ネトウヨ・陰謀論者の肥やしとなる、自衛隊将官の陰謀論
2008年11月、アパグループが主催する懸賞論文への応募作の内容が問題となり、田母神俊雄航空幕僚長が更迭、退官することになった騒動は記憶に新しい。航空自衛隊の現職トップが、政府見解と大きく異なる歴史観の論文を明らかにしたのが物議を醸した訳だが、その「論文」内容のお粗末さは目に余るものがあった。
田母神論文で参考文献として挙げられた『盧溝橋事件の研究』の著者で現代史家の秦郁彦は、田母神論文における自著の恣意的な引用に不快感を表明し、総論として「論文というより感想文に近いが全体として稚拙と評ざるをえない。結論はさておき、根拠となる事実関係が誤認だらけで論理性もない」と酷評し、著書『陰謀史観』でも、田母神元空幕長の歴史観を陰謀論と認定している。後に防衛大臣となる森本敏拓殖大学大学院教授も「あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない」と批判するなど、論文の程度の低さや事実関係誤認等、学識者から多々指摘されている。
田母神論文については、航空幕僚長の更迭といった事件を引き起こした事もあり、多くの学識者らによって俎上に載せられ、その内容のデタラメさが明らかにされた。しかし、田母神論文の他にも、自衛隊の元将官による稚拙な陰謀論の主張が見られる。ここではその一端を紹介するが、自衛隊の将官は200名以上おり、退官者も入れると相当数な数に登る。ここで紹介する陰謀論者、あるいはトンデモな将官は、将官の中の少数だとあらかじめ断りを入れておきたい。
民主党政権に北朝鮮の息のかかった在日朝鮮人議員が70人?
ーー2009年の民主党政権成立時、「朝鮮人政権である民主党政権」に70人もの在日朝鮮人議員が送り込まれたーー。そう主張するのは、陸上自衛隊の化学戦の専門家で、幹部学校・第4戦術教官室長を勤め、平成元年(1989年)に退官した倉田英世元陸将補だ。現在は、WebメディアのJBプレスの執筆者として活動しているが、9月24日の「さらば韓国、反日を煽り続ける国とは断絶を」の内容が物議を醸した。その内容を見てみよう。
2009年の衆議院選挙における民主党の当選者は308名だから、倉田元陸将補の弁では、当時の民主党代議士のおよそ4分の1が在日朝鮮人と言うことになる。かなり具体的な数字を挙げているが、所謂”ネット右翼”が主張している話と同じで、この手の主張の根拠を一度も見たことがない。倉田元陸将補はWebメディアで署名記事を書いている以上、何らかの根拠を持っていると思われるが、不思議なことにそれは明らかにされていない。”赤狩り”の時代、「国務省内の共産主義者のリストを持っている」と宣言したマッカーシー上院議員が、一度もそれを明らかにする事無く失脚したのを彷彿とさせる。2013年の衆議院選挙での民主党の再選は56人だから、単純に計算すれば今も10名以上の在日朝鮮人が民主党代議士にいるはずだが、現在の民主党議員から事実無根と訴えられても、訴えを跳ね除けるだけの根拠を倉田元陸将補はお持ちなのだろうか。
また、田母神論文と同様、倉田記事も事実関係の誤認が多い。突っ込みどころを挙げていこう。
倉田記事において、左傾化が進む韓国はより親中・親北になっていくと懸念しているようだ。しかし、日本の保守層に多く見られる誤解だが、韓国における保守派は伝統的に親中勢力であり、逆に左派・革新派は自らが韓国の民主化に果たした役割を自負しているために、非民主主義的体制である中国を軽視する傾向があるとされる(韓国内の政治勢力と中国の関係については、日本経済新聞の鈴置高史編集委員のコラム「早読み 深読み 朝鮮半島」を参考にされたい)。日本における左右の認識を、そのまま韓国に当て嵌めようとして失敗しているパターンだ。でも、これはまだ可愛いレベルの事実誤認だ。
まず義務教育レベルの間違いとして、55年体制とは1955年以降に与党自民党・野党第一党に社会党が議席を占めていた体制の事であり、55年体制は1993年の細川連立政権発足で既に崩壊している。なお、公明党の成立は1964年であり、自公が連立を組むのは1999年以降で、公明党は55年体制とは関係が無い。民主党の政治運営の「未知」(原文ママ)を指摘する割に、倉田元陸将補の政治についての知識はかなり怪しい。また、ここでも北朝鮮らによる援助の根拠は語られていない。
産経新聞、読売新聞を除く新聞社と、主要キー局は全て韓国・北朝鮮の傘下にあるそうだが、フジテレビは産経新聞と同じフジサンケイグループの企業であり、フジテレビの日枝会長は産経新聞社の取締役相談役を兼任している。同じく韓国・北朝鮮の影響を受けているとしている日本テレビも読売新聞グループ本社の傘下企業だが、なぜこの2社だけ「韓国・朝鮮からの多大な影響」から例外扱いで、グループ企業は韓国・北朝鮮の傘下なのか、まるで説得力が無い。
元将官なのに、算数もできないのかと唖然となった。1980年から30年以上経過しているが、年平均で2400億ウォンの金が流れ、そのほとんどが工作資金に使われたなら、総額は今日まで7兆ウォン以上になるはずだが、倉田元陸将補の出した数字はその3分の1も無い。倉田元陸将補の論拠が不明だが、ソースから丸写ししたとしても数字の検証すら欠いており、酷い記述であると言わざるを得ない。
突っ込みどころを挙げると他にもキリがないが、ここらで止めておこう。だが、倉田元陸将補が可愛く見える将官がいる。倉田元陸将補は退役後にやらかしてるが、次は現役時代からアグレッシブだった。
制服着用でホメオパシーを称揚。水道水の塩素添加はGHQの陰謀
陸上自衛隊小平学校人事教育部長を勤め、平成22年に退官した池田整治元陸将補。現役時代から現在に至るまで、池田元陸将補はネット上の一部メディアで様々な主張を開陳していたが、そんな氏のネット上での評判はどんなものか? 人に聞いた評判では偏りがあるので、機械的に関連ワードを収集しているGoogleを使うことにする。池田元陸将補の名前をGoogleに入力すると、予測検索で様々な単語が出てきた。
なお、Googleは検索結果をユーザーに最適化する為、最適化を避けるために匿名化ブラウザのTorBrowserを用いて検索したが、上記のキャプチャ画像と同じ結果だった。ネット上で氏を知る大多数に、氏はこういう人物だと思われているようだ。
池田元陸将補のトンデモ主張については、いちいちツッコミ切れない程あるので、主なものを簡潔に箇条書きで挙げる。
現役自衛官時代
- 「水は話しかけると美味しくなる」と自衛隊部内紙に寄稿。
- SPA!誌におけるインタビューで、新型インフルエンザに対してホメオパシーが有効だと推奨。
- 水道水への塩素添加は、GHQによる日本弱体化の陰謀と自著で主張。
退官後
- 「江戸しぐさ」と呼ばれる歴史的事実として認められていないマナー運動について、江戸しぐさが現在に伝わっていないのは「新政府軍の武士たちに老若男女にかかわらず、わかった時点で斬り殺されていったからです。」と主張。
ホメオパシーは19世紀からある民間療法の一種だが、近代医学に対する否定的な姿勢で知られ、レメディと称する砂糖玉の高額販売トラブルや、2009年には山口県でホメオパシーに感化された助産師が新生児にビタミンKを投与しなかった為、ビタミンK欠乏症により死に至らしめる事件が発生するなど問題化している。死者が出た事を受け、2010年8月に日本学術会議が「ホメオパシーには科学的に全く根拠がない」と声明を発表し、日本医学会、日本歯科医師会、日本薬剤師会の3師会全てがそれに賛同するなど、医学界全てがホメオパシーをエセ科学だと認定し、その悪影響排除に乗り出している。
しかし、ホメオパシーで死者が出てから間もない2010年1月、池田元陸将補はSPA!誌上のインタビューにて、新型インフル対策にホメオパシーを推奨する旨を主張している。このインタビュー記事はホメオパシー団体のホメオパシージャパンの公式HPで掲載されるなど(後に削除)、エセ科学の広告塔として現役幹部自衛官(2010年1月当時)が肩書を強調して使われており、問題があると言わざるを得ない。この記事の科学的デタラメについては、下記のブログで詳しく検証されており、興味のある方はぜひご覧頂きたい。
幻影随想: SPA!のトンデモ記事および池田一等陸佐の免疫学に対する無知を切る
池田整治氏による予防接種否定論と自衛隊 - Not so open-minded that our brains drop out.
ここまで自衛隊将官のトンデモ発言について触れたが、彼らに共通しているのは、話の根拠が単純な事実誤認か、根拠を明らかにしない、或いは恣意的に利用している点だ。このような根拠に乏しい話であっても、自衛隊の将官という社会的信用を得ている地位にある人間の発言として、賛同者達によって様々な形で引用され、あたかも真実かのように語り継がれていく。ネット右翼や陰謀論者、似非科学信奉者たちの唱える話の根拠として繰り返し利用される。そう、ネット右翼や陰謀論者にとっての肥やしと化しているのだ。
中国軍で好戦的発言する将官は出世できない。だが、自衛隊では……
ここまで自衛隊のトンデモ将官について紹介したが、自衛隊は25万人を擁する日本最大級の組織であり、トンデモな人が人口に一定数含まれている以上、自衛隊にも多くのトンデモさんが集まるのは避けられない事だ。しかし、そのトンデモさんが、将官にまで出世するのはいかがなものか。
ここで、中国軍の将官の例を挙げよう。日本のメディアで「中国軍高官」とされる軍人、彭光謙少将、羅援少将といったタカ派将官らの好戦的発言が取り上げられることがある。ここで彼らの発言を論評する事はしないが、Googleで彼らの名前を検索すれば、過激な発言は山ほど出てくる。だが、少将である彼らは下位の将官だ。
立命館大学の 宮家邦彦教授によれば、中国人民解放軍で「高官」と呼べるのは共産党中央委員である40名であり、その中に好戦的な発言をする将官はいない(詳細は「好戦的発言を繰り返す下級将官は出世できない」を参照)。出世コースから外れた将官の発言が「中国軍高官」の発言として日本では報道されているが、実は高官でもなんでもない彼らの言葉を額面通りに、中国軍主流派の意思だと捉える必要はない。そういう意味で、少将と同格の倉田・池田両陸将補の発言も、自衛隊で主流の意見とは見做せない。だが、言い逃れできない人物がいる。航空自衛隊のトップに上り詰めた、田母神元空幕長だ。麻生政権は即座に更迭したものの、自衛隊高官は陰謀論者でも勤まる事を明らかにしてしまったのは痛い。本物の中国軍高官は、影で自衛隊を嗤っているかもしれない。
何故、陰謀論者が自衛隊高官に?
何故、陰謀論者が自衛隊高官に就く事態になったか、その詳細は明らかではないが、ここからは著者の推測を述べる。
自衛隊の陰謀論者の多くに共通しているのは、一貫した被害者意識だ。――コミンテルン、ルーズベルト、GHQ、マスメディア、中国・韓国・北朝鮮……。日本は彼らの術中にあり、破滅の道を進んでいる。日本古来の大和魂・武士道を取り戻し、日本を復活させねばならない――。彼らの認識は概ねこれが基本路線だが、情けないほど日本が陰謀に弱い被害者として描かれている。「首謀者まで特定されるようなザルな陰謀なのに、まんまとそれにハマる日本って馬鹿なんじゃねえの? てか、日本人馬鹿にしてるだろオイ」と普通の人は思うだろうが、被害者意識に染まりきった陰謀論者はそうは思わないようだ。
戦後に発足した自衛隊が、様々な謂れのない理不尽な仕打ちを左派・マスコミから受けてきたのは事実だ。革新自治体による成人式への自衛官出席拒否、大学へ進学した自衛官への暴行とそれに見ぬふりをしたメディア、自衛官を殺害した過激派の逃亡に協力したマスコミ関係者等、左派やマスコミへの不信の材料は枚挙に暇がない。敗戦という屈折からスタートし、さらに守るべき国民からの理不尽な仕打ちに歪んだ被害者意識を醸成させる自衛官がいたとしても無理なからぬ事だろう。
陰謀論者の自衛官の回りにいる人物達――右派論客、”親日”外国人、陰謀論者――は、叩かれる自衛官を承認し、味方してくれる数少ない存在だった。 彼らの影響を受けた自衛官は、陰謀論を振りかざすようになる。この経緯は、北朝鮮による拉致が公に認められていなかった頃、拉致被害者の親族友人らで結成された「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(通称:救う会)が、広範な協力を得られない中で、唯一協力的だった右派諸団体の影響を受けて政治的に先鋭化・右傾化し、各地で分裂騒動を起こした事例に似ている。孤立無援にある者は、優しく擦り寄って来る者に、とことん弱い。
屈折した被害者意識に苛まれた彼らにとり、過去から現状の問題の原因全てを他者に転嫁できる陰謀論はさぞかし魅力的に映っただろう。だが、彼らは面と向かって陰謀の首謀者(特にアメリカ)を糾弾することはしない。このような姿勢について、現代史家の秦郁彦は『陰謀史観』の中で、「彼らがこの種の「正論」を引っさげ、アメリカへ出かけて論戦しようと試みた形跡はなく、日本人の一部有志に訴える「国内消費用」の自慰的言論に終始した」と評しているが、まさに自らの心理的逃避先としての主張でしかないのだ。
繰り返すが、このような陰謀論に走る自衛官は少数だろう。田母神論文を批判した森本教授は、田母神元空幕長の6期上の先輩にあたる元自衛官だ。また、1970年の楯の会事件で、自衛隊によるクーデターを訴えた三島由紀夫に抵抗し、失敗に追い込んだ健全さが、その場にいた旧軍経験者含めた自衛官にはあった。その際の三島の演説や檄文は、自民党を批判している点を除き、現在のネット右翼の陰謀論とそう変わらない。今、楯の会事件が起きても、多くの自衛官は抵抗し、決起は失敗するだろう。
だが、上位者の言動は下位の者に確実に影響を与える。前述の宮家教授は、中国軍の次代を担う若き幹部候補生は、軍内部の少数派であるタカ派将官以上に強烈なナショナリズムの持ち主で、それは将来の日米にとっての脅威となるだろうと警告している。これと同じ現象が、自衛隊内部で起きていないという保証は無い。主張好きな陰謀論将官達は、盛んに自衛隊内での講話を行っていた。自衛隊の中堅幹部から国政に転身した現職国会議員が、粗暴な言葉で陰謀論をツイッターで呟き、後に撤回した騒動も最近起きている。不安の種は、ある。
しかし、国民の自衛隊へのイメージは冷戦終結以後に好転しており、特に阪神大震災、東日本大震災を経て、国民が自衛隊に寄せる信頼はかつて無いほどに高まっている。あからさまな反自衛隊活動も鳴りを潜めており、反自衛隊活動を展開していた急進的平和団体・過激派関連組織は、新組織に鞍替えして存続を図るなど、活動の転換を迫られている。かつての冷遇と比べれば、今の状況はだいぶ明るいものだ。だが、長年の鬱屈を抱え続けている自衛官が未だにいるのも事実だ。
虐めた側はすぐにその事実を忘れるが、虐められた側は一生忘れない。
自慰的な言論に終始するのは、慰撫して欲しい傷がある事の裏返しだ。
屈折した被害者意識の持ち主が、自衛隊高官にまでなってしまった事実は、戦後の日本を考える上であまりに重い。我々日本国民が、彼らの被害者意識を解消させる日は来るのか、それとも厳しい清算を迫られる日がやってくるのか――
※この記事は、dragoner.ねっと「ネトウヨ・陰謀論者の肥やしとなる、自衛隊将官の陰謀論」をYahoo!ニュース向けに編集したものです。