【ラグビーW杯】優勝候補ウェールズに引き継がれる炭坑作業員の団結と連帯感
[東京、横浜発]4年に1度のラグビー・ワールドカップ(W杯)の日本大会が20日開幕、日本は松島幸太朗選手らの活躍で初戦のロシアに30-10と快勝しました。
初のアジア開催となった今大会、海外から約40万人が訪れるそうです。筆者もロンドンから一時帰国し、フランス対アルゼンチン戦23-21、アイルランド対スコットランド戦27-3を観戦しました。
東京スタジアムのファンゾーンではビッグスクリーンで「オールブラックス」の愛称で知られるニュージーランド対南アフリカ戦23-13を観ました。世界最高のスピードとパワーの激突は迫力満点でした。
訪日外国人、海外在住日本人旅行者がJR各社の鉄道・路線バスを自由に利用できる「ジャパン・レール・パス」を買って、新幹線のひかりやこだまに乗って日本列島を移動しています。思っていた以上に快適です。
新宿ゴールデン街のバーも外国人旅行者でにぎわい、試合会場周辺のコンビニエンスストア前は缶ビールを買い込んだ各国のサポーターで埋め尽くされ「青空パブ」に早変わり。朝から晩まで飲んでいる感じです。
16日、地元の約1万5000人が北九州スタジアムを埋め尽くし、ウェールズの練習を見学。ウェールズ国歌「わが父祖の土地」を斉唱したことが英国でも大きなニュースになりました。
ウェールズと九州北部には大きな共通点があります。ロンドンを拠点に活動する歌手の鈴木ナオミさんは筑豊炭田に位置する福岡県田川市出身。
筑豊炭田を描き、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に日本で初めて登録された絵師、山本作兵衛(1892~1984年)の炭坑記録画をウェールズのビッグピット国立石炭博物館に展示しようと奔走しました。
ビッグピットはかつて英国の産業革命を支えた有名な炭坑でした。現在は当時の炭坑の様子をそのまま伝える博物館に生まれ変わりました。14日にオープン式典が開かれ、展示は来年にかけロンドンやスコットランド、ニューヨークでも行われるそうです。
鈴木ナオミさんにお話をおうかがいしました。
――自身の故郷と炭坑の思い出について教えていただけますか
鈴木ナオミさん「私の祖父は炭坑作業員でした。子供の頃、祖父母の住む炭坑長屋やボタ山(捨石の集積場)で遊んだ記憶が作兵衛氏の炭坑画を見て蘇りました。作兵衛氏はお風呂を描いてプレゼントすると人々が喜んだのでお風呂の絵を描くのが好きだったらしく、多くお風呂の絵が存在するそうです」
「お風呂の絵を見て、祖父が銭湯を大好きで、祖父の家の前にあった銭湯に一日何度も一緒に行ったことなどを思い出しました。しかし、高校生の頃は、この寂れてしまった街が悲しく、のどかな田舎風景も虚しく、ここに住むのを辛く思うことすらありました」
「炭坑には、荒れたとか、寂れたとか、ガラが悪いというイメージもあり、地元の人たちはあまり炭坑のことを良い思い出として語る人が少なかったような気がします。炭坑が題材になった日本初のユネスコ世界記憶遺産という素晴らしい出来事ですら控え目です」
「私が利益を度外視してこのプロジェクトに取り組むことにも、市役所の職員はもちろん、新聞記者ですら『どうしてそこまでするの』と不思議がって聞いてきます」
「もし私が何か世の中のお役に立てることがあるとするなら、世界記憶遺産であるこの素晴らしい記録画を、自信と誇りを持って世界の皆さんに観て頂くために力を尽くしたいと思います。それを成し遂げることが私のミッションだとも思っています」
――ウェールズと故郷の共通点や違う点についてどう感じておられますか
「人々の義理人情あふれる対応が故郷の人たちに似ていると思いました。炭坑作業員たちは毎日、命懸けの仕事をお互いに協力し合い、助け合って行い、また、住居として与えられた炭坑長屋では、その妻や子供たちも協力・共存し合ってコミュニュティーを形成していました」
「農耕民族としての日本人の気質にも共通性があるような気がします。国立炭坑博物館に行く道中、眼下に見える町並みは炭坑長屋的な配置形態を残しており、当時の人々の暮らしが見えるようでした」
「違う点は、ウェールズの人たちの方が炭坑に対して、誇りと自信を持っていることだと思います」
――ビッグピットなどウェールズの旧炭坑に行かれて感じられたことはありますか
「ビックピットの坑内やロッカー室、医務室など、当時のまま残されており、また展示されている写真などからもどれだけ危険な仕事だったのかよく分かりました。『自分の息子は炭坑作業員に絶対したくない』と願った父親の言葉も展示されていました」
「一度坑内に潜ったら、二度と出て来られないのかもしれないという気持ちで毎日坑内に入っていたそうで、重いものを感じました」
――作兵衛展にかける思いを聞かせていただけますか
「2012年、作兵衛氏の炭坑記録画を所蔵する田川市の観光大使に任命された際、市民の皆さんに、この日本の財産を世界に紹介しますとお約束したことから始まりました」
「19年のラグビーW杯、そして20年の東京五輪・パラリンピックと日本と世界を繋ぐ大きなイベントが開催されるこのタイミングで、外国に住んでいるから日本のためにできること、英国に住んでいるから発信する意味があることなどを模索した結果、このプロジェクトを立ち上げました」
「アニメ、漫画、コスプレ、日本食など日本カルチャーはすでに、世界に広まりつつあります。しかし知られざる日本の財産を世界に発信し、世界の人たちに日本との共通性や歴史などを理解して頂きたいと思います」
「その結果、日本と世界との懸け橋の役割を果たせたらと願っています。災害被災地支援に繋げることももう一つの目的です。今年初めに、かなり悪くなった肺を手術してこの企画に挑みました。命懸けです」
「そんな中、今回のプロジェクトには日本の多くの企業がご賛同くださいました。ニッポンは一つ!と、一丸となって取り組んでいますので大変心強く、絶対に成し遂げたいと思っています」
――英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)交渉では旧炭坑の呪いとも言うべき反発がウェールズやイングランド北東部のダーラムから上がりました。それについてどう思われますか
「ビッグピットの博物館には、炭坑廃止となった際の、炭坑作業員の怒りと叫びの写真が壁いっぱいに展示されていました。博物館の職員ですら、炭坑を閉鎖したマーガレット・サッチャー元首相(故人)の話をするだけで、今でも皆、気分が悪くなるそうです」
「外資を導入して構造改革を断行するためサッチャー政権がとった廃坑という道。それによって職を失った炭坑労働者たちが味わった苦しみと『外国人がたくさんEUから入ってきて現在の英国人も職を失っている』というストーリーがクロスオーバーしてしまい、排他的になってしまうことは理解します」
「まさにその反発はもしかしたら、いつでも爆発する状態だったのではないかと思います」
――炭坑が廃れた反面、英国の人気映画『リトル・ダンサー』の主人公ビリー・エリオットのように、若者たちは大学に行ったりして新しい時代を築いています。ビリー・エリオットのストーリーについてどう思われますか
「私は筑豊炭田のあった田川市で生まれましたが、その後、5歳から15歳まで北九州市で暮らしました。当時、北九州市は比較的、都会的で発展していて、経済的にも豊かな街でした。いまでこそ、地元の人たちには応援して頂き、本当に支えられていますが、子供の頃は特別視されることもありました。文化や教育に対する意識が大都会とは違うのかもしれないと勝手に落ち込むことも」
「現在はピアノや太鼓の演奏、コンクールなど全国大会で優勝する子供たちも田川市から出ていることを大変うれしく思います」
「情報があふれている現在では昔ほど、地域性の中に文化や教育の格差はないと感じますが、イメージも含めて当時、労働者だった世代は理解が少なかったのではないでしょうか」
そのウェールズは優勝候補。23日夜、ジョージアと対戦します。
(おわり)