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「お前の子宮をこすり取る」一人っ子政策が中国に残した傷跡 昨年の出生数は大飢饉の1961年以来、最悪

木村正人在英国際ジャーナリスト
一人っ子政策が撤廃され、大学で育児手伝いの訓練を受ける中国の女子学生(写真:ロイター/アフロ)

中国の「人口戦争」

[ロンドン発]1985年に中国江西省で生まれた米国人女性ナンフ・ワン監督らのドキュメンタリー映画『ワン・チャイルド・ネーション(筆者仮訳・一人っ子国家)』が英BBC放送で放映されました。1979~2015年に実施された中国の一人っ子政策に迫った力作です。

ナンフには「男(ナン)」と「柱(フ)」、つまり、一人前の男になって家族の大黒柱になってほしいという願いが込められています。中国の家庭の多くは男の子を望むのが普通でした。一人っ子政策が導入されてから6年後に生まれたワン監督には5歳年下の弟がいます。

ワン監督の両親が暮らしていた地方では子供を2人までもうけることが例外的に許されていたからです。ただ5年以内に2年目の子供を生むことは認められていませんでした。ワン監督の母親は2人目も女の子だったら、捨てる覚悟だったと作品の中で打ち明けています。

「人口戦争」最中の中国の街には一人っ子政策のスローガンが至る所に掲げられました。

「より少なく、より良い出産こそ国家への貢献。すべての人生が幸せに」

「一人っ子は素晴らしい」「家族計画は基本的な国家政策」

「余分な子供を出産したら罰金は小さくない。二人っ子の罰金は1万4000人民元。子供3人なら2万5000人民元」

「2人目の子供の強制中絶を拒絶したら、他の家族6人も妊婦と同じように罰せられる」

「2人目を認めるぐらいなら、おまえの子宮を取り除く」

こんな脅迫的なスローガンもあったそうです。「2人目を認めるぐらいなら、おまえの子宮をこすり取る」「不妊手術を受けなければ家を解体する」

そんな時代だから弟がいるワン監督は子供の頃からある種の罪悪感にとらわれてきたそうです。ワン監督は罪悪感の源泉を探るためインタビューを続けます。

中でも衝撃的だったのはワン監督を取り上げた助産師の女性(84)の証言でした。何人の赤ちゃんを取り上げましたかという質問に助産師は「分からない」と答える一方で、「私は5万~6万件もの不妊手術と中絶手術を行った」と打ち明けます。

この助産師は一人っ子政策を実行する医療チームに加わり20年間、各地を回り、不妊手術や中絶手術を行いました。不妊手術にかかる時間はわずか10分、1日に20回の手術をこなしました。中絶手術では分娩を誘起して出産させて胎児を死なせたそうです。

手術を拒絶する女性は拉致され、布団にくるめられました。そして荷台にくくりつけて運ばれ、「家畜の豚のように」処置室に連れてこられたと言います。「いくら共産党政府の命令とは言え、私は死刑執行人だったのです」とこの助産師は告白します。

中国では共産党に逆らわない限り、籠の中での幸せが保障されています。しかし自責の念に駆られた助産師は108歳の老僧に懺悔し、許しを請います。老僧は「その代わり子供に恵まれない夫婦に不妊治療を施して新しい命の誕生を助けてあげれば罪滅ぼしになる」と語ります。

助産師の不妊治療で少なくない命が誕生しました。

闇のビジネスになった国際養子縁組

ワン監督の弟がもし女の子だったら、籠の中に入れられて道端に捨てられていたかもしれません。実際に中国では生まれたばかりの女の子が捨てられ、命を落としました。こうした捨て子を拾って孤児院に届けるブローカーを始めた人も少なくありませんでした。

1992年から国際養子縁組計画を始めた中国の子供は1人1万~2万5000ドル(108万~271万円)で海外の里親に引き取られていったそうです。捨て子を中国の孤児院に届けたブローカーは1人当たり200ドル(約2万1700円)の報酬がもらえました。

母親から子供を引き取る場合は母親に115ドル(約1万2500円)が支払われました。結局、13万人が国際養子縁組で海を渡りました。

深刻な人口増加が続いていた中国は1971年から人口抑制に取り組み、79年、1組の夫婦は1人の子供しかつくってはならないという一人っ子政策を始めました。この政策に反して生まれた子は戸籍を持たない「闇の子」になりました。

一人っ子政策は部分的に緩和され(1)農村住民で第1子が女児や障害児(2)都市で暮らす一人っ子同士の夫婦(3)少数民族―などの場合、例外的に第2子の出産を認めています。このため「事実上は1.5人っ子政策」と言われることもありました。

英紙フィナンシャル・タイムズは2013年3月に、中国が実施した中絶手術は3億3600万件、不妊手術は1億9600万件、避妊具挿入は4億300万件と報じています。15年10月に中国は一人っ子政策を撤廃し、すべての夫婦に2人目の子供をもうけることを認めたのです。

二人っ子政策でも出生数は1961年以来、最悪

中国はもともと「家を継ぐ」「女の子より男の子が大切」「子たくさんが幸せ」「早婚早産」という伝統がありましたが、一人っ子政策により晩婚・晩産・少産のライフスタイルが浸透しました。

二人っ子政策になっても養育費、教育費、住宅費、生活費の高騰でなかなか2人目には踏み切れないようです。

中国の生産年齢人口(15~64歳)は14年にピークを迎え、減少に転じました。今後25年間で65歳以上の中国の人口割合は12%から25%になると予想されています。中国人の年齢の中央値は2020年には米国人の年齢の中央値を上回る見通しです。

中国の出生率は二人っ子政策になってからもほとんど回復していません。

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出生数は昨年、毛沢東による大躍進政策の失敗が大飢饉をもたらした1961年以来という1523万人まで落ち込みました。

15年 1655万人

16年 1786万人

17年 1723万人

18年 1523万人

経済が成長するにつれ、女性の高学歴化、晩婚・晩産・少産化に伴って少子高齢化が進みます。中国は豊かさが国民全体に行き渡らないうちに、人口に占める働く人の割合が低下して経済の下押し圧力になる「人口オーナス」期に入り、深刻な高齢化を迎えます。共産党は「一人っ子」のスローガンを「二人っ子」に書き換え、懸命に出産を奨励します。

『ワン・チャイルド・ネーション』で映し出されたホルマリン漬けにして保存された胎児の遺体はもう赤ちゃんと言える大きさでした。そしてその遺体は黄金のように美しい光を放つのです。一人っ子政策が残した非人道的な傷は今も癒やされていません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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