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「テニスは、人の和もそうですし、人生を豊かにしてくれたもの」尾﨑里紗引退インタビュー 後編【テニス】

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
28歳でプロテニスプレーヤー現役引退を決意した尾﨑里紗(写真/神 仁司)

プロテニスプレーヤーの尾﨑里紗が、28歳で現役のキャリアを終えようとしている。

現役最後の大会は、本戦ワイルドカードを得て出場する全日本テニス選手権(東京・有明、10月22~30日)の予定だ。

そこで尾﨑に、引退を決断した経緯や約10年間のキャリアを振り返ってもらった。

――ジュニアからプロまで一緒に戦ってきた川原努コーチについてコメントをお願いします。

尾﨑:川原コーチと知り合ったのは小学2年生からで、プライベートでテニスレッスンを受け始めたのは、たぶん小学4年生の終わりぐらいからです。当時から本当にパワフルというか、常に選手に対して全力でエネルギーを注いでくれた。本当に厳しいコーチで、(テニスの)技術とかを言われるよりもメンタル面の部分を言われるのが、選手としてはすごくきついというか、逃げたくなる選手も多いと思う。実際私も逃げたいと思ったこともありますし。でも、そこが大事だとわかっているから、川原コーチもごまかさずにずっと心の部分も厳しく指導してくれました。他の選手やコーチの関係とかを見ていて、選手に気を使っているコーチも結構いる中で、(川原コーチは)本当に本音の部分を常に話してくれていた。いろいろ厳しいことも言われて、嫌になることも多かったんですけど、やっぱり信頼している部分はすごく大きかった。

 私もまさかこんなに長く、川原コーチと一緒にツアーを回ったり、選手とコーチの関係が最後まであるとは、当時は思っていなかったですし、本当にびっくりしています。川原コーチは、いちテニスクラブのコーチであったにもかかわらず、今まで私を常に最優先に考えて指導してくださったことは、すごく感謝しています。川原コーチも全部自分1人でやろうっていう感じではなくて、ナショナルコーチだったり、他のトレーナーさんだったり、いろんな人の意見を聞いて、いろんな人を巻き込んでくれて、(私が)いろんな人の話も聞けるように環境作りをしてくれていたので、本当にその辺りはすごいなというか、私のためにたくさんいろんなことをしてくれました。

――成績が低迷した時に、コーチを変えて、頑張ってみるという選択肢もあったのではないでしょうか。

尾﨑:これまでそういう意見の方もいました。私もさまざまな意見を聞いて考えたりとかもしたんですけど、やっぱり別のコーチへ行かなかったのは、最後まで川原コーチとテニスをやっていきたいっていう思いがあったからだと思います。コーチを変えなかったっていうことに対しては、別に後悔はないです。

――プロテニスのキャリアの全体を振り返って、後悔はありませんか。

尾﨑:後悔は、まぁ、やっぱりありますね。ジュニアの時は、もっと上のランキングに行きたいと思っていたし、グランドスラムに関しても、もっと長い間ちゃんと本戦の選手として出続けたいっていう思いはあったので、それができなかったことに対しては、やっぱり後悔はすごくあります。もうちょっと頑張っとけばよかったなとか、苦しんでいる時に心が踏ん張れていたらよかったな、というのは、やっぱりありますね。

――ジュニアからプロまで一緒に戦ってきた同期の94年組についてお聞きします。尾﨑さんは、現役生活を終えますが、まだまだ頑張っているメンバーもいます。あらためて、94年組の存在は、尾﨑さんにとってどんなものでしたか。[※尾﨑の同期には、日比野菜緒、二宮真琴、穂積絵莉、加藤未唯、澤柳璃子、小和瀬望帆といった才能ある選手が多く、全員1994年生まれということから“94年組”と呼ばれている]

尾﨑:こんなにジュニアの頃から(たくさんの同期が)グランドスラムに出た年代は、たぶん今までなかったと思うんです。ジュニア時代では、全国大会に出ても上位で当たるような選手が同じ年代に何人もいたのは、自分が成長していく中ですごく貴重な存在でした。みんなほとんどがプロになって、一緒に遠征を回りながら切磋琢磨してきた。私的には、程よいライバル意識を持ちながら遠征を回れたのはすごくよかったです。

――時期を同じくして、奈良くるみさんが、30歳で引退しましたが、尾﨑さんにとって、奈良さんはどんな存在でしたか。

尾﨑:くるみちゃんは、本当にジュニアの頃からいちばんお世話になった先輩なんですけど、一緒にご飯に行って話を聞いてもらったりとかしました。くるみちゃんも原田夏希さんと10年間選手とコーチの関係を続けていたので、(自分と)ちょっと重なる部分もあって、いつもお手本にさせてもらっていたんです。夏希さんも結構厳しい人なので、本音でしっかり選手とぶつかってコーチングをしていました。やっぱりくるみちゃんもすごい辛く大変なこともあったと思います。でも、遠征で一緒になることがよくあって、本当に厳しい時でも結果が出ない時でも、くるみちゃんは常に前向きに、どんな時でも努力を重ねる人でした。それをずっとわりと近くで見てきたので、私もくるみちゃんみたいに、どんな時でもくじけずに努力しないといけないっていう風にはすごく思っていたし、すごく刺激を受けていました。すごく偉大な先輩であり、すごく面白い先輩でした。私の引退よりも、くるみちゃんの引退の方が寂しくて、私的には(笑)。

――哲学的な質問になりますが、引退する尾﨑さんにとって、テニスとは?

尾﨑:今までプロとして10年間テニスをして、大変なこともたくさんあったんですけど、テニスは、人の和もそうですし、自分の世界を広めてくれて、人生を豊かにしてくれたものです。テニスをしていて、乗り越えなきゃいけない壁がたくさん出てきて、それを乗り越えてもまた壁が出てきて、すごく困難な道だったけど、テニスは、自分を成長させてくれたものでもあります。

――引退後、何かやってみたいことはありますか。

尾﨑:テニスに関しては、今後も関わりたいとは思っていて、今までも所属のグリコさんを絡めてグリコキッズもたくさんやってきました。そういう普及関係というか、子供にテニスを習ってもらうきっかけを作ったりとか、既にやっている子供たちがいたら、もっとテニスの楽しさを教えたりとかしたいですね。

 ジュニアの中には、両親や周りから結果を求められ過ぎて萎縮しちゃう子がたくさんいると思うんですよ。過去に自分も結果が出ないことに対して、自分で自分を責めたり苦しんだりしたところもありました。もちろん結果も大事なんですけれど、別に全国で優勝とかじゃなくても、県で予選上がるとかでもいいですし、自分なりの目標を立てて頑張ることの大切さとか、そして、やっぱりテニスを楽しく頑張ることを、小学生低学年ぐらいの子供たちに伝えていける存在になりたいですね。

 テニス以外では、7~8歳からテニスがほとんどの人生だったので、やっぱり違うこともしてチャレンジしてみたいっていうのもあるんですけど、今はまだそこまで具体的にこれがしたいっていうのは見つかっていなくて。いろんなことにチャレンジしたいなっていうのは考えています。

――時代が変わって、令和といえども、ご両親からは、お見合いでもしなさい、とか言われるんじゃないですか。

尾﨑:まぁ、そうですね(笑)。(両親が)心配はしているとは思います。30歳も近くなってきて、親心的には、今後の女性としての生き方を心配しているとは思います。引退したら、女性としての人生もしっかり考えていきたいなと思っています。でも、結婚することだけが女性の幸せじゃないので(笑)。みんなそれぞれなので、そのことも含めて今後の自分の人生を考えていきたいなと思います。

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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