している国連「子どもの権利条約」が出てくるわけなんだけど、では18歳未満は、子どもと規定されているよね。18歳は、「大人」なのか、「子ども」なのか。少年法では20歳未満が「子ども」として扱われ、守られるわけで、日本では「大人」と「子ども」の線引きが一律になっていないと考えてしまうのだけど、平野はどう考える?

(次回へ続く)

※本記事は公式メールマガジン「The Interviews High (インタビューズハイ)」の3月23日に配信したものです。

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

藤井誠二の最近の記事