英チャールズ国王の戴冠式イベントを振り返る 壮麗だが、旧式感免れず
(「メディア展望」(5月号)掲載の筆者記事に補足しました。)
5月6日(土曜)、チャールズ英国王の戴冠式が行われた。式自体は1日で終わったが、翌7日(日曜)は「ビッグランチ」と称してコミュニティの中で一緒に昼食を食べるイベントの日で、夕方にはウィンザー城でコンサート、8日(月曜)は祝日となり、「ビッグ・ボランティア」の日となった。この日、国民それぞれがボランティア活動をやろうと呼びかけた。
ビッグランチ
「ビッグランチ」というのは、いわゆる「ストリートパーティー」のことである。
これは、王室関係の特別な日に良く行われるイベント(戴冠式、統治何十周年記念など)で、通り(ストリート)での開催だ。車の往来を止め、通りの一部に長テーブルを出し、持ち寄った食事を共に食する。
必ずしも近所同士や友人同士での集まりでなくてもよい。特設サイトが用意されるので、これをもとに自宅近くでストリートパーティーがないかどうかを確認して、食べ物、飲み物、椅子などを持参して集う。音楽バンドが準備されていることもあり、子供から大人まで、食べたり飲んだり歌ったりの楽しい時となる。できれば、ちょっとした扮装をしていることが望ましい。「パーティーだ!楽しもうぜ」ということである。
筆者も、近場のストリートパーティーを見つけ、全く知らない人同士のランチに参加してみた。わっと集まって、それほどお金をかけずにパーティーをする習慣は気軽で楽しいものだ。
戴冠式のこれまで
戴冠式のこれまでを少し振り返ってみよう。
英国では数世紀にわたって君主の戴冠式が行われてきた。キリスト教の聖職者が君主に聖油を施し、冠を授ける宗教的儀式の原型が出来たのは7―8世紀頃と言われている(英下院報告書「戴冠式―歴史と儀式」)。「教会の影響力を拡大させることと、王位継承権をめぐる論争を鎮める」という2つの役割があったという(歴史家ロイ・ストロング著『戴冠式』、未訳)。
前回エリザベス女王(2022年9月死去)の戴冠式は1953年6月2日、その父ジョージ6世(在位1936―1952年)の戴冠式は1937年5月12日だった。いずれも公共放送BBCが同時中継した。
戴冠式の流れ
式は以下の流れで進んでいくのが常だ。
まず、当日朝、君主夫妻は馬車で公邸バッキンガム宮殿から、式が行われるウェストミンスター寺院に向かう。馬車はロンドン中心街をぐるりと回りながら寺院に到着するが、往復のルートは事前に発表されるので、沿道の両側には君主夫妻の姿を一目見ようと群衆が立ち並ぶ。
寺院内では英国教会の最上位の聖職者であるカンタベリー大主教が儀式をつかさどる。君主は大主教の前で法と慣習を守りながら英国を統治することを誓った後、戴冠式用の椅子に座り、大主教が君主の頭、胸、両手に聖油を注ぐ。君主は絹の法衣を身にまとい、宝剣、笏、杖、指輪、手袋などを授けられる。大主教が君主に王冠を被せ、君主は椅子に戻って儀式参加者から祝辞を受ける。
1937年の戴冠式
メディア報道はどうだったのか。
1937年のジョージ6世の戴冠式当時、英BBCは公共放送として発足して10年、民間放送局時代から数えると15年が経っていた。テレビは前年1936年に始まり、視聴者はまだ少数だったが、ラジオは多くの人が聞き、日常生活の中に溶け込んでいた。
ラジオを通して君主が国民とつながる機会を持つことは珍しくなかった。
1932年12月25日、英語で海外に向けて放送する「BBCエンパイアー・サービス」の初放送日、ジョージ5世(在位1910―36年1月)がマイクの前に座って国民に話しかけている。この時から毎年、この日に君主が国民に送る「クリスマス・メッセージ」が恒例となった。次の国王はエドワード8世(在位1936年1月―12月)だったが、1年未満で米国人女性と結婚するために退位したため、戴冠式は行われなかった。
ジョージ6世の戴冠式は、テレビ放送を開始して間もないBBCにとって大掛かりな現場中継を実施する機会となった。6台あったテレビカメラのうち3台を使い、移動型調整室をワゴン車に設置した。当時テレビは高額で、かつロンドン周辺でのみ視聴が可能であったため、視聴者は1万人ほどだったと言われている。
バッキンガム宮殿に戻ってくるジョージ6世と妻エリザベス王妃が乗った馬車に焦点を合わせていたカメラが一時停止に陥ったため、通り過ぎる馬車から見える国王の顔をかろうじて一瞬映し出すことができただけだった。この時のテレビ映像はほとんど残されていないが、テレビ中継が失敗した時のためにBBCはフィルムを使って通りの様子を撮影していたため、当時の映像が保存されている。
ほとんどの国民は戴冠式の様子をラジオで聞いた。ウェストミンスター寺院や沿道各地などに陣取った複数の記者がイベントの進展を事細かに伝え、国民は映像がなくても戴冠式の様子を頭の中に浮かべることができた。
1953年の戴冠式
1953年のエリザベス女王の戴冠式はテレビ需要を大きく拡大させた。BBCは20台以上のカメラを数か所に配置し、国民はテレビを所有する家に集まって視聴するか、パブや映画館などで見た。英国内では1500万人から2000万人が視聴したと言われている(BBC調べ)。戴冠式は海外でも放送され、米国では録画のハイライト版を8500万人が視聴し、ドイツでは戴冠式前後の11時間、放送が続いた(BBC)。
「God Save the King」
去る4月9日の復活祭の日、筆者はかつてヘンリー8世(在位1509―1547年)が住んでいたハンプトン・コート宮殿内の教会で礼拝に参加した。
儀式の最後、参加者全員が英国歌を歌う。以前は「God Save the Queen」と歌われていた部分が「God Save the King」に変わっていた。筆者にとって、この言葉で歌うのはこの日が初めてだった。筆者は王室支持派ではないが、涙がこぼれた。これまでの君主の歴史の重みやジョージ6世の在位時代に第2次世界大戦が勃発し、「お国(君主)のために」多くの人が戦死したことなどが想起されたからだ。
新国王の戴冠式は新たな時代の始まりだ。
筆者はいくばくかの期待感を持ちながら、戴冠式を見るために家族と一緒にテレビの前に座った。ロンドン市内の大型スクリーンで見るよりも、BBCの報道ぶりをしっかりと記憶したかった。
さて、現在 王室批判が出やすくなった?
チャールズ国王は「スリム化した王室」を目指すと公言してきた。これを反映したのか、今回の戴冠式では宮殿から寺院までの行き来の距離が大きく短縮された。これまでは行きと帰りでは別のルートだったが、今回は同じルートである。
今回の一連のイベントで最後がボランティアの日になるなど、「質素に」「奉仕」「国民を一つにまとめる」という新王室の意欲が感じられた。7日の夜にウィンザー城で行われたコンサートも質が高く、ロック音楽主体でありながら、幅広い層に楽しめる内容になっていた。
しかし、すべてが終わってみると、不安定要素もあった。
まず、戴冠式当日、沿道近くで「私たち選んだ王様ではない」などのプラカードを持った反王室派のデモがあったことだ。
複数の世論調査を見ると、チャールズ国王の支持率はエリザベス女王ほどには高くはないが、即位前に出ていた「政治問題に口出しをするのではないか」という懸念は今のところ、現実になっていない。
ただ、多くの国民に愛され、70年もの治世を維持したエリザベス女王の死去で、王室は批判がしやすい存在になったように見えるのである。女王は若い時に「英国のために一生を捧げる」と宣言しており、一種の「聖女」的存在だった。
チャールズ国王は即位まもない頃のあるイベントで群衆から卵を投げつけられている。
また、4月に入って左派系高級紙「ガーディアン」が王室が莫大な資産を持ち、ビジネス活動で巨額を得ていることを指摘する連載記事を掲載した。
一方、国王の次男に当たるヘンリー王子は昨年、王室の内情を米テレビで暴露し、今年は父チャールズや兄ウィリアム皇太子との確執を赤裸々にしたためた本「スペア」を出して英国内ではひんしゅくを買った。国王が何かしたわけではないが、王室に対する尊敬の念を減じさせる要因になっている。
式は荘厳だったが・・・
戴冠式を日本でテレビで見た方も多いのではないだろうか。
バッキンガム宮殿からウェストミンスター寺院までの行き帰りや式自体は絢爛豪華で、荘厳でもあり、目が離せないスペクタクルだったと思う。
儀式の中の最も聖なる部分は衝立の中で行なわれたが、そのほかはクローズアップも駆使して、テレビカメラが様々な角度から様子を伝えた。
「見なければ・見えなければよかった」と思う部分もあった。チャールズ国王のクローズアップで、さまざまな誓約文書を読みあげたり、賛同する答えを言ったりなどのとき、「書いた文章を読み上げる」ことになったからだ。
長時間の戴冠式のすべてを覚えるのは大変だし、自分がどこで何を言うかも覚えるのは不可能かもしれない。
しかし、70年も自分の即位・戴冠を待っている人物が「練習無し」で式に臨んだ印象を与えてしまったように思う。
例えば、誓約の言葉を言うとき、口では言葉を発しながら、目は書かれた文章の単語を追っていた。目の動きがテレビカメラを通じて、映ってしまうのだ。
ここ!という瞬間には、読まずに、自信をもって言葉を発してもよかったのではないか。
そして、最後まで見てしまうと、「ここまでするべきなのか」という疑問もつきまとった。
インターネットの時代になっても、またAIの時代になっても、儀式の意義はなくならないと思う。それでも、「ここまでやる必要があるのか」という思いは消えなかった。中世のしきたりや衣装にのっとった儀式にする必要があるのか。
筆者の考えでは、「ない」である。
もしかしたら、チャールズ国王の息子ウィリアムの時代あるいは孫の時代になったら、もっと簡素化されるのではないだろうか。あまりにも一般の国民の感覚とかけ離れている儀式である。
王室は続くか
それでも、王室を持つ英国の成り立ちがすぐに変わるとは思えない。
過去数世紀を振り返ると、王室がなかった時代は17世紀のクロムウェル護国卿が統治した時代ぐらいしかない。「王室がない」という感覚を国民は持っていないのである。
ただ、英連邦の中でも英国の国王を元首としない方向に向かいそうな国が声を上げている。ジャマイカ、オーストラリア、カナダなどで動きがあるかもしれない。
共和制の議論再燃か 豪、徐々に英王室離れ―英国王戴冠式(時事通信記事)
チャールズ国王の戴冠式、カナダでも祝賀行事 植民地支配にも言及(朝日新聞)
筆者は、王室制度は国の中に社会的階級を作る仕組みだと思う。世襲制の王室制度がある限り、頂点には常に王室が存在する。しかし、英国民が「違う制度にしたい」と思わない限り、王室制度は続くだろう。