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【名古屋市千種区】2025年3月末頃に営業終了「覚王山アパート」22年の歴史に幕

羽矢旬良ライター(名古屋市)

選ばれた6組の若手アート作家たちが参加し、工房兼お店またはギャラリーといった形で2003年4月にオープンして以来、数多くのメディアに取り上げられてきた「覚王山アパート」。アートに興味がなくても、一度は名前を聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。

その「覚王山アパート」が、建物の老朽化に伴い取り壊されることから2025年3月末頃、22年間担ってきた役目を終えようとしています。

その歴史の中で、スタートメンバー以外にも20組以上が参加するなどして新陳代謝を重ね、熟成された場となった現在のアパートでは7組の作家さんたちが創作活動を続けています。

今回は、覚王山地域の歴史と、「覚王山アパート」が誕生した時代背景をあらためて振り返りながら、「覚王山アパート」の現在の概観をお届けします。

アンケート調査などでは、毎回住みたい街のランキング上位に挙がってくる街「覚王山」。名古屋の都心に近い高級住宅地と観光資源が共存する魅力ある風情が特徴です。こうした風情はいったいどのようにして形成されてきたのでしょうか。これは、覚王山という地名の由来をたどると見えてきます。

時代は、1904年の日泰寺創建時にさかのぼります。日泰寺は、1894年にインドで発見されたお釈迦様の真骨がタイから日本に贈られることになった際、奉安地の誘致に成功して建てられたお寺です。創建当時のお寺の名前は、日本とタイの友好の象徴として、「日」と「暹(せん/タイの旧称シャムの漢字表記(暹羅)の略字)」をあてられた日暹寺(にっせんじ)でした。1939年にタイ王国へ改名されたことに合わせて、「暹(せん)」をタイ王国の漢字表記である「泰(たい)」に変えて、日泰寺(にったいじ)に改名されました。覚王山はその山号(お寺の名前の前に付ける称号のこと。たとえば"比叡山"延暦寺などのように)で、「覚王」はお釈迦様を表しています。

この誘致の成功を機に、学校や寺院の誘致が行われます。お寺の参道には商店も並び、徐々に人が集まる場が形成されていきました。同時に、揚輝荘などの別荘の誘致も行われたため、財界人などが集う高級住宅地としての性格も定着していきました。
「覚王山アパート」がスタートした2003年は、名古屋市が「名古屋市新世紀計画2010」と銘打って、2000年から10年間に「特色ある区づくり」を行民一体となって行おうと市民に参加を呼びかけている真っただ中にありました。千種区城山覚王山地区でも行政が「城山・覚王山地区魅力アップ事業」をスタートさせています。当初は手探り状態で目標も漠然としていたようですが、活動を続ける中で「歴史と文化を生かしたまちづくり」として次第に明確化されていきます。これとは別に、商店街による活性化のための活動も活発に行われていましたが、付近が高級住宅街ということもあり、商店街の活性化を含みつつも、より広い視点から商店街とは違った働きかけをしていく必要もあったようです。このように、地域とのバランスを図りながらのまちづくりへの取り組みが、現在の覚王山独自の魅力を育んできたのだと感じます。

「覚王山アパート」は、こうした背景のもとに生まれました。民間アパートの大家さんが、人が住まうには古くなったアパートの利用について、まちおこしに取り組む商店街の方に相談したことがきっかけです。それを受けた有志たちの発案により、かつて人が日常生活を営む場であったアパートは、若いアーティストたちを育む場に生まれ変わりました。

もともと外階段のアパートだったのですが、その外階段を無くして玄関と屋内階段が作られました。壁が取り払われ、簡単な間仕切りで区分けされたフレキシブルな空間は、人と人との交流に一役も二役も買ってきたと思われます。現在の様子はどんな感じでしょうか。
1階は、玄関を入ると正面に向かって真っすぐ廊下が伸びていて、その両側がお店です。右手には、四畳半の貸しスペース「ギャラリーsobo」さんと、「古本カフェ アムリタ」さん、左手には、糸で編んだアクセサリーの「pinchos(ピンチョス)」さんと、コンセプト雑貨の「裸るヴァ」さんが、それぞれ営んでいます。

感性にやさしく響く(ギャラリーsobo)
感性にやさしく響く(ギャラリーsobo)

古本に囲まれながらチャイを味わう(古本カフェ アムリタ)
古本に囲まれながらチャイを味わう(古本カフェ アムリタ)

1本の糸で奏でるアートアクセサリー(pinchos(ピンチョス))
1本の糸で奏でるアートアクセサリー(pinchos(ピンチョス))

一文字一文字読んでみると・・・(裸るヴァ)
一文字一文字読んでみると・・・(裸るヴァ)

廊下の奥にある2階へと続く階段は、踏み板がすれて歴史を感じます。

階段を登り切った先には、こぢんまりしたお土産コーナーが置かれていました。昭和レトロを感じさせるアイテムが並んでいます。
その先にあるお店は、「針金細工 八百魚」さん、きのこ雑貨の「HARORE」さん、へめへめちゃん人形が人気の「いつまでも手芸部 豆*豆」さん。

覚王山お土産コーナー
覚王山お土産コーナー

覚王山新聞とのかかわりも深い
覚王山新聞とのかかわりも深い

今もなお、このアパートで創作活動を続けるスタートアップメンバー(針金細工 八百魚)
今もなお、このアパートで創作活動を続けるスタートアップメンバー(針金細工 八百魚)

2階奥もかつてはお店があったのだそう
2階奥もかつてはお店があったのだそう

きのこ好きの聖地(HARORE)
きのこ好きの聖地(HARORE)

オリジナルキャラクターの「へめへめちゃん人形」は覚王山育ちなんだそう(いつまでも手芸部 豆*豆)
オリジナルキャラクターの「へめへめちゃん人形」は覚王山育ちなんだそう(いつまでも手芸部 豆*豆)

今回ご紹介した以外にも、玄関とトイレがミニギャラリーになっており、それぞれ作品が展示されています。

玄関ギャラリー付近に置かれ、訪れた人たちが思いを綴ったノート
玄関ギャラリー付近に置かれ、訪れた人たちが思いを綴ったノート

「覚王山アパート」が作られた経緯からも見て取れるのですが、スタートアップ当初は今より商店街との結びつきが強かったそうです。「覚王山アパート」は、覚王山の新名所として存在するだけでなく、入居するメンバーは商店街が開催するお祭りに出店する作家さんたちを優先しようという風潮があったようなので、お祭りを盛り上げるためのメンバーとしての活躍も期待されていたのでしょう。そこから20年以上の歳月が流れ、個店が多かった商店街は大手企業が手がける飲食店などに置き換わり、手作り感満載だった覚王山祭りも大分様変わりしたといいますから、以前のような関係性が薄まってきているのかもしれません。「歴史と文化を生かしたまちづくり」というかつての方向性について、今はどうなのでしょうね。そのあたり、とても気になります。
このような中で、昔と変わらず佇(たたず)み、訪れれば自分の時間の流れを取り戻すことができる覚王山アパートの存在にホッとしていた大人も少なからずいることでしょう。懐かしむ場が無くなるのは寂しいものですが、今は、その先にある新たな創造に期待したいものです。

覚王山アパート

住所:名古屋市 千種区 山門町 1-13

営業時間:11:00~18:00

定休日:火曜日・水曜日(祝日、21日の縁日は営業)

公式サイト

公式Instagram

ライター(名古屋市)

名古屋生まれの名古屋育ち、現在は近郊在住。ライトなものからディープなものまで、名古屋のリアルを主観を添えてお伝えします。

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