【オウム裁判】遺族の「期待」にどう応えるのか
オウム真理教の元信者平田信被告の裁判で、教団に拉致され命を奪われた假谷清志さんの長男実さんが、被害者参加人として被告人質問を行った。その中で、平田被告の償いの意思を確認した実さんは、公判後の記者会見で、「信じるしかありません」と語った。
繰り返し償いの気持ちを確認
実さんは、検察官の横で証人尋問や被告人質問を聞いてきた。事件の事実については、検察官に聞きたいことを伝え、かなり聞くことができた、という。実さん自身の質問では、まず清志さんの死因などについて、他の信者から聞いていないかどうかを確認した後、平田被告から届いた手紙をあげて、その気持ちを確かめた。
――(手紙の中で)昨年3月1日の父の命日にはコーヒーを供えて下さったとあった。ありがたい。
「とんでもない……」
――(逃走中は)はじめのうちは命日に断食をしていたが、その後いろいろ考えてやめた、と述べていましたね。
「はい」
――その後は父の命日を意識しなくなった、ということですか。
「そのつもりはありません」
――意識していただいていた、ということですか。
「そのつもりです」
ー―手紙の中で、「どうすればいいか、答えのない問いを考え続けるのが謝罪であり、反省」などと書いてあった。意地悪な見方かもしれないが、自己満足という感じがした。
「改めて読み返してみると、確かに自己満足であり自己憐憫になったと思う」
――「私はどうすべきか?」とも書いてあった。今後は刑罰があり、被害弁償の約束もしているが、他に何をしようと思いますか。
「もし今後、新たに記憶喚起ができたら、速やかにお伝えします。井上さんのように、事態をひっくり返すような証言があった場合、私が感じたものをお伝えすることで、假谷様が真相に迫る端緒になれば、と思います」
あくまで、丁寧な言葉で穏やかに問いかける実さん。弁護人の質問には饒舌で軽い物言いが混じり、検察官の質問には身構えていた平田被告も、実さんの問いには、素直に、できるだけ率直に答えようとしているように見えた。
裏切られてもなお
事件関係者のうち、運転手役のM、被害者を押し込む役だったIと遺族の間では和解が成立している。20年かけて毎月分割払いで賠償金を支払う約束が交わされた。支払いをするたびに被害者のことを思い、長く償いの気持ちを続けてほしい、という思いで応じた和解だった。ところが、最初に和解したIは、毎月3万円ずつ720万円を支払う約束だったのに、わずか9か月分しか払わず、Mも約2割を支払っただけでやめてしまっている。Iは、今回の裁判にも証人として呼ばれていたが、「報道機関から取材を申し込む手紙が来たために家族から反対された」などという理由にもならない理由で、出廷を拒否した。元信者の証人は、遮蔽板やアコーディオンカーテンで傍聴席からは全く見えないようにするなど、通常の裁判では考えられないほど厚く保護されていたにも関わらず…。
それでも遺族は、平田被告とも刑務所から出所後10年間かけて賠償をする和解をした。実さんは、この点についての平田被告の気持ちを確かめた。
――分割払いの意図は分かると思う。10年間償いの証を示してもらいたい。
「私としても、こういう言い方は差し出がましいが、謝罪をさせていただき、お金を払い続けることで、ご遺族と細く長くつながっていたい思いがあります」
――2人と同じような和解をしたのに、途中で中断して、音沙汰もない。きちんと続けることができますか。
「はい、お約束します」
――償いの気持ちを持ち続けていただきたい。和解条項には、真相究明に協力する、という項目もある。私たちとの約束を守ってほしい。
「はい。約束させていただきました」
和解の約束を守らない2人について、記者会見での実さんは、「Iは、『一生償います』と行っていたが、まもなく支払いが止まり、代理人の弁護士が催促すると、『猶予してくれ』と言ってきて、それっきり。家計が苦しいなどの事情があるのかどうかも分からない。それならそうと伝えてくればいいのに、それもない。償いをやめたのか、と思う」と残念そう。平田被告については、「しっかり謝罪してくれることを期待する。期待に応えてくれるのではないかと思う」と述べた。
2人から裏切られてもなお、平田被告を信頼しようとする実さん。この期待に、平田被告はどのように応えるのだろうか…。
一片の骨すらなく…
この被告人質問に先立ち、実さんは証人として、遺族の思いを語った。
事件が起きたのは、1995年2月28日。3月22日に強制捜査が始まり、父の生還を期待した。しかし、逮捕された教団関係者の供述は期待を裏切るもので、6月には亡くなっていることを警察から知らされた。しかも、遺体は焼かれ、遺骨は酸で溶かされ、湖に流され、一片の骨も残っていなかった。
「9月になって、遺灰が捨てられた本栖湖に案内していただいて、そこの石を…いくつか拾って…そこには父の遺灰が付着していると思って…持ち帰り…骨壷に死亡認定証のコピーと父の眼鏡と一緒に入れました」
「それまで、お祖父さんお祖母さんを看取ったが、そこには遺体がありました…遺体に最後のお別れを言うのが本当のお別れで…それが心の区切りと思う。(父とは)それが未だできていない。今、父が帰ってきても…何ら疑問に思うことはない。父の死を受け入れることはできません」
教団が妹の財産を狙っていることを知った清志さんが、拉致される前に、「俺には家族を守る責任がある」と言っていた言葉が、実さんの心に残っている。ことあるたびに、父のことを思い出す、という。
「子供が5人いるので、誕生日や、学校の入学・卒業など、本来楽しいはずのイベントが次々に訪れる。それは楽しい一方で…一方で、その場に父が…父が一緒にいてくれたら…どれだけ楽しい、うれしいことなのかなと、つらい思いが表裏一体となって出てきます」
悲しみが改めてこみ上げてくる中でも、逃走している間は追われるつらさがあったろうと、実さんは平田被告を思いやる。
「追われ続けるというのは、それなりにつがいものがあるのではないか。遺族の悲しさ、悔しさと単純な比較はできないが、辛い思いをしていきたということでは通じるものがあるのではないか」
遺族の思いは平田被告に届いたのだろうか。そう検察官から問われた実さんは、短くこう答えた。
「届いたものと、期待します」
平田被告は小さく頷いた。
被害者参加人は、被害者として適正だと思う刑罰を述べることができるが、実さんは「私からは量刑は申し上げない。裁判所の判断にお任せする」としたうえで、遺族としてこれまでの裁判で感じていた違和感を語った。
「被害者である假谷清志の視点では、最初に探りを入れられ、尾行され、拉致され、麻酔をかけられ、監禁が継続し、途中でナルコ(半覚醒状態での尋問)をされ、さらに麻酔を投与され、結果的に死に至った。十数人の手によって、死に至らしめられた。ところが、これまでの裁判は、加害者の視点で行われていた。役割は細分化され、『私は車の運転だけです』『私は押し込んだだけ』『私は引き込んだだけ』というふうに分断されている。そこは遺族から見て不満です」
今度は、裁判長が小さくうなずいた。
さらに実さんは続ける。
「被告人の話を聞くと、オウムの体質、という表現がよく出てきました。上司の命令には従い、何が行われるのかは聞かずにやる、犯罪の計画は知るよしもない、と。しかし、(信者たちは教団に)白紙委任状を出しているようなもの。教団幹部や教祖とは連帯保証人(の関係にある)と受け止めざるをえない。責任は一緒。同じ罪を犯している。計画を知っているとか知らないとかいう問題ではなく、オウムが(一体となって)おこした事件。そこが、他の事件とは異なるものだと思う。そのうえで、適正な処罰をお願いしたいと思います」
法廷では、平田被告の主張についての論評は避けた。ただ、拉致事件とは事前に知らなかった、という主張については、納得していない。記者会見でこの点を問われると、共犯者の証言や平田被告自身の捜査段階の供述などを挙げ、「解せない」と首をかしげた。この点についても、平田被告は今後も、遺族の疑問には誠実に答えていく義務があるだろう。
遺族は、教団とも裁判上の和解に応じている。しかし教団からは、遺族に対する謝罪はまったくない、という。実さんは言う。
「メディアのカメラの前で謝ったつもりかもしれませんが、彼らは被害者を見ていません」
この日の法廷には、アレフと名前を変更した教団の荒木浩幹部が傍聴に来ていた。閉廷後、報道関係者からの問いかけには「広報を通して下さい」と言うだけで、何も答えなかった。