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増え続けるこども食堂 過去最大の年間1,400ヶ所増で全国3,718ヶ所に

湯浅誠社会活動家・東京大学特任教授
こども食堂で食事をほおばる女の子(むすびえ提供)

こども食堂3,718ヶ所に

こども食堂が増え続けている。

この一年間だけで約1,400ヶ所増えて、全国に少なくとも3,718ヶ所

秋田県以外の46都道府県すべてで増加した。一年で8割増

6小学校に1ヶ所の割合だ。

私が理事長を務めるNPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえが、全国のこども食堂地域ネットワーク等と合同で行った調査で判明した(調査結果の詳細は、むすびえホームページを参照)。

こども食堂は過去最高のペースで増え続け、全国に少なくとも3,718ヶ所に(むすびえ提供。以下同じ)
こども食堂は過去最高のペースで増え続け、全国に少なくとも3,718ヶ所に(むすびえ提供。以下同じ)

3年間で12倍増

こども食堂は、子どもが一人でも行ける無料または低額の食堂。

公民館等で月に1〜2回程度、「どなたでもどうぞ」と地域のみんなに開かれているところが多い。

子ども専用食堂ではない。地域の交流拠点だ

3〜4年前、「○○市にこども食堂がオープン」といった報道が増えた。

まだ「オープン」がニュースになった。

あのころとは、状況は変わった。

もうオープンはニュースにはならない。

報道量は、当時に比べれば減っているかもしれない。

でも、増え続けている。

しかもペースは上がっている

その前2年間は年平均900ヶ所増えていた。

直近1年間だけで1,400ヶ所増えた。

3年間で12倍になった。

子ども、その親、そして地域の人たちが集う地域交流拠点・多世代交流拠点として、こども食堂は機能している
子ども、その親、そして地域の人たちが集う地域交流拠点・多世代交流拠点として、こども食堂は機能している

インフラになり始めた

こども食堂はインフラになり始めたと言っていい。

インフラ=あたりまえにあるもの

まだ物珍しく感じる人は少なくないだろう。

行ったことのある人は少ないだろう。

現状は、まだ「特別感」がある。

特別な人がやっている特別な場所というイメージ。

しかしだんだんと、そうではなくなってきている。

3,700ヶ所という数は、全国に4,000ヶ所ある児童館とほぼ同じ。

児童館くらいの身近さに、こども食堂がなり始めている。

歩いていける範囲に

こども食堂が「貧困家庭の子どもを集めて、ごはんを食べさせるところ」だとしたら、こども食堂の究極の目的はゼロになることだ。

子どもの貧困が解決すれば、自分たちは不要になるからだ。

しかし地域の交流拠点でもあるとしたら、話は違ってくる。

そこに人が暮らしているかぎり、あり続けたほうがよいもの

だから私たちは、こども食堂のような居場所、家庭でも学校でもない第三の居場所(サード・プレイス)は、すべての子がアクセスできることが望ましいと考えている。

家庭の経済状態に関係なく、親でも先生でもない大人たちと出会う場所。

それを通じて、多様な価値観を身につけ、人生の選択肢を広げていく場所。

だから、目指すは小学校と同じ数、2万だ。

やはり歩いていける範囲になければ、「すべての子がアクセスできる」とは言えないから(注1)。

大量に並ぶ靴。こども食堂は義務で行く場所ではなく、行きたくて行く場所。すべての子が、望むならここに靴を並べられるようにしたい
大量に並ぶ靴。こども食堂は義務で行く場所ではなく、行きたくて行く場所。すべての子が、望むならここに靴を並べられるようにしたい

「充足率」を見る

そのため今回、私たちは「充足率」を算定した。

充足率とは、県下の小学校数に対するこども食堂数の比率

たとえば東京都には1,332の小学校がある。対してこども食堂は488ヶ所。充足率は36.6%。

3小学校区に1つはあることになる。

数だけをみれば、488ヶ所ある東京都は全国でもっともこども食堂が多い都道府県だが、実は子どもにとってもっとアクセスしやすい県がある。

沖縄県と滋賀県だ。

沖縄県の充足率は60.5%、滋賀県は52.5%と、ともに50%を超える。

2小学校区に1つ以上。

がんばれば、歩いていけるかもしれない(注2)。

都道府県別充足率グラフ。右端と中央で突出しているのが、沖縄県と滋賀県
都道府県別充足率グラフ。右端と中央で突出しているのが、沖縄県と滋賀県
箇所数・充足率の都道府県別の数値表。いずれも、より詳しい解説は、前述のむすびえホームページを参照されたい
箇所数・充足率の都道府県別の数値表。いずれも、より詳しい解説は、前述のむすびえホームページを参照されたい

子どもの選択肢を広げる

なぜ歩いていけるところに、そうした場所が必要なのか。

一つは、子どもの選択肢を広げる、子どもの育ちの応援

私自身の話になるが、私の兄は障害を持っている。

その兄のために、我が家にはボランティアの人たちが出入りしていた。

小さい頃の私も、よく遊んでもらった。

初めて大学生に会ったのもこのときだ。名前を有賀さんと言った。

「新しい生き物」に出会った感じだった。

大人でもないし、子どもでもない。

それからしばらく、私にとって大学生とは「有賀さんみたいな人たち」で、大学とは「有賀さんみたいな人が行っているところ」だった。

世の中には「大学など自分とは無縁」と思って生きている子がいる。

別に大学に行かなくても、立派な大人にはなれる。

が、大学に行くかどうかの選択が「自分にはない」と感じることは、問題だ。

貧困とは、選択肢が狭まることだから。

その選択肢を広げるのに必要なのは、学習支援だったり、キャリア教育だったり、親の経済力だったり、大学教育の無償化だったりするだろう。

同時に「生身の大学生に出会う」ことが決定的な意味を持つこともある。

それは、出会う場があって、可能になる

誰と会ったかは忘れても、「他人はこわくない」「見知らぬ人もやさしい」という体感を積み上げることが、チャレンジをおそれない大人を育てる
誰と会ったかは忘れても、「他人はこわくない」「見知らぬ人もやさしい」という体感を積み上げることが、チャレンジをおそれない大人を育てる

親もホッとできる場所

二つめに、親たち

いくら我が子がかわいくても、365日ずっと一緒にいれば、疲れるときもある

特に今の子育ては、母親の孤立感が深い。

核家族だし、夫の帰りは遅いし。

子連れだと制約も多く、社会とのつながりも薄くなったりする。

でも愚痴を言うと「あんた、自分の子どもを愛してないの?」と聞かれそうで、言えない。

世の中にはすごい子育ての話が氾濫しているが、自分はそんなに完璧にはできない。

そういうふうにして、気持ち的に追いつめられていく母親は少なくない。

サザエさんは、フネさんが一緒に台所に立ってくれて、タラちゃんはカツオやワカメが遊んでくれて、それでみんな「いいね」と言うのに、家族以外を頼ろうとすると「甘えている」と言われてしまう。あんな三世代同居は、もうほとんどいないのに。

そういう中で、こども食堂は親がホッとできる場所になっている。

小さい子を他の大人があやしてくれるので、自分のペースで食事ができる。

他の親とおしゃべりができる。

子どもが食べ物をこぼしても、誰も文句を言わない。

より年上の人たちが自身の子育て経験を教えてくれる。

「こども食堂で、最後まで帰りたがらないのは、お母さんたち」とは、よく聞く「こども食堂あるある」だ。

いろんな人が見ててくれる、関わってくれる。子どもに関してちょっと気になっていたことを思い出したときに聞ける。「相談」だとかまえてしまうが、「食事しながらのおしゃべり」だったら話せる。「一緒に食卓を囲む」ことの相談機能は、なかなかのものだ
いろんな人が見ててくれる、関わってくれる。子どもに関してちょっと気になっていたことを思い出したときに聞ける。「相談」だとかまえてしまうが、「食事しながらのおしゃべり」だったら話せる。「一緒に食卓を囲む」ことの相談機能は、なかなかのものだ

こども食堂は、家庭力を上げる

ある母親は私に「ここがあるから、ふだんのおかずをもう一品増やせる」と言っていた。

仕事に休息が必要なように、子育てにも休息は必要だ。

どれだけ仕事が好きでも。どれだけ子どもが愛おしくても。

休みがあって、仕事をがんばれる。

休みがあって、子育てをがんばれる。

エンドレスにがんばりつづけるのが「仕事をする」ということではない、と唱えたのが働き方改革だった。

それにならえば、エンドレスにがんばりつづけるのが「子育てする」ということではない。

だから心配しなくて大丈夫。

こども食堂は家庭力を下げない。家庭力を上げる

一人暮らしは、さびしい?

そして、高齢者

一人暮らし世帯が、過去最高の35%となった。

もう日本の世帯の多数派は「おひとりさま」だ。

しかし「だから、さびしい」とはかぎらない。

ドイツは、一人暮らし世帯が40%だ

でも「病気のときや一人ではできない日常生活上の作業が必要な時に、友人に頼れる」とした人が45%。対して日本は18.5%。

他方「家族以外に頼れる人がいない」はドイツ5.8%、日本16.1%。

(ISSP 国際比較調査「社会的ネットワークと社会的資源 2017」より)

「家族だけ」となれば、家族と同居していない一人暮らし=さびしいかもしれない。

でも家族以外のつきあいもあれば、一人暮らし=さびしくなるとはかぎらない

「誰かがいるから、がんばれる」ってある

人生100年と言われるようになった。

末長く健康に暮らしたいし、またそうしなければいけないようなプレッシャーも、じんわりと感じるようになった。

体操したり、散歩したり、ジムに通ったり、自分のために健康づくりにいそしめる人は、それでいい。

が、すべての人が「自分のためにがんばれる」わけではない。

自分一人のためには食事をつくる気もおきない、という人もたくさんいる。

誰かがいるから、がんばれる、と。

私がこども食堂で会った調理ボランティアの最高年齢は91歳の女性だった。

彼女は「自分が元気をもらってる」と話していた。

誰かのため、が自分の張りあいとなり、元気になり、よくしゃべり、おいしく食べられる。

それも立派な健康づくりだ。

こども食堂は高齢者パワーが「炸裂」する場所でもある。大阪市西淀川区の「朝ごはんやさん」で食事をつくる地域の高齢女性たち
こども食堂は高齢者パワーが「炸裂」する場所でもある。大阪市西淀川区の「朝ごはんやさん」で食事をつくる地域の高齢女性たち

数の問題ではないが、数「も」重要

多世代が交流するこども食堂は、このように多様な人たちにメリットがある。

子どもと同じで、こども食堂も「産めよ増やせよ」と言って、増やすものではない。

「数」だけが重要なわけではない。

が、多くの人にメリットのあるものは、たくさんあってほしい。

しかも、やりたい人は全国にたくさんいる。

そうでなければ、たった一年で1,400ヶ所も増えない。

どこかからお金が出てくるわけではないボランティア活動なのに。(注3)

だから、大事なことは「やりたい人が『やりたい』と言える空気をつくる」こと。

そのためには、どこにでもあるよね、あるのがふつうだよね、という感じにしたい。

そのためには数「も」必要だ。

まだまだだが、ここまでは来た

去年調べたときには、充足率が5%未満の県が10あった。

今年は、それがなくなって、47都道府県すべてが5%以上になった。

充足率が10%を超えている県は、36ある。

まだまだだ。

まだまだだが、ここまでは来た

より多くの子ども、そして大人たちが、アクセスできる、その風景をあたりまえにしたい。

住宅街を歩いていて、ふと見ると、こんな看板を見つける、そんな風景が日常になるといい。「子どもの駆け込み110番」のプレートを掲げるお宅くらい、たくさん。
住宅街を歩いていて、ふと見ると、こんな看板を見つける、そんな風景が日常になるといい。「子どもの駆け込み110番」のプレートを掲げるお宅くらい、たくさん。

(注1)地方では自明のことだが、近年は小学校の統廃合が進んで、かなり広域からスクールバスで通う小学校が増えている。そのような地域では、小学校区=歩いていける範囲とは到底言えない現状があるのだが、現段階ではとりあえず、象徴的な意味合いも含め「すべての子がアクセスできる=全小学校区に」とする。

(注2)「充足率」60%(271小学校に対して164のこども食堂)の沖縄県も、小学校区ごとにあるかないかを精査すると、33%(89小学校区)まで落ちる。全国で同様の「落とし込み作業(プロット化)」を行う必要がある。この点についても、詳細はむすびえホームページを参照。

(注3)内閣府「国及び地方公共団体による「子供の居場所づくり」を支援する施策調べについて(平成30年7月25日)」によれば「子供の居場所づくり」を支援する施策を実施している地方自治体は219(うち都道府県が30)。「子供の居場所づくり」には学習支援教室なども含まれており、この調査のみから、こども食堂に補助金等を出している自治体数はわからないが、全国を訪れて聞いている実感から言うと、規模の大きな自治体を中心に1割程度(100自治体程度)ではないかと感じている。

社会活動家・東京大学特任教授

1969年東京都生まれ。日本の貧困問題に携わる。1990年代よりホームレス支援等に従事し、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の他、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長など。著書に『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社)、『子どもが増えた! 人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂氏との共著、光文社新書)、『反貧困』(岩波新書、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)など多数。

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