【富士宮市】日興上人が幼少期を過ごした河合山。両親を弔うために建てた寺は『妙興寺』と改称し今に至る!
日興上人は日蓮聖人の弟子で日蓮正宗総本山富士大石寺や日蓮宗大本山北山本門寺を開山した方です。
幼少期に父が亡くなり、母の父に養われたと言います。
日蓮聖人に入門し、駿河国をはじめ伊豆・甲斐で伝道活動し、教団の勢力を伸長させました。
日蓮聖人入滅にあたっては、本弟子に選ばれ、身延山に営まれた日蓮聖人の墓塔を守っていたが、領主の波木井実長と意見があわず、身延を出て、とりあえず自身が幼年期を過ごした養家の河合家に滞在しました。
その後南条時光の要請を受けて大石が原に新寺院(大石寺)を建設しました。
日興上人が幼少期に過ごした、そして身延山を離山してひとまず過ごした場所は富士宮市芝川郵便局に隣接する『妙興寺』だと言われています。
身延山を離れた日興上人はしばらくこの地に落ち着き里人に請われるまま説教、教化に努めたと言います。
その時に両親の菩提を弔するため弟子に『河合山 妙福寺』を建てさせたそう。後に火災に合い、日髄と言う僧が再興し『妙興寺』と改名されて今に至るそうです。
ちなみに『妙福寺』の『妙福』とは日興上人のお母様の名前なんだとか。母を思う気持ちをそのままお寺の名前に使ったですね。
境内には妙福がこの石の上に立ちは修行に励む日興上人の安否を気遣い、帰りを待ちわびていたと言い伝えられている『富士見石』があります。
またその真向いには『爪引の石曼荼羅』があります。この石曼荼羅は『妙福寺』を建設している間、母の菩提を弔らうために、爪で石に曼荼羅を刻んで祈祷していたと言い伝えられています。
良く見ると薄く文字が彫られています。
爪で石に文字を刻むなんて想像しただけで、痛くて鳥肌が立ってしまう話ですが、それだけ母との絆が深かったのでしょう。
人目の付かないような、奥まった場所にひっそりと鎮座する『妙興寺』。
雲の上の存在だと思っていた上人と呼ばれる高僧の、人間らしい一面を垣間見て、つい熱心に手を合わせている自分がいました。
妙興寺
住所:富士宮市長貫1195
アクセス:芝川郵便局北側(隣接しています)