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ポーランドの独立メディア「ガゼタ・ヴィボルチャ」を訪ねる 民主主義社会実現の困難さ

小林恭子ジャーナリスト
ガゼタ・ヴィボルチャ紙の編集室があるビル。ワルシャワにて(筆者撮影)

 2022年9月末、世界ニュース発行者協会は今年の「報道の自由のための金のペン賞」をポーランドのガゼタ・ヴィボルチャ紙に贈った。

 受賞演説で、ピオトロ・スタシンスキー元副編集長はこう述べた。

 与党「法と正義(PiS」政権下のポーランドでは、「報道の自由が大きく損なわれている。自由で独立したメディア組織を委縮させている」。しかし、「受賞は私たちのこれからの活動を支えてくれるだろう」。同氏は現在、ガゼタ・ヴィボルチャ財団の特別メディアドバイザーである。

 同年10月末、筆者はワルシャワにあるガゼタ・ヴィボルチャ紙本社を訪ねた。

 同紙を発行するアゴラ社のビルの受付で名前を告げると、 スタシンスキー氏が迎えに出てきてくれた。授賞式の時には背広姿だったが、この日は黒のパーカーに黒のジーンズでカジュアルだ。

 受付からエレベーターに向かって歩き出すと、左手に書籍が買えるコーナーと小さなカフェがあり、先に進むと、発行元アゴラの社員が使う食堂になっていた。赤とグレーを使ったモダンなデザインである。

受付に入ってすぐにあるミニ書店(左)と奥のカフェテリア(撮影筆者)
受付に入ってすぐにあるミニ書店(左)と奥のカフェテリア(撮影筆者)

 「どこも経営が厳しい。カフェテリアとして営業しているのも資産の有効活用だ」とスタシンスキー氏はいう。

 エレベーターに乗って上階に上ると、副編集長バルトス・ビエリンスキ―氏が小部屋で待っていてくれた。壁や机の上は本で一杯だ。

 2015年から政権を担当する与党PiSはメディア統制・支配を強化し、政権に批判的なメディアや独立系メディアは厳しい状況に置かれている。特にターゲットになっているのがガゼタ・ヴィボルチャ紙だ。

 そもそも、PiSはなぜ人々の支持を得ているのか?いかにして支配を強めているのか?そして半世紀以上続いた社会主義政権の終了後、民主的で自由な社会を築くはずのポーランドで、なぜ強権政治が続くのだろうか?ガゼタ・ヴィボルチャ紙の政治的窮状を聞く前に、その背景を聞いてみた。

訪問した日のガゼタ・ヴィボルチャの紙面(撮影筆者)
訪問した日のガゼタ・ヴィボルチャの紙面(撮影筆者)

民主主義社会を築くことの困難さ

ーなぜ今このような状況になっているのか。

 ビエリンスキ―副編集長:非社会主義政権となったときの衝撃から話さなければならない。社会体制の変更で、すべてを失った人もいる。軍隊も破産状態になった。

 スタシンスキー氏:自由主義経済の実現は難しすぎた。

 ビエリンスキ―副編集長:自由主義経済への嫌悪感を国民に生じさせた。これは東欧諸国に共通している。ポーランドばかりか、ドイツでも、チェコでも、スロバキアもそうだ。かつて政権を担っていた人々だけではなく、民主主義支持者、リベラルな人々の間にも自由に対する嫌悪感が生じた。

 2004年に欧州連合(EU)が東方に拡大し、ポーランドが加盟国となった。インフラや教育、ヘルスケア等、すべてを改善するためにEUから巨額の支援を得たが、それでも、それまでの体制から民主主義社会に変わるには十分ではなかった。

 今、ポーランドでは2015年の総選挙で勝利した政党(PiS)による政権が続いている。「メディアは厳格な規則の下で運営されるべき」と考える政党だ。経済は国家の完全な統制下にあるべきだと。大学もだ。国が統制する体制を再導入することを望んでいる。

 民主化革命が起きた1989年に私たちが達成したのは、1つの組織がメディア、文化的生活、教育、司法制度を直ぐに支配するようにはできない体制のはずだった。

 民主主義社会の一環として、メディア、文化的生活、教育、司法制度それぞれが運営されるはずだった。

 しかし、与党はこの体制の実現を遅らせようとしている。今や、1989年の体制に戻りつあるのだと思う

自由主義経済への幻滅

ー与党はなぜ支持を得ているのか。

 ビエリンスキ―副編集長:大きなきっかけとなったのは、世界金融危機(2007-8年)だったと思う。実際には、09年までにはポーランドの経済は回復基調であったことが後で分かっている。しかし、金融危機が社会に与えた打撃は大きかった。

 例えば、雇用市場への影響だ。雇用についての規則がそれほど厳格ではなかったので、雇用主は従業員を簡単に雇用したり、解雇したりできた。自由主義的過ぎたのだ。失業の憂き目にあった人にとっては、一種のトラウマになってしまった。

 危機が終わり、経済が回復した頃、選挙が行われた。Pisは自由主義的な政策を支持していなかった。以前よりももっと実務的な社会支援の政策実行を計画した。

 財政出勤をするのは困難ではなかった。当時は経済の回復時であったし、国庫にはたくさんの資金があったからだ。しかし、ガゼタ・ヴィヴォルチャは2016年ごろから将来への投資の比率が低すぎると警告してきた。

 ポーランドは今、大きな金融危機状態にいる。どうなるか、怖いぐらいだ。こんな時、政権は国民に支援金を出している。

 これが与党が支持されている最初の理由だ。

 2つ目の理由は2015年5月、コモロフスキ大統領の任期満了に伴う大大統領選挙が行われたときのコモロフスキ陣営の愚かさだ。完全に失敗した。

 決選投票で当時の最大野党PiSが擁立したアンジェイ・ドゥダ候補が51.55%の得票率で現職を破り、新大統領は8月6日に就任した。

 同じ年の10月25日、今度は総選挙が実施された。PiSが上下両院で単独過半数の議席を獲得した。11月16日、89年の民主化後初めてPiSによる一党単独政権が発足した。

 議会で過半数を取ったので、やりたいことは何でもできるようになってしまった。

 政権発足後、私たちの司法体制に問題があることが分かってくる。

 私たちの憲法には「抑制と均衡のシステム」(権力のそれぞれの部門が、互いに相手の権力を抑制して拮抗する勢力となり、特定の部門が肥大化して専横な振る舞いをすることを防ぐシステム。通例、国の立法、司法、行政の三権分立を指す)が機能するようになっていたが、与党はすべての予防手段を回避する道を見つけた。

 その最初の一歩が憲法裁判所だった。

司法制度改革、メディアを手中に

 スタンシスキー氏:政治的に過半数を持つということを使って、憲法違反を行ってきた。ドゥダ大統領自身が何度も違反している。「法の支配」ではなく、「過半数」の方が上なのだ、と考える。何でもできる、法律も作れる、と

 ビエリンスキ―副編集長:PiSの得票率は実際には35%だったのだが、比例代表制を使って、後で加えられた議席があった。連立政権を構成していた政党は十分な議席を獲得できず、最終的にPiSが過半数の議席を獲得するに至った。これを基に司法体制を崩壊させようとしている。最高裁に手を付け、今はほかの裁判所も変えようとしている。ポーランドの裁判官の半分が与党が実質的に選んだ人物だ。

 スタシンスキー氏:もっと正確に言うと、ポーランドには1万人の裁判官がいる。そのうちの2500人が、2015年以降、「違法」に任命されたのだ。全国裁判所評議会(KRS)という、それ自体が憲法違反の組織が任命した。

全国裁判所評議会とは:ポーランド憲法によると、ポーランドの裁判官は全 国裁判所評議会の要請に基づき大統領により任期の指定なく任命される。評議会の委員は25人のうち、裁判官15人、残りが上下議員。司法の独立性を守るための構成だった。2017年、政府は裁判官委員15人を国会が選択するように仕組みを変更した。政権に近い裁判官委員が送り込まれるようになった。裁判官の懲戒手続きを行う懲戒院も最高裁に設置した。(参考: ポーランドの全国裁判所評議会)

EUとの対立

 スタシンスキー氏:私は全国裁判所評議会が違法だと思う。従って、この評議会がやることは反憲法であり、違法だと思う。欧州司法裁判所の判定を考えてみてほしい。

EUとポーランドの司法を巡る対立: 

2019年、欧州司法裁判所は全国裁判所評議会によって選出された裁判官や最懲戒院設置などをEUの理念に反する措置として是正を求め、20年4月、懲戒院の活動停止を勧告した。これに対し、ポーランドの憲法裁判所は欧州司法裁判所の判断を違憲とした。21年10月、欧州司法裁判所は是正を怠っているとして、1日100万ユーロの罰金を科す決定を行った。EUの欧州委員会は、懲戒制度がポーランドの司法の独立を脅かしEU法に反するとして、EUの司法裁判所に提訴していた。

参考

ポーランドにおける「法の支配」の危機と欧州連合

EU court rules against Poland in judiciary row

 スタシンスキー氏:欧州司法裁判所は、全国裁判所評議会が選定した裁判官は違法だという。欧州の司法制度や価値観に反する、と。

 ビエリンスキ―副編集長:問題は、司法制度を変えると同時に、並行してメディア統制を始めたことだ。最初の犠牲者になったのは公共放送だった。2015年に選挙で勝利してからまもなく、公共放送にかかわる法律の改正を打ち出した

ポーランド,政府の公共放送支配強化へ (NHK放送文化研究所「放送と研究」2016年3月号)

ポーランドの下院は2015年12月30日,公共放送の経営陣の任免権を政府に与えるなど,政府の影響力を強化するねらいのメディア法の改正を可決し,上院も翌31日,これに続いた。改正法は公共放送の独立性を損なうものだとする反発の声が国内外で上がっているが,政府は今後さらに「改革」を進めるねらいだ。

ポーランドでは,2015年10月の選挙で保守強硬派の政党「法と正義」が上下両院で勝利し,シドゥウォ政権が発足した。同政権は発足後すぐ,ポーランドの公共放送は前政権下であまりにも「左傾化」していたとして,大規模な公共放送改革の構想を打ち出した。今回行われたメディア法改正はその第一弾となるもの。これにより,公共放送のTVP(ポーランド・テレビ)とPR(ポーランド・ラジオ)の会長を含む執行部と内部監督委員会の任免権が,独立規制機関KRRiTから財務相へ移された。法律は2016年1月7日に発効し,翌日,TVPとPRの経営陣は交代した。

政府はさらに,今年6月末までに,現在,株式会社の形態を取っているTVPとPRを,「キリスト教的な価値を尊重し,愛国心と国家の伝統への意識を涵養する」ことを任務とする事実上の国営機関へと転換すること,現在の受信料制度を全世帯徴収型に移行させることなど,より大規模な改革を実行する計画である。(注:文中の「今年6月」とは2016年6月を指す。)

 その後の一連のメディア法の改正によって、メディア界の粛清が発生した。

 スタシンスキー氏:300人のメディア経営陣や編集幹部のうち、200人が職場を去った。退職が強制された場合もあった。ポーランドでは「ジャーナリスト」と言えば、与党の政策をプロパガンダとして広める人という意味になってきた。

 ビエリンスキ―副編集長:ポーランド国民の3分の1は、公共テレビが主要な情報源だ。テレビのニュースを見て、国民は野党勢力を否定的な文脈で受け止めるようになった。リベラルな価値観を持つ人やEU、それにドイツのメルケル元首相に対してもそうなった。

 2020年には米国で大統領選挙があったが、ポーランドの公共テレビはトランプ候補をほめ、バイデン候補を馬鹿にした。何もできない政治家だ、と。公共テレビが政治の戦いの武器になっている。

 スタシンスキー氏:年齢層の高い人、教育程度が高くない人が特にテレビのニュースを信じ、政府批判をしない。

 ビエリンスキ―副編集長:EUの意見など気に留めていない。政治に関心がないんだ。

 スタシンスキー氏:英国がEUを離脱した時と少し似ている。「PiSは国民に約束したことを実行してくれる。社会福祉を手厚くすると言って、そうしたのだ」、と言って支持する。

 ビエリンスキ―副編集長:政府が国民にお金を与えるということがそれまではなかった。今や児童手当がある。年金にも特別手当が追加された。

 スタシンスキー氏:そんなことをしていると、インフレがより悪化する。今ポーランドのインフレ率は17%を超えている。EU平均のほぼ2倍だ。

野党勢力は

ー野党勢力はどうか。強い位置にいるのか。

 スタシンスキー氏:強くない。

 ビエリンスキ―副編集長:ポーランドの政界の問題は、2人の政治家への支持に分断されていることだ。まず、Pis党首で元首相のヤロスワフ・カチンスキ―。伝統を破壊し、社会不安を

増大させている。米国の元トランプ大統領のような人物だと思ってほしい。極度に古めかしい価値観を持っている。

 もう一人は、「ポーランド市民プラットフォーム」(略称PO)党首、元首相のドナルド・トゥスク。欧州の民主主義を支持する政治家で、EUの大統領でもあった。私は彼を好んでいる。トスクは国際的なネットワークが広く、ポーランドの課題を良く知っている。リベラル派だ。

 カチンスキ―は大量の時間と資源を使って、国民がトゥスクを嫌うように仕向けた。必ずしも成功したというわけでないけれども。

 スタシンスキー氏::最大野党POSの党首に対する憎悪を引き起こすようなキャンペーンを張っている。トゥスクはドイツ人の裏切り者だ、ドイツの召使になっているなどという。

 ビエリンスキ―副編集長: 「親ロシア」ともいう。

 スタシンスキー氏:親ロシアで親ドイツ、というわけだ。

2010年の旅客機墜落事件をめぐる陰謀論

―カチンスキ―氏というと、2010年4月、弟のレフ・カチンスキ大統領が第2次世界大戦中に多数のポーランド将校が殺害された「カチンの森事件」の追悼式典に向かうために搭乗した飛行機が墜落し,死亡した悲劇があった。政治的にはどんな受け止められ方をしたのか

カチンの森事件とは

 第2次世界大戦中のソビエト連邦によるポーランド将校大量殺害事件。 1939年9月、ソ連はポーランドに侵攻し,約 1万5000人のポーランド将校を捕虜にした。そのうち 400人を除く大部分が所在不明に。1943年4月13日にドイツ宣伝機関は,ソ連のスモレンスク郊外にあるカチンの森で 1940年4月頃殺害されたと推定される 4443人のポーランド将校の射殺死体を発見したと発表。これに対しソ連はドイツ軍によるものと主張し続けた。1990年4月,ソ連は事件におけるみずからの非を認め,公式にポーランドに謝罪した。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」から抜粋

ポーランド空軍墜落事件とは

 2010年4月10日、ポーランド空軍の旅客機がロシア西方スモレンスク州のスモレンスク北飛行場[2]への着陸進入中に墜落した航空事故。カチン森の犠牲者追悼式典に出席予定だった大統領夫妻、政府や軍の要人など96名全員が死亡した。追悼式典は、4月7日にロシア・プーチン首相とポーランド・トゥスク首相(当時)が出席して既に行われていたが、ロシア・メドヴェージェフ大統領は10日のカチンスキ大統領らが出席する別の式典に参加する予定だった。(「ポーランド空軍Tu-154墜落事故」ほか)

 ビエリンスキ―副編集長:あれは事故だった。レフ・カチンスキ―大統領は非常に弱い政治家で、私たちは彼を無能だと批判してきた。大統領選挙が近づいており、カチンの森の追悼式典を選挙運動のスタートの場所として選んだ。

 着陸予定の場所は古い軍事基地で、滑走路などの設備が十分に整っていなかった。ただ、カチンの森に近かった。どうしても式典に間に合う時間に到着する必要があった。

 スタンスキー氏:ほかの式典出席者や報道陣が式典の場所で大統領一行の到着を待っていた。テレビやラジオの生中継が始まっていた。天候がひどくて霧が深く、とても着陸する状態ではなかったが。

 ビエリンスキ―副編集長:霧で先が100メートルほどしか見えない状態だった。航空機自体にも問題があったこと後で分かった。何とか着陸はしたものの、衝突してしまった。

 スタンスキー氏: 亡くなったパイロットに責任が押し付けられた。

 ビエリンスキ―副編集長:事故発生直後から、「フェイクニュース」が広がった。陰謀論だ。あれは事故ではなかった、暗殺だったのだ、と。次にトゥスク首相が責められた。数日前の追悼式典の出席したロシアのプーチン大統領と結託して、自分の弟になるカチンスキ―大統領を暗殺したのだ、と兄のカチンスキ―は主張した。

 2020年、米大統領選挙で、トランプ候補は選挙が偽物だと主張した。それと全く同じような現象が兄カチンスキ―に起きた。証拠もないのに暗殺説を主張して、これを国民が信じて、カチンスキ―のフォロワーになっていった。カチンスキ―は、国民の中で自分たちの生活に不満を抱いている人や反ユダヤ主義の人を支持者のグループとしてまとめていった。こうした政治基盤が今のPiSによる単独政権の発足につながり、今に至っている。

 数か月前、テレビ局TVAが調査報道をした。これによると、PiSは2015年に政権に復帰した時、改めて、事故の調査を行った。この時、そして、新型コロナの感染が増えた時のデータについても、自分たちに都合が悪い情報を省くなど、操作していたこと分かった。

 スタシンスキー氏:もちろん、2010年の事故直後、政府が独立調査委員会を設置した。この委員会の構成員は約30人の航空事故の専門家たちだった。約1年をかけて調査し,2011年に報告書を出している。

 報告書は衝突の大惨事だったと結論付けた。当時の状況下では着陸するべきではなかったのだ、と。どこで間違ったのかを詳細に記していた。

 しかし、PiSはこの報告書をすべて否定し、「フェイクだ、真実ではない」「ロシアが書いたものだ」と主張した。もちろん、そんなことは全く馬鹿げている話だ。

 そこで、PiSは過半数の議席を持つ下院を通じて、委員会を設置した。構成員は専門家ではない人々だった。暗殺だった、と言わせるためだ。

 ビエリンスキ―副編集長:(スマートフォンの画面を見ながら)おや、ちょっと待ってほしい。今、新しい世論調査の結果が出た。野党政党すべてを総合すると支持率は31%。PiSは28 %だ。

 スタシンスキー氏:分かったよ。

 ビエリンスキ―副編集長:信じていないんだね?

 スタシンスキー氏:信じるよ、信じるよ。

 話を続けると、この委員会のために、米国のウィチタ大学が詳細な分析を行った。しかし、委員会の報告書にはこの分析は入っていなかった。それは、事故であることを示す報告だったからだ。

 ビエリンスキ―副編集長:あれは暗殺だったという解釈は、PiSの支持者の間では一種の宗教になっている。神話とさえ言える。しかし、問題はこういう認識を土台にして勢力を拡大してきたということだ。

 スタシンスキー氏:何回も、何回も「暗殺だった」と繰り返す。信じるまで。

 ビエリンスキ―副編集長:スタシンスキーは将来に悲観的だが、私は希望を捨てていない。人生の中で後で正常に戻るために、一度はかかるはしかのようなものだと思う。後何十年もこのままだとスタシンスキーは言う。この点では意見は一致しているのだが。

 スタシンスキー氏:私が悲観的になるのは、合理的に考えるとそうならざるを得ないからだ。現政府と与党はこの国のすべての民主主義的組織を自分たちの管理下に置いた。今や政党国家だ。この政党が政権を取るや否や、経済全体を支配に置き、国営企業も支配下に置いた。例えば国営の石油大手PKNオーレンだ。

 国を自分の手でわしづかみにしたんだ。国を奪った。国営企業の力を使い、その収入は表には見えないけれども、政治目的に使われているのだと思う。

 メディアはプロパガンダの機械だ。TVP(ポーランド・テレビ)やPR(ポーランド・ラジオ)などは、政権に忠誠心を誓っているか、支援している。与党は政権を失うことを恐れている。もしそうなれば、投獄されるからだ。

 ビエリンスキ―副編集長:多くの犯罪疑惑で追及されているのは確かだ。

 スタシンスキー氏:だから私は選挙をしてもしょうがないと思っている。選挙がまともに機能しないように戒厳令などを敷くだろう。

ー次の総選挙は?

スタシンスキー氏:2023年秋だ。最高裁に新しく設置された部署を使って、選挙は嘘だったなどというだろう。

 そうするのは簡単だ。数千人規模の人々に抗議運動を起こさせ、選挙後に、「あれは八百長だった」と言わせればいいのだから。

 ビエリンスキ―副編集長:そのようにして選挙が無効になった事態が、2016年、オーストリアで発生した。大統領選で極右候補が次点で終わり、苦情が押し寄せた。数か月後、再度、選挙が行われることになった。

オーストリアの大統領選(2016年)とは

2016年5月の大統領選決選投票で、「緑の党」前党首で親欧州連合(EU)派のアレクサンダー・ファン・デア・ベレン氏が極右政党「自由党」のノルベルト・ホーファー氏に僅差で勝利。開票方法に問題があったとして当選は無効とされ、やり直しが決まった。12月4日に実施されたやり直し決選選挙では、親EUの立場を掲げたファン・デア・ベレン候補が勝利し、2017年1月26日に大統領に就任した。

 ビエリンスキ―副編集長:もしそんなことがここで起きたら、そして不正選挙になれば、大きな社会問題になるだろう。

 2019年にグダニスク市長のパベウ・アダモヴィッチが刺殺されたことを思い出してほしい。

グダニスク市長暗殺事件とは

2019年1月13日、ポーランド北部グダニスク、チャリティーイベントに参加していたパベウ・アダモビッチ市長が男に刃物で心臓を刺され、重傷を負った。翌14日、死去。リベラル派で、元市民プラットフォーム(PO)のメンバーだった。1989年のポーランド民主化を主導した自主管理労組「連帯」の流れをくむ政党で、親EUの開放的な政策を掲げる。アダモビッチ氏は右派与党PiSへの対立姿勢で知られ、1998年から市長を務めた。犯行当時27歳の「Stephan F」は「無実なのに刑務所に入れられた。市民プラットホームに拷問された。だからアダモビッチは殺された」と叫んだという。

アダモビッチ市長の死を追悼するろうそく(2016年1月19日)
アダモビッチ市長の死を追悼するろうそく(2016年1月19日)写真:ロイター/アフロ

 なぜ暗殺されたのか?それは公共テレビが過去6か月、彼に対する憎悪をかき立てるような報道を続けたからだ。「汚職をしている」「無能だ」「悪人だ」など。暗殺の前に地方選挙があって、アダモビッチが勝利した。選挙から3か月後、イベントでスピーチを終えたアダモビッチが男に攻撃を受けた。男は刑務所から出たばかりだった。

 男は攻撃後にマイクを手に取り、「野党が嫌いだ。野党が憎いからこうしたんだ」と叫んでいる。明らかに政治的な暗殺だ。与党は捜査をできうる限り遅らせた。事件から3年経っても、まだ裁判が続いている。(つづく 独立メディアへの攻撃)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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