Armビジネスを理解していない企業がArm売却をもくろむ
Armをソフトバンクが手放す、という報道が8月2日も日本経済新聞に報道されたが、ソフトバンクのバックにいるファンドや金融業者がソフトバンクの再建計画の一環で、Armの売却を検討している。「Arm再建」という見出しが躍っていたが、そうではない。「ソフトバンク再建」が主目的なのだ。Armの売却先がこともあろうに顧客の一つのNvidiaである。これにはまさか、と驚くと同時に、Armのビジネスが金融関係者には理解されていないのだなと思った。
2016年にソフトバンクがArmを320億ドル(3兆3500億円)で買収したが、その回収にはまだ至っていない。このため、金融関係者はArmを売却せよと言っている。しかし、ArmのIPビジネスは倍々ゲームといえるほどのスピードで売上額を伸ばしてきた。7~8年前は500億円程度の企業だったのが、今は2000億円の企業に成長した。この勢いを止めなければ数年で8000億円にも1兆円にもなる。Armは常に新しいテクノロジーを生み出してきたからだ。
ArmのCPUコアを使ってシステムLSI(SoC)を設計した富士通は、新型スーパーコンピュータ富岳に搭載し、世界一の性能および消費電力に対する性能を得た。最近のデータセンター向けにHPC(High Performance Computing)サーバーを開発・出荷しているSupermicro社のシステムLSIにもArmコアが集積されている。これまでのモバイル応用やIoTなどの市場から、クルマ市場やデータセンターなどハイエンドコンピューティング市場へと進出しているのだ。
しかも単なるCPUコアだけではない。GPU(グラフィックプロセッサ)コアMaliやAI(機械学習やディープラーニング)などのEthosコアも設計・供給している。しかも、セキュリティを重視するTrustZone技術や、高性能化と低消費電力化を両立させるbig.LITTLEアーキテクチャなども開発してきている。このbig.LITTLEアーキテクチャの考え方は、Intelの最新プロセッサにも採用されている。ただし、特許問題があるので、正確にbig.LITTLEかどうかは言及できない。要は、消費電力の小さなCPUコア1と、性能の高いCPUコア2を1チップに集積し、フレキシブルにCPUコア1と2を切り替えていくという考え方だ。
要は常に新しいテクノロジーをどんどん開発してくるのがArmである。それをファンドではなく、Nvidiaという一つの顧客が買おう、というのだ。Armの成長の要因は、単なる技術開発だけではなく、どのような顧客(半導体メーカー)にもIPコアを提供するという中立性であり、さらにソフトウエアを開発してくれる仲間が1000社近くもいるというエコシステムだ。
NvidiaはArmにとって顧客の一つである。もしNvidiaという半導体メーカーが買ってしまえば、当然Armの中立性は失われる。今は、ArmのIPコアはQualcommやMediaTek、華為の子会社のHiSilicon、Broadcom、ルネサスエレクトロニクス、STMicroelectronicsなど枚挙にいとまがないほど多くの顧客(半導体メーカー)がArmのIPコアを使っている。それが顧客の1社が支配するとなると、ライバル企業はNvidiaから買うことになる。となると、Armはこれまでのような売上額は期待できなくなる。
ではArmに代わるコアはあるのか。もちろんある。カリフォルニア大学バークレイ校のDavid Patterson教授らが開発したRISC-V(リスクファイブと読む)だ。もともと、CPUだけではなくGPUやDSP、ISPなどのヘテロプロセッサを多数集積する場合の命令セットを統一するアーキテクチャ(ISA:Instruction Set Architecture)のために開発されたCPUコアだが、大学が中心となって開発されたため、使用料は無料というライセンスフリーのCPUコアだ。
これまでのArmのCPUコアでは、ソフトウエアを開発してくれるパートナーは1000社近くもいるため、Armはソフトを自社開発する必要がなく、IP開発に専念できた。逆にパートナーにとってもArmは常に新しいCPUコアを開発してくれるため、安心してArmアーキテクチャのソフト開発に専念できた。ある日突然、IPを開発しない、というメーカーもこれまであったから、安心してパートナーがソフトウエアを開発することが難しかった。Armなら安心してビジネスを継続できた。この安心感がなくなるのだ。ソフトハウスにとってはArmからRISC-Vにシフトすることは十分ありうる。だから売り上げは期待できなくなる。
実は、Armコアを10年ほど前にAppleが買おうとしたという噂がシリコンバレーで流れた。直後に、シリコンバレーで取材した時は、買収するAppleはArmのビジネスを理解していない、という声でもちきりだった。もちろん、この噂話は立ち消えになったが、今回もNvidiaという顧客の一つがArmを買うことになれば、これまでのArmの成長は神話になってしまう。今回も、Armのビジネスを理解していない企業がNvidiaに買わせようとした可能性は十分ある。
今回、ソフトバンクの1兆3000億円を超す営業損失を穴埋めする上で重要なことは、スタートアップ企業としての無駄使いが多かったWeWorkへの孫正義氏の暴走を食い止められなかった点にある。孫氏はWeWorkへの投資については大いに反省しているが、企業として、孫氏の暴走を食い止める仕組み作りが真っ先に検討されなければ、同様なことがこれからも起きる恐れは消えない。
(2020/8/3)