安倍首相は米国の「失望」を取り違えていないか
安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐる波紋はおさまるどころか、さらなる広がりを見せている。自国の戦没者に対する追悼の仕方を他国からとやかく言われたくないという不満が背景にある。
安倍首相に参拝を勧めてきた衛藤晟一首相補佐官が、首相の靖国参拝に「失望」を表明した米国に対して、「われわれのほうが失望だ」と動画投稿サイト「ユーチューブ」に投稿した国政報告でコメントした。
菅義偉官房長官は「首相補佐官は内閣の一員であり、個人的見解は通用しない」と取り消しを指示した。これを受けて、衛藤氏は発言を撤回し、動画を削除した。
しかし、安倍首相の周辺では「日本は日本でやって行こう」という独自路線の気運が強まっているのではないか、という疑念を改めて感じさせた。
「米国はちゃんと中国にものが言えないようになっている。中国に対する言い訳として(失望と)言ったに過ぎない」と衛藤氏はユーチューブで解説したそうだが、この見解は間違っている。
ダニエル・ラッセル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は先の米下院外交委員会公聴会でこう証言している。
「中国による東シナ海での防空識別圏(ADIZ)設定は挑発的行動であり、悪い方向に向けた深刻な一歩だ。尖閣諸島は日本の施政権下にある。一方的な現状変更の試みが緊張を高めており、国際法に基づく領有権主張を強めるものではない。米国はADIZ設定を認めないし、受け入れない」
ラッセル氏は南シナ海についても中国の動きを強く牽制した。
衛藤氏はユーチューブで、ラッセル氏やアーミテージ元国務副長官らと会談、在日米大使館にも出向いて安倍首相の靖国参拝への理解を求めたのにもかかわらず、「失望」を表明した米国に対し「同盟関係の日本をなぜこんなに大事にしないのか」と不満を語ったそうだ。
米国が「失望」を表明したのは、安倍首相の靖国参拝が米国の国益に合致しないと判断したからだ。米国は、日米中韓4カ国の中で日米韓の安全保障トライアングルを機能させることが中国の膨張主義を抑制すると考えている。
安倍首相とその周辺が放つ不協和音は米国から見て東アジア外交の基本戦略を損なっているのだ。では、日本の国益とは何か。首相として靖国参拝という「心の問題」を優先することなのか。
安倍首相は首相就任前、日本、米国、オーストラリア、インドの安全保障ダイヤモンドを提案したことがあるが、実現性はあるのか。
オーストラリアは、中国と対立するのを避けようとしている。インドは「敵の敵は味方」という理屈からすれば安全保障上の利益は一致するのかもしれないが、地政学上、東シナ海からは離れている。
昨年4月、海上自衛隊の香田洋二元自衛艦隊司令官が日本記者クラブで会見した際、日米同盟についてこんな見方を示した。
「米国にとったら頼るのは日本しかない。日本の磁石(マイナス)というのは、もっと強くなっている。その中で、例えば空母を持つとか、打撃力を持つというのは、小さいけれど、米国と同極、すなわちプラスを持つということ」
「この意味というのは、小さいけれど、実はミューチュアルトラスト(相互信頼)のインパクトというのはものすごくネガティブ。私は軍事の専門家としてもし問われたら、やるべきじゃないと言う。答えは明確です」
「米国は本当に信頼すべき友邦です。そういう意味で、米国が信用できないと言うことについては、それは政治とか学級の上の論理として言うのはいいんでしょうけれど、政策として私はそれはすべきじゃない」
日米が磁石のプラスとプラスになれば反発し合う。日本にとって最大の国益は、まず米国とがっちりスクラムを組むことだ。
中曽根康弘首相は1985年、靖国神社の公式参拝に踏み切った後、中国共産党の親日派が窮地に追い込まれることに配慮してA級戦犯の分祀を模索したが、断念。翌年から参拝を見送った。
小泉純一郎首相は2001年から06年にかけ6度も参拝したが、「A級戦犯のために参拝しているのではなく、また、日本が極東国際軍事裁判の結果を受け入れている」「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」ことを繰り返し表明した。(外務省HPより、靖国神社参拝に関する政府の基本的立場)
中曽根首相とレーガン米大統領、小泉首相とブッシュ大統領(息子)の絆は強く、米国は首相の靖国参拝に口をはさまなかった。しかし、ブッシュ時代から首相の靖国参拝を懸念する声はあったという。
防衛省防衛研究所の千々和泰明・戦史研究センター安全保障政策史研究室主任研究官の論文「小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題 対米関係の文脈から」(佐々木葉月・田口千紗と共著、『国際公共政策研究』12巻2号、2008年)が興味深い。
「米政府関係者の間では『日本に靖国神社参拝をする権利がないと主張する者は誰一人いない。しかし、詳しい事実を知ればいずれも腹を立てるだろう』というストラウブ元国務省日本部長の発言が当時の典型的な見解の一つとなった」
「ワシントンでは日本と近隣諸国との関係悪化は米国の国益に反するというコンセンサスが形成されるようになり、それは(1)アジアにおける日本の影響力低下に対する懸念(2)中韓の戦略的接近を助長することへの懸念(3)米国が東アジアで軍事衝突に巻き込まれることへの懸念(4)中国を『責任ある利害関係者』へと導こうとしている米国の努力を阻害するという懸念などによって裏書きされている」
「ワシントンの一部ではキャンベル元国防次官補代理やゼーリック元国務副長官のように、靖国神社参拝問題に米国が関与するべきであるとする主張すら展開されることとなった」
イラク戦争で結ばれた小泉―ブッシュの蜜月関係が米国内のこうした空気を覆い隠していただけだ。それに対して、安倍首相とオバマ大統領の関係は希薄だ。オバマ政権が「中国びいき」というより、「日本と近隣諸国との関係悪化は米国の国益に反する」というのが米国の東アジア外交の基本戦略なのだ。
日本の経済力は低下し、65歳人口は全体の4分の1。防衛力を強化すると言っても限界がある。日米同盟は日本の生命線だ。安倍首相は自分にとって心地よい「お友達」の声ばかりに耳を傾けず、激変するアジア・太平洋の現実にしっかり目を見開いてほしい。
首相の靖国参拝は日米同盟という強力な磁力を弱める危険性をはらんでいる。
昨年のケリー米国務長官とヘーゲル国防長官の千鳥ケ淵戦没者墓苑訪問は、安倍首相に靖国参拝を思いとどまらせるための牽制というより、「米国の最後通告」と受け止めた方が良かったのかもしれない。
(おわり)