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韓国との大きな違いを生んだ森保ジャパンの戦術的優位性。完勝の背景にあった論理的要因は?【韓国戦分析】

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

両チームの招集メンバーの違い

 2011年8月11日以来、ヨーロッパ組を含めたA代表としては約10年ぶりの対決となった注目の日韓戦は、日本が3-0で完勝。これで両国の通算対戦成績は、日本の14勝23分け40敗となった。

 ただし、10年前と違って、今回はコロナ禍のなかで行われた異例の試合だったこともあり、必ずしもお互いが同じ条件下で戦えたわけではなかったのも事実。この試合を客観的に掘り下げて両国の力量を測ろうとすれば、そういったバックグラウンドも加味する必要はあるだろう。

 その最たる例が、両監督が招集したメンバーになる。

 まず、日本の森保監督は、同時期に東京五輪を目指すU-24代表の強化試合が開催されるため、年齢という要素を軸にして2チームを編成する必要があった。

 そこで、堂安律や久保建英など普段はA代表でもプレーする選手をU-24代表に選出し(堂安は負傷により参加辞退)、年齢的にはU-24代表の対象である冨安健洋だけを、引き続きA代表のメンバーに残した。

 同時に、コロナ禍の影響で日本に呼び寄せられないヨーロッパ組もいたため、Jリーグでプレーする選手を多く選出することでそれをカバー。それでも、主軸を含めた9人のヨーロッパ組を招集できたことは大きなアドバンテージと言えた。

 ちなみに、今回代表に初選出された選手は国内組の8人。当初選ばれていた原川力と坂元達裕が負傷により辞退となったため、代わりに稲垣祥と脇坂泰斗が初めて代表に招集されている。

 一方、韓国のパウロ・ベント監督も、ヨーロッパ組と中国でプレーする選手の招集を諦めざるを得ない状況にあった。しかも、メンバー発表時にはリストにあったトッテナムのソン・フンミンとライプツィヒのファン・ヒチャンが、その後の負傷や所属クラブの事情により、参加を辞退するというアクシデントも起きた。

 結局、招集できたヨーロッパ組は、東京五輪世代のイ・ガンイン(バレンシア)と、同年代でA代表に初招集されたチョン・ウヨン(フライブルク)の2人のみ。その他は国内でプレーする選手と、Jリーグなどアジア地域のクラブに所属する選手だけでメンバーを編成するという選択を強いられた。

主力不在の韓国は奇策が不発に

 そんななかで迎えた日韓戦。試合前日に公言した通り、森保監督はベストメンバーを編成した。

 GKに権田修一、DFは代表デビューの山根視来に、吉田麻也、冨安、佐々木翔。ダブルボランチには遠藤航と守田英正、2列目は伊東純也、鎌田大地、南野拓実、そして1トップに大迫勇也をチョイス。

 両サイドバックとボランチの守田以外は、昨年10月と11月にヨーロッパ組だけでチームを編成した4試合の主軸を中心とした、通常のレギュラー組9人が名を連ねた。

 採用したシステムは基本の4-2-3-1。昨年10月のカメルーン戦の後半と、11月のパナマ戦ではオプションの3-4-2-1を使った森保監督だったが、「ベストメンバー」としてスタメンを編成した今回の試合では、再び基本布陣を採用した。

 さらに、今回は日韓戦後のU-24代表のアルゼンチン戦2試合で、横内昭展代行監督がこれまで使い続けてきた3バックではなく、昨年12月の合宿で取り入れ始めた4-2-3-1を採用。両チームの監督を兼任する森保監督が、ようやくU-24代表でもA代表と同じ布陣と戦術を用いる決断を下した格好だ。

 U-24代表のメンバーの何人かが、後々A代表に加わることを想定した場合、兼任監督にもかかわらず、2チームが異なる布陣および戦術を用いることには大きな矛盾があった。それが、就任約2年半を経て、ようやく解消されたことになる。

 これにより、仮にU-24代表の基本布陣が3-4-2-1のままだとしても、今後のA代表の強化にとってはプラスに作用することは間違いないだろう。

 対する韓国は、これまで主に4-3-3と4-2-3-1を採用してきたなか、この試合では4-2-3-1を選択。当初サイドでの起用が予想されたイ・ガンイン(20番)を1トップに配置した。

 試合後、パウロ・ベント監督はこの起用について「イ・ガンインのゼロトップは我々の戦略だった。日本のDFラインを引き寄せて、そこでスペースを作ってから後ろの選手が入っていくかたち、あるいは(1トップ下の)ナム・テヒも使いたいと考えていた」とコメント。

 しかし、結果的にこの戦略が奏功することなく、韓国側にとっての敗因のひとつとなってしまったことは否めなかった。

前半に違いを生んだ戦術的ポイント

 試合は、序盤から両チームの守備の狙いが見て取れるかたちで展開した。ただし、その精度の違いが、結果的に両者の間に大きな差を生むことになった。特に前半、日本が韓国にほとんどチャンスを与えなかった主な要因は、そこにあった。

 まず韓国は、日本の前線からのプレスを回避すべく、主にボランチの一角を務める5番(チョン・ウヨン)がCBの間、もしくは左サイドのスペースに落ちてビルドアップを試みた。それにより、確かに日本のファースト・ディフェンダーとなる大迫と鎌田は、韓国のCBにプレスをかけることはできなかった。

 しかし、それができないと分かった日本は、CBの前で大迫と鎌田が的確なポジションをとり、もうひとりのボランチである16番(ウォン・ドゥジェ)へのパスコースを限定。同時に、両サイドバックへのパスコースは南野と伊東がそれぞれ遮断した。

 それにより、「ボールの出口」を失った韓国のCBは、GKにバックパスするか、ラフなミドルパスを前線やサイドアタッカーに入れるという、苦しい選択を迫られた。

 あるいは、韓国が最終ラインから苦し紛れに16番にボールを預けた場合、そこに狙いを定めていた遠藤、または守田が待っていたとばかりにプレッシング。日本は理想的なかたちで、高い位置からの守備を成立させることができていた。

 結局、前半に韓国が記録したシュートはわずかに1本。前半38分に9番(ナ・サンホ)が狙ったシュートも、韓国自らが作ったチャンスではなく、日本のパスミスによって生まれたシーンだった。

 一方の韓国も、日本のビルドアップ時には1トップのイ・ガンイン(20番)とトップ下のナム・テヒ(10番)の2人が、吉田と冨安の前方に並行しながらポジションをとり、日本のダブルボランチへのパスコースを封鎖にかかった。その時の守備陣形は、4-4-2だ。

 ただ、狙いは日本と似ていたものの、問題は前線2人の立ち位置と、韓国のダブルボランチがそれに連動していなかったことだった。

 とりわけイ・ガンインとナム・テヒの守備には粗さが目立ち、適切なポジションをとれないばかりか、アングルを作るためにボールを持ち出す吉田と冨安の動きについていけず、まったくフィルターの役割を果たすことができなかった。

 それにより、日本は容易に「ボールの出口」を見つけ出すことができた。CBからボランチにボールを預け、ボランチを起点に素早く敵陣に進入。あるいは、CBから直接前線の左右中央へパスを配給し、縦に速い攻撃を仕掛けた。

 この試合の前半に日本が敵陣で記録した縦パスが7本だったのに対し、自陣から敵陣に入れた縦パスは、自陣センターサークル付近も含めると実に18本を記録(失敗も含む)。その内訳は、CBの吉田と冨安が5本ずつ、ボランチの遠藤が5本、守田が2本で、残りは守備に戻っていた南野が出したミスパス1本。

 この数字だけを見ても、日本のほとんどの攻撃がCBとボランチを起点に展開されていたことが分かる。

 同時に、相手に前から来られた時に「ボールの出口」を見つけたチームと、それを見つけられないチームの違いが、如実に表れた前半だったとも言える。

 これまで森保ジャパンの課題としてクローズアップされていた部分が、この試合では韓国にあてはまったことになる。そのような状況で展開した前半で、日本が2点をリードし、対する韓国がほぼ何もできなかったことは、極めて論理的だった。

後半の日本は堅守速攻スタイルに変貌

 とはいえ、後半も前半と同じ展開が続いたわけではなかった。日本が鎌田に代えて江坂を投入したのに対し、リズムを変えたい韓国のパウロ・ベント監督が、ハーフタイムに3枚の交代カードを切ったことが、流れを変えるきっかけとなった。

 ゼロトップ起用が不発に終わったイ・ガンインに代えて、1トップに本職CFの18番(イ・ジョンヒョプ)を投入したことで韓国の前線に深みが生まれ、日本がコンパクトさを失ったことがひとつ。

 また、その影響で前半からハードワークを続けた日本のダブルボランチが前に出てプレスをかけるシーンが減ったことも、リズムが変わる要因となった。

 ただし、2点差を考えれば選手が試合終盤までのエネルギーを計算するのは当然なので、それ自体に問題はないだろう。いずれにしても、後半立ち上がり10分を過ぎた頃からしばらく韓国がペースを握り、日本陣内で試合が展開した。

 そんななか、韓国が60分に佐々木のミスパスからチャンスをつかみ、11番(イ・ドンジュン)がシュート。これは枠を外れて日本が救われることになったが、その3分前にも韓国が右サイドの11番のクロスから5番がシュートを放っていたため、66分に森保監督は疲れの見える佐々木に代え、小川を左SBに起用した。

 それ以降は、前掛かりの韓国に対して日本が自陣で守備ブロックを形成し、ボールを奪った後にカウンターを仕掛けるという展開が続いた。その象徴的シーンが、吉田が自陣ボックス内で蹴ったロングパス1本から途中出場の浅野が抜け出し、GKと1対1という決定機を迎えた81分の攻撃だった。

 実際、後半に日本が記録した敵陣での縦パスが5本に、自陣から敵陣への縦パスも8本に減少。前半は4人で17本を記録した吉田、冨安、遠藤、守田は、それぞれ1本のみ。後半最も多い自陣から敵陣への縦パスを記録したのは、終盤15分に3本を記録した右SBの山根だった。

 後半の日本は自陣中央でボールをつなぐより、リードを保つべく安全第一のプレーを選択するように戦い方が変化したことが、この数字からも見て取れる。

 ちなみに、日本が前半に記録したクロスは12本あったが、後半は9本に減少。そのうち5本は、後半開始10分以内のものだった。つまり、後半の日本ははっきりと堅守速攻型のサッカーに切り替わっていたのである。

 もっとも、堅守速攻型になった主な要因は、森保監督の指示によるものではなく、これまで同様、選手の判断によるものだろう。

 事実、試合後の記者会見で、この日の守備について、スカウンティングの成果なのか、選手の判断によるものなのかを問われた森保監督は、相手の情報は与えたがピッチで判断して対応したのは選手たちだったという主旨のコメントをしている。

 また、それは右SB山根のプレーぶりを見ても分かる。

 この日の山根は、異なる戦術の代表において、所属の川崎でのプレーをほぼ再現。得点シーンなど良い面を多く見せた一方で、前半9分、後半40分のシーンに象徴されるように、守備面で危険な部分も露呈した。この現象も、森保監督が選手の判断に重きを置いている証左のひとつと言える。

 そういう意味でも、この韓国戦の勝利はピッチ上の選手の力量の差がそのまま表れた結果だと見ていいだろう。逆に、日本と同等もしくは力量が上回る相手と対戦した時には、昨年11月のメキシコ戦のような結果を招くことも覚悟しなければならない。

 久しぶりの日韓戦でほぼパーフェクトな勝利を収めた事実とは別に、そのことは頭の片隅に覚えておくべきだと思われる。

(集英社 Web Sportiva 3月28日掲載・加筆訂正)

サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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