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長野県から衛星データを活用してワイン用ブドウ栽培に挑む

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
株式会社羽生田鉄工所 羽生田豪太社長 出典:宇宙ビジネスポータルサイトS-NET

日本の国産ワインの出荷量は、2023年までに2万リットルの増加が見込まれているといいます。質の高いワインの生産性向上に向けて、衛星データと地上のIoTセンサーのデータを統合したシステム構築の実証が始まっています。アメリカやオーストラリアを始め、欧州でも活用されているのがデータを元にしたワインの「精密ブドウ栽培(PV:Precision Viticulture)」です。

2019年、内閣府の「課題解決に向けた先進的な衛星リモートセンシングデータ利用モデル実証プロジェクト」に「衛星データを活用したワイン用ブドウ精密栽培システムの高度化」が採択されました。長野県のワイン用ブドウの生産性を高めるため、衛星から取得するデータと、地上で気象観測を行うIoTデータを統合するシステムを構築します。ワイン用ブドウの生育管理に向け、ドローンやローバーのデータを組合わせ、PV実現に向けた分析手法を確立するというもの。将来は、気候変動によってブドウ栽培に適した土地が変化する状況に向けて、新たな適地や適した品種を探すことにも衛星データを活用するといいます。

システム構築の中心となり、長野県内のサンクゼール農園、ヴィラデスト・ワイナリー農園とともに衛星データを取り入れたPVに取り組む、羽生田鉄工所の羽生田豪太社長に話を伺いました。

--羽生田鉄工所といえば、信州大学が2014年に打ち上げた超小型衛星「ぎんれい」の開発に参加されるなど、衛星部品を手掛けてこられたものづくり企業というイメージですね。今回、内閣府の利用実証に参加されたのはどのような経緯でしょうか?

羽生田:2016年にスペース・ニューエコノミー創造ネットワーク(S-NET)という組織ができて、2017年のS-NET東京セミナーに参加したときに宇宙利用産業のことを知りました。僕は有識者として参加していますが、これまでは衛星の部品を作る側だったので、宇宙利用のことはまったく知りませんでした。

実は、長野県はワイン用ブドウの生産では日本一なんです。S-NETで1年間活動しながら、参加者と一緒にさまざまな事業モデルを考え、課題やアイディアを挙げていきました。その後、J-spacesystems(一般財団法人宇宙システム開発利用推進機構)主催のイベント「EoX=インバウンドナイト」の中で、長野県モデルを議論したときにワイナリー観光に人を呼ぶ込むには?という課題から、ワイン用のブドウの栽培に衛星データを活用するという構想が浮上してきました。このことに関しては関係者の反応がよくて「面白そうだ」ということになりました。「本当にワインはいいかもしれない」と思うようになりました。

S-NETとは別に、長野県の商工会議所にも長野宇宙利用産業研究会というのがありまして、宇宙利用産業のことを勉強しようという集まりです。社内にも「宇宙利用産業研究プロジェクトチーム」を作りました。どんな実証事業ができるか、という中でだんだん話が盛り上がってきました。僕はまだワイン用ブドウのことはなにも知らなかったので、あちこちに相談にいきました。サンクゼールの会長さんとの集まりにS-NETの関係者にも来てもらって話をしてもらうと、もう「衛星使うって面白いね!」とキラキラの反応なんです。これはもうまとめるしかないなと。

本当のことをいうと、うちはものづくり企業なので、お膳立てをしたらシステムやサービスの専門企業にお願いしようと思っていたのです。そのための準備をしているうちに、長野県農政部農業技術課の中澤徹守さんに会って「この人抜きでワイン用ブドウは語れない」ということがわかりました。また、株式会社アスザックが提供する作物栽培支援装置「クロップナビ」の運用のこともわかりました。中澤さんから、「日本ワインの競争力強化コンソーシアム(代表:酒類総合研究所)」が運営する「ワイン用ブドウ栽培支援情報システム」の存在と同コンソーシアムに北海道、山梨県、長野県などが参画していることを教えていただきました。中澤さんはクロップナビを3年間で合計30台、県内の圃場に設置してコンソーシアムとの連携を図っているということでした。こうして人と情報がつながっていって、いよいよ「やれるね」ということになってきたのです。

出典:宇宙ビジネスポータルサイトS-NET
出典:宇宙ビジネスポータルサイトS-NET

--衛星を活用してブドウ栽培を行う場合に、どのような衛星のどんなセンサー、データを使えば、何の課題が解決できるかという組み合わせ方を考える必要があると思います。そうした戦略の立案はどう行われたのでしょうか?

羽生田:メンバーそれぞれ専門的なものを持っていて、それをつなぎ合わせていったら形が見えてきた、というのが実際のところですね。どんなセンサーを使えばいいか? ということは、メンバーの中でもその領域の専門家であるRESTEC(リモート・センシング技術センター)の人でもなければチンプンカンプンですよね。僕らにはなんとなく「こんな感じかな」というイメージしかない。

そこで、畑に行ってみたり、中澤さんの農業試験場に行ってみると「今やっているのはこれで、こんなアプローチもありますよ」という情報が得られる。「この教科書を読んでみたらいい」ということを教えてもらいました。

イギリスのワインの専門家による『新しいワインの科学』という本です。アメリカ、オーストラリアといった国の生産者はPV(精密栽培)という手法をとっています。欧州の場合、ブドウ栽培の歴史が長く、格付けによるブランド力がガッチリできています。欧州以外のワイン生産の歴史が比較的新しい生産国のことをニューワールドと呼ぶのですが、ニューワールドは科学的アプローチでキャッチアップしてきて、カリフォルニア州のナパのように市場での高い価値を育ててきたわけです。

精密栽培は大量のデータ取りをするので、以前は航空機にセンサーを搭載してリモートセンシングをやったり、収穫機に収量モニターやGPSロガーを取り付けて測定したりしています。アメリカは、航空機でのリモートセンシングに1回あたり2万ドルほどの費用をかけるなど投資もしてきていますね。今は、チリでも南アメリカでもやっています。日本ではまだこうしたPVは実現していません。ですが、すでに地上の気象データというグランドトゥルースに使えるものがあります。「これと衛星をかけ合わせたら面白いね」というようにアイディアを積み上げていって、RESTECやJ-spacesystems(宇宙利用システム開発推進機構)といったメンバーとともに「どうやったらいいものができるのか」をテーマにたくさんのミーティングをしました。

--現在、実証の様子はいかがでしょうか?

羽生田:ローバーとドローン、IoT機器を使ったグランドトゥルースを進めています。私たちは、前述のコンソーシアムとは別に、新しい手法を既存の取り組みに重ねてゆくことで新しい価値を提供できればというのが基本的な考え方。地上のセンサーとも組み合わせて良い畑を作るシナリオを描ければいいと思っています。ワイナリーによっても価値観が異なるので、きめ細かく価値を生むような形にして、衛星データはエッセンスとして入れられればいいですね。

現在は米国のプラネットの地球観測衛星データを使っています。身近で、安くて、レスポンスがよいプラネットのおかげで、宇宙のデータ利用のハードルが下がった。何ヶ月も待たなくても翌日、翌々日にはデータがきます。

出典:宇宙ビジネスポータルサイトS-NET
出典:宇宙ビジネスポータルサイトS-NET

--利用実証進めるユーザーの立場として、見えてきた課題はありますか?

羽生田:日本のワイン用ブドウ栽培は海外と比べると圧倒的に規模が小さいのです。これは、気候的に難しいことをやっているからだ、ということがだんだんわかってきました。ブドウ栽培は気候が安定しているから作れるという部分があるんですね。でも、その厳しい気候の日本で世界と渡り合えるものができるとしたら、そこに価値があります。いろいろな手段を組み合わせて他ではやっていないことを総合的に導き出していく人たちが必要です。

また、「うちの作物に衛星データを使えばいいことがあるのでは?」と思った人たちが新しく入ってこられるように。情報がてんでバラバラでは、育つ産業も育ちません。すでに試してみて「これは良かった、これはだめだった」ということを共有できるような仕組みがあって、横のつながりができるといいですね。

PVでは後発の欧州ですが、もう10年前から運用しているOENOVIEWという衛星やドローンのリモートセンシングデータを使ったワイン用ブドウ栽培システムがあります。生産者はヘクタール当たりいくら、という感じで有償利用できて、スマホでも情報を管理できるようなものなんです。チリ版ではローカライズの取り組みが始まっていますが、日本向けにはなっていないので、これを日本にローカライズできるのではないかと思います。来年以降になりますがコンタクトは始めています。

出典:宇宙ビジネスポータルサイトS-NET
出典:宇宙ビジネスポータルサイトS-NET

--衛星を利用する事業の将来の目標は?

羽生田:内閣府による宇宙産業ビジョン2030の目標は、現在の1.2兆円という宇宙産業全体の市場規模を2030年までに2倍に拡大するということですね。その中で宇宙利用産業は8500億円くらいです。長野県は、日本の経済のだいたい2パーセントくらいを担っていますから、長野県全体で160億円くらいの宇宙利用産業ができればいい。そうすれば2030年代に国の目標である2.4兆円が達成できるということになりますね。

そのためには先行モデルがまずひとつ必要ですし、インパクトを与えられるようなものにならないといけない。インパクトを与えられるようになれば、今度は「地上の課題を解決するために足りない衛星、センサーは何か」ということがところまでいったら、今度はやっとものづくりの出番です。そうなったら今度は、もちろんものづくり企業として参加したい。

僕らは今、衛星コンステレーション用の量産技術の開発をしているので、早く社会実装したいなと思っています。

※本記事は宇宙ビジネス情報ポータルサイト「S-NET『未来を創る 宇宙ビジネスの旗手たち SPECIAL/特集記事』」より、『長野県から衛星データを活用してワイン用ブドウ栽培に挑む 株式会社羽生田鉄工所 羽生田 豪太』に掲載されたものです。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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