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バニラエアだけじゃない。AKB、AV強要、セクハラ。物言う人をバッシングする風潮で私たちが失うもの

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

■ バニラエアだけではない、物言う人を叩く傾向

昨日、「バニラエア問題、声をあげた人へのバッシングはもうやめて。生きづらさを助長していませんか?」という記事を書きました。

バニラエアに搭乗しようとした障害者の方への配慮を欠く対応について、異議を唱えた障害者の方がバッシングに晒された、という問題です。この問題では会社が謝罪し、政府も対策を打つことになったというのに、バッシングが鳴りやまない、とても残念に思います。

しかし、考えてみると、不正なことを正そうとし、権利を主張する人たちへのバッシングが、最近日本の至る所に広がっているように思います。

その特徴として、私が書いたことがこちら

こうしたバッシングの根底にあるものはなんだろう?と考えることがあります。

日本では、小さい時から校則などのルールが厳しく、小さい子が教えられることは「きまりをまもる」「迷惑をかけない」ということです。校則には不合理で過度に自由を制約するものも多く、それでもみんなは従うしかない、共同体のルール、学校のルールを守らない者は、「きまりをまもらない」「周囲に迷惑をかける」者として批判の対象となります。

そして、会社に入っても、共同体の中でも、独自のルールがあり、それに従わないと生きていくことが難しいとされています。

しかし、日本ではあまりにこうした「きまりをまもる」「迷惑をかけない」という価値観が染みつき、人々が同一的な行動をすることが期待されているため、それが逆に社会を窮屈なものにしています。

このことについて、最近女性たちを取り巻く事象から、みていきたいと思います。

■ 暗黙の掟破り。セクハラヤジ問題の塩村あやか議員、詩織さん

まず思い浮かぶのは、2014年に「セクハラヤジ事件」の被害にあった塩村あやか都議(当時)です。

都議会で少子化、子育て対策を質問したところ、「産めないのか?」などというヤジを受けた、ということで、いまだに都議会は真相究明すらできていません。

この深刻な問題について、塩村都議が真相究明等を求めたところ、強いバッシングにあったのです。

いつもバッシングの手口は似ているのですが、塩村議員の訴えについてどう受け止めるのか、ということではなく、論点をそらし、過去の言動などを掘り起こしてそれを理由に人格批判のようなバッシングを繰り広げ、問題を覆い隠してしまおう、というやり方です。

それは、塩村議員の行動が掟破りだったからではないでしょうか。都議会では女性に対するセクハラヤジは横行し、男性のヤジ天国だったのに、それまでは明るみに出なかったわけです。都議会で女性はヤジを受けてもおとなしくしている、という暗黙のルールに風穴を開けてしまった、だからこそ、塩村議員がバッシングをされたのではないかと私は思います。

2015年。バッシングを振り返る塩村さんの講演。
2015年。バッシングを振り返る塩村さんの講演。

一般社会の狭い範囲でも似たことは横行しており、セクハラを職場で訴えた女性は、むしろトラブルメーカーとして職場にいづらい環境となっていくという例は枚挙にいとまがありません。

政権に近いジャーナリストを訴えた詩織さんという方へのバッシングも見過ごせません。

これまで、性犯罪の被害者の多くが、被害にあったことを知られたくないため、顔を隠して裁判に臨んできました。刑事告訴や、警察審査会申立ての記者会見というタイミングで性暴力の被害者の方が顔出しで訴える、しかも、政権に近い強い立場にある人間を批判する、ということはあまり見たことがありません。

事件から何年も経過して、沈黙を破って昔のことを語る、という方は少しずつ増えてきましたが、係争中に、公然と顔を出して、しかも時の政権に近い人を性犯罪で告発する、ということは近年では少なくともなかったと思います。

これは、これまでの前例を破るような勇気のある行動でした。だから一方では絶賛されたのですが、他方で聞くに堪えない、何の正当性もない非難を受けることになりました。これは、一面では彼女が告発した相手に近い、政権にシンパシーのある人たちが快く思わなかったということもあるはずですが、「性犯罪の被害者は表に出て加害者を批判したりせず、おとなしく涙にくれているものだ」という社会の思い込みとは全く異なる行動だったからではないでしょうか。

このようなバッシングはセカンドレイプともいえるもので、被害者に沈黙を強いて、泣き寝入りに追い込む効果があり、到底許されるものではありません。

こうしたことはいずれも、「ジェンダー秩序」「ジェンダー規範」と言われますが、性別に基づく差別や思い込みをもとに、暗黙のルールがつくられ、事実上これに従った役割を演じることが女性たちに求められてきたのに対し、これを逸脱した人々に周囲(おもに男社会)が不安を覚え、バッシングしてしまおう、ということになりやすいのです。

同じことは、(震災後の)避難所で炊き出しに加わらない女性、葬儀の際に皿洗い・炊事をせずに親戚の男性陣の談笑に加わる女性、等にもあてはまり、女性だけが炊き出しや皿洗い・炊事をするものだという性差別的な慣習が横行しているなかで発生します。

この場合は、炊事を黙ってこなしている女性たちからも強く非難されることになるのです。

そもそも、女性だけが不合理な役割を担うこと自体がおかしい、というところに考えが至らず、逸脱した女性だけが白い眼で見られる結果となるのです。これでは女性たちは声をあげにくいまま、不合理な役割を担わされ、抑圧されたままでしょう。

■ AKB48の恋愛禁止ルール

さらに、これが職場のルールとなるとさらに厳しいまなざしが注がれます。

6月17日に沖縄県で開催された「第9回AKB48選抜総選挙」。20位にランクインした須藤凜々花さん(20)が、壇上スピーチで、突然“結婚宣言”をしてしまったことで関係者をはじめ、芸能界は騒然となりました。AKB48の恋愛禁止ルールに反するからです。

なかでも、元メンバーは厳しく非難する動画をアップ、罵倒するメッセージを見せつけるなど、掟破りに対し、制裁と言える行動に出ました。芸能界のなかでも、彼女の行動を非難する言動が続々と登場。

2016年には、裁判所でも、恋愛は幸福追求権として、恋愛禁止ルール違反による違約金請求は認められないという判断が出されていますが、そんな世間の常識や人権感覚等全く通用しないかのようです。

特に、ルールを自ら守って耐えてきたメンバーにはこうした後出しじゃんけんのような態度は許しがたかったのでしょう。

元メンバーはじめ、芸能人の多くが「迷惑をかけた」ことを理由に彼女を批判しました。

唯一、真逆なことを言われたのは、大御所のビートたけしさんくらいでしょうか。

AKBって、20歳過ぎてまで付き合っちゃいけないなんて人権問題じゃないの? 今は17歳以下は淫行だけど、18歳からは付き合っていいんだから。それなのに「彼氏作っちゃダメ」だって、よく国がほっとくよな。それで今度は「結婚する」って言ったら怒られたりしてるけど、ばかばかしい話だよ。

出典:http://news.livedoor.com/article/detail/13257749/

この問題で私は、2013年の峯岸みなみさんの騒動の際に、

AKB48 恋愛禁止の掟って、それこそ人権侵害ではないか。

と投稿していますが、賛否両論あり、

人権とルールは違う、人権は人権、仕事は仕事、ルールには従うべき

という若い人の意見があったのをよく覚えています。

しかし、仕事ならどんな人権侵害でも仕方がないのか、いったん締結した契約には従うほかないのか、ということを突き詰めた結果が、ブラック企業、ブラックバイト、そしてAV出演強要被害なのです。

■ AV出演強要被害

AV出演強要被害は、モデルにならないか、タレントにならないか、と言われ、芸能界を夢見て事務所に行き、契約書にサインしたが最後、契約書に「タレント」としか書いてなくても、「仕事なんだからやらないと」「仕事を拒否したら違約金がかかる」「周囲の大人全員に迷惑がかかるんだよ」「親にも請求する」などと言われ、出演強要させられたというものです。

2015年に裁判所が、「(AVでの)性行為は、本人の意に反して従事させることが許されない性質の業務」であるとして、出演を拒絶した女性に対するプロダクション側の2400万円以上の違約金請求を退けてようやく、「断っても大丈夫」ということが確認されたのです。それまでは断ってよいという認識がないまま、

「仕事は仕事」「契約で決めたルールには従わないといけない」「そうしないと他人に迷惑がかかる」

ということで、若い女性たちがAV出演を強要されてきました。

これは、どんな人権侵害を含む決まりでも、仕事は仕事だからやらなくてはいけない、きまりは守らなくてはならない、迷惑をかけてはならない、という日本を取り巻く風潮のなかで、起こるべくして起こったことと言わざるを得ません。

不当な人権侵害でもNOと言えないのは、ブラック企業やブラックバイトでも同様。自分を責めて、うつ病になり、命を絶つ人もいるのです。仕事だからと言って人権侵害をしてはならない、嫌なことは嫌だ、NOと言いやすい社会をつくる必要があります。

憲法は私人間にも適用され、人権を侵害する契約は、憲法違反、そして民法90条(公序良俗)に反するとして無効になります。

だから、人権と仕事は別物、という理解は正しくないのです。仕事だからと言って、決まりがあるからと言って、人権を侵害することは許されません。仕事だから人権侵害でも耐えるしかない、というのは間違いです。

■ 小さい時からNOと言えない環境

学校現場ではどうでしょうか。校則など、さまざまな管理があり、中には合理性を欠くものもあるのではないでしょうか。

象徴的な問題として、危険性が指摘され続けている組体操に子どもが出ることは未だに義務教育の一環として続けられているという問題がありますし、部活での非合理的な特訓などもなかなか是正されません。このヤフー個人でも内田良先生が問題提起を続けていらっしゃいますね。

そして、子どもを育てる親のほうでも、子どもを育てる母親がPTA活動を断りたくても断れないという状況が最近明るみに出ていますね。

よく、AV出演強要問題について、被害者が「どうして断れなかったの?」と聞かれることがあるようです。

しかし、考えてみてほしいのです。

小さい時から、母はPTAを断れず、学校では組体操など不合理で危険と思われる行為を強要され、「決まりを守る」「迷惑をかけない」ことが大事だと躾けられ、「仕事と人権は違う」と言われて育った女性が、どうして出演強要だけ断ることができるのでしょうか。

■ 被害を訴えた人への自己責任論・バッシング

AV出演強要問題については政府が対策を取り始めましたが、いまだに、被害について話すと、

「そんなことで騙される方が悪い」という自己責任論が強く主張されています。

先週(6月24日)、NHKニュース深読みでAV出演強要問題がとりあげられた際に私は出席したのですが、一般の視聴者からも「自己責任」という声が多数寄せられました。これに対し、参加されていた森達也監督は、以下のように言われていました。

本当にその通りだと思いますので、紹介させていただきます。

要するに、自分たちは我慢してるのにとか、要するに同調圧力ですよ。

自分たちと同じことをやらない、多数派とね。 一部のやつはこういうことやったというときに、自己責任ということばを使います。

だからこれね、学校のいじめと、極めて近い。だから自己責任ということばは、そうしたとても下劣な、あえて言います、下劣な、そうした心情をオブラートして言い換えた語彙だと思いますね。 自己責任っていうことばにすると、正当性があるかのように思われてしまうけれども、とても僕は、下劣な感情の回路がそこに表れてるっていう気がします。

先日、バニラエアの問題で私は書きました。

権利について声をあげる人というのは、多かれ少なかれ、既存秩序、既存のルールに挑戦し、風穴をあけようとする人たちです。

しかし、「きまりをまもる」ように躾けられた人々にとってはざわざわすることかもしれません。

不合理な決まりでもみんなで守り、自分を殺して耐えてるのに、「それはおかしい」と言い出す人間がいる、後出しジャンケンのようで許せない、それが認められたら、自分が耐えてきたことは何だったのか、ということになり、足を引っ張る行動に出る。

それが、昨今のバッシングに通底しているように思えます。きっとバッシングしている人たち自身生きづらさを抱えてきたのでしょう。

しかし、声をあげたらバッシングされる、不合理でもただ黙々とルールに従うしかないんだよ、ということで、未来に希望のある社会を若い人たちにバトンタッチできるのでしょうか。

■ ルールにチャレンジした人がいるから今がある。

旧態依然とした慣習やルールなどに疑問をもった誰かが何かをいうと、バッシングされる社会、そのことは確実に、若い世代を委縮させ、「物を言わないでおこう」というマインドにさせているのではないかと心配です。

最近、日本でもいろんな法整備が進んできたため、法律の不備に異を唱えて戦う人をあまり間近で目撃することはなくなってきました。

そのため何か文句があるとクレーマーのように受け止められるようになってしまっているのかもしれません。

しかし、今は当たり前となっていることも、数十年前の人たちががんばって異議を唱えて勝ち取ってきたことです。

例えば、戦後しばらく、女性は結婚したら退職、または30歳で退職という制度をとっている会社はたくさんありました。

それほどひどくなくても女性の定年は男性より早くする会社は横行していました。

男女雇用機会均等法が制定する前の時代です。

就職する際に「定年の規定を理解して了承したうえで入社します」という書類に署名して就職するので、みんな自分でOKしたことだし、ということで諦めていました。

ところが、ある女性は、会社に入るとき、そのルールに同意して入社したものの、入社してからやっぱりおかしい、男女差別だ、男性はもっと長く勤められるのに女性だけ早く定年というのは憲法14条の平等原則に違反する、と考え、定年後も働くことを求めて、会社を裁判で訴えました。

最終的にこうした訴訟がいくつも提訴され、裁判所で、女子若年定年制は差別的であり、若年定年制に関する契約は無効と判断され、その後なくなりました(こちらの6ページ目に関連する裁判例が掲載されています。このほかにも女性たちが会社の差別的ルールを是正してきたこれだけの裁判がありますので是非知ってほしいです)。

きっと当時も、「自分で知ってて入社したのに今更なんだ?」「みんな我慢しているのに」「会社に迷惑をかけて」と言われたのかもしれません。

しかし、あの時、彼女たちが諦めていたら今ごろどうなっていたでしょうか。

AV強要問題についても2400万円も請求された女性が「私は出演しません」と勇気を出して断ったからこそ、今のように問題が認識されることになりました。

現状に我慢して泣き寝入りするのでなく、現状を変えることを要求した人、権利の実現を求める人の行為は、現状に我慢している人にはわがままに思えるかもしれませんが、将来世代がとても楽になれるかもしれないし、周囲の人も実は楽になるかもしれない。

多くの人が生きづらさを抱える今の社会ですが、それを前向きに変えていくために、みんなで未来にむけてよりよいルール作りを風通し良く議論し、提案していけるようになるといいと思います。

そのためにも、「物言う人」にバッシングをして、未来をよくする芽を摘むのではなく、声を上げる人の声を尊重し、みんなで一緒に考え、応援し、支えあう社会にしていくことが大切ではないでしょうか。

若い人たちには、是非、思ったことはどんどん声をあげて言ってほしい、そして、そのための環境を大人たちが整えていく必要があります。

(本文は、多くの若い人に読んでほしいと思い、説明的になりましたことをお断りします)。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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