「卵をしっかり溶く」感覚は共有できるか
感覚を人と共有するのは、誰にとっても難しいことです。
料理のレシピなどを見ると「卵をしっかり溶く」と書かれていることがあります。素人な私は、とりあえず混ぜ腕が疲れるくらいまで混ぜ、きっとしっかり溶けただろうと思い、やめます。
この「しっかり溶く」、ある料理の本に一つの基準が書いてあり、とてもすっきりしました*1。その本に「しっかり溶きほぐす(40-50回)」と書いてあったのです。この40-50回が、「卵をしっかり溶く」感覚を共有するカギといえます(あくまでこの本に書かれていたことです。もちろんいろいろな基準があると思います)。
料理の達人などの技術が高い人は、卵がしっかり溶けているかが直感的にわかります。
直感的にわかる流れをシンプルにしてみると、こんなふうだと思われます。まず、達人の頭のなかには「しっかり溶けている」をチェックする項目がいくつかあります。例えば、表面の色合い、質感、箸へのからみ具合、重さなど。次に、混ぜた卵がそれらの項目を満たすか、自動的にチェックされます。チェックでOKとなれば、「しっかり溶けた」となります。チェックの結果がNoなら、まだ溶き続けます。
一方、初心者は、「しっかり溶いた」の基準がわかりません。自分なりの「しっかり」基準でやることになります。この場合、混ざり具合より、「腕が疲れるまで」など自分でもわかる基準でチェックされやすくなります。
このように達人と初心者では、「しっかり溶く」の基準にはギャップがあるのですが、このギャップを埋めるのが、40-50回という目安です。初心者でも40-50回混ぜれば、でたらめに混ぜていた場合よりも達人の基準により近づけるからです。
もちろん、40-50回混ぜれば必ず達人と同じレベルでしっかり溶けるわけではありません。和食かお菓子かといった料理の種類や、どんな卵かなどによって「しっかり溶く」の基準は変わってくるそうです。
ただ、そういった目安が全く無い状態と比べて、40-50回は達人のレベルに近づく中継地点、足場のような役割を果たしているといえます。
40回混ぜると、卵はおそらく達人の持つ基準の一部を満たす状態になっているはずです。知識や技能の学習では、やったことが基準とマッチするかがチェックされ、そこがOKだと知識がアップデートされて新たな基準ができるとされます。次は0からスタートではなく、40回混ぜたけどもう少し多めだな、とかもう少し少なめだなど、40回を足場として、微調整できるわけです。
そういう意味で、40回はもちろん十分な基準ではないでしょうが、「しっかり混ぜる」だけの場合と比べてより「しっかり」に近づきやすといえます。
感覚やカンを言葉にして、あるいはチェック項目にして、経験や知っていることに違いがある人同士が感覚を共有できるように、という動きはいろいろなところで取り組まれてきています。例えば無印良品は、レイアウトや発注など経験の差が出やすい仕事に、はっきりと言葉にした基準を設定しているそうです(例えば「整然ととはフェイスアップ、商品の向き、ライン、間隔がそろっていること、など)*2。運用の大変さはあるでしょうが、センスを共有できるものへと発展させています。
経験を通して培われた感覚を、出来ることが違う人たちと完璧に共有することは難しいことです。しかし、難しいという前提を持ちつつ、こうした感覚を実際に人が真似できる行動にするために、どんな基準を見つけるか。技能や知識を伝える上での醍醐味でもあります。
- 1「基本がわかる! ハツ江の料理教室」 高木ハツ江著 小田真規子監修 NHK出版 p62
他にも、軽く溶きほぐす=約10回、よく溶きほぐす(約30回)など初心者に役立ついろいろな基準が掲載されている
- 2「無印良品は仕組みが9割」 松井忠三著 角川書店