ラグビーに「誤審」はなく、ジャパンは「クリーン」じゃないからクリーンだった【ラグビー雑記帳】
2015年秋。日本列島は空前のラグビーブームに見舞われている。楕円球界の話題が「Yahoo! トピックス」に複数上がることも多く、4年に1度のワールドカップで3勝を挙げた日本代表の選手は、ほぼ連日テレビに出ている。
ブームとは、「ある物が一時的に盛んになること」に過ぎない。競技の本質が1人ひとりの心にしみこむことで、このブームは文化に昇華する。
無差別級の格闘技であり、手を使えるフットボール。そんなラグビーという競技の本質は、「多様性」とか「許容」と表せそうだ。
古今東西、ものの本質を言葉にすると、どうしても小難しくなる。ただ、この「多様性」とか「許容」を考えさせる出来事があった。「誤審」問題である。
ラグビーに誤審はない?
統括団体のワールドラグビーが10月19日、いまもイングランドでおこなわれているワールドカップの準々決勝で「誤審」があったと認めたのだ。
当該のシーンは18日、トゥイッケナムスタジアムでのスコットランド代表対オーストラリア代表戦にあった。
後半38分。自陣でのラインアウトを乱したスコットランド代表が、球を前に落とすノックオンの反則を犯す(「A」)。直後、オフサイドの位置(ボールよりも前方)にいたスコットランド代表のジョン・ウェルシュがそのこぼれ球を抑え込んだことで(「B」)、「ノックオンオフサイド」という重い反則が課せられたのだ。対するオーストラリア代表は直後のペナルティーゴールを成功させ、35―34と逆転勝利を挙げた。
しかし、直後に南アフリカのクレイグ・ジュベールレフリーが走ってグラウンドを出たことも手伝ってか、スコットランド代表陣営が猛抗議する。ワールドラグビーは、複数の角度の映像で確認することとなった。
結局、「A」でスコットランド代表がノックオンしたボールを「B」の前にオーストラリア代表の選手が触っていたと明らかになり、ウェルシュはオフサイドではないと実証された。正確な判定は「スコットランド代表のノックオン」「オーストラリアボールからのスクラムでゲーム再開」だったと報告された。
なお、トライやファウルに関わる判定と違うため、試合中の映像確認(テレビマッチオフィシャル)は認められておらず、ジュベールレフリーが見たままの判定で試合を進めたことは問題視されなかった、とのことだ。
ここで考えられるのが、「許容」とか「多様性」といったラグビーの本質である。「ラグビー憲章」の「競技規則の原則」の項目に、こんな1節がある。
「競技規則は、ゲームがラグビーの原則に従ってプレーされるのを保証するように適用されなくてはならない。レフリーとタッチジャッジはこれを、公平さと一貫性と繊細さと、そして最高のレベルにおいては、管理を通して達成できる。その返礼として、マッチオフィシャルの権威を尊重することはコーチ、キャプテン、そしてプレーヤーの責任である」
要は、「皆、ルールは守りましょう」「レフリーとタッチジャッジはこのルールに踏まえ、正確に試合を進めてくれるはずです」「だから、選手もコーチも判定に文句は言っちゃダメです」というわけだ。
レフリーは神ではない。人間である以上、いつでも完璧な判定ができるとは限らない。それでも試合が始まれば、選手もコーチもファンもレフリーを「神」として扱うべき…。ラグビー憲章ではそんな哲学が明文化されている。よって、「レフリーのルールの解釈方法によって試合展開が変わりうる多様性」と「選手がその多様性を受け止めて真剣勝負を挑む許容の文化」が生まれているのである。
はっきり言う。今回の「誤審」の発表は、かようなラグビーの本質を逸脱している。
「騒ぎを最小限に止めるためだったのでは」というまなざしも向けられており、それには「許容」の温かみを感じる。ただ、あのワンプレーは「スコットランド代表がラインアウトを確保していれば起こらなかった複雑な事象」に過ぎない。ビデオで見返せば「誤審」に映るだろうが、「レフリーに文句を言っちゃダメ」というラグビー憲章にならえば、そもそも誤審という概念が存在しえないはずだ。
さらに追及すれば、こんなことも言えてしまう。
80分間を通し、オーストラリア代表はスクラムを故意に崩す「コラプシング」の反則を取られていた。
塊が崩壊した瞬間、ジュベールレフリーは、その場の力関係や駆け引きなどによって押し込まれたオーストラリア代表に笛を鳴らしだのだろう。
しかし、スクラムの中身はスクラムを組んだ当人同士にしかわからないとされる。加えて、スコットランド代表のスクラムの特徴を、予選プールで対戦した日本代表の控えフッカーである湯原裕希は「うまいですよ。押して、押して、最後に(レフリーにわからないように)ガンと落としてくる」と観ていた。
厳密に「誤審」を探し始めれば、あの試合を含めたすべてのラグビーが成り立たなくなるのだ。
ジャパン戦士、かく語る
むろん、レフリーへの批判的視座は失われてはなるまい。スコットランド代表陣営の抗議も、ラグビーが本質を遵守したうえで発展するには必要な声ではあった。
田中史朗。南半球最高峰であるスーパーラグビーの日本人選手第1号のこの人は、かねて国内のレフリーに苦言を呈している。
語気が激しいだけに、その見解のすべてを正しいと書けばかなり反論されるだろう。とはいえ、神ではないレフリーを「神」たらしめるには、レフリー自身の能力開発とそれを可能にする環境は必要だ。もし、「ミスタークロスゲーム」という隠語が成立するレフリーがいたとしたら、こちらもラグビー憲章の一節から逸脱している。
「ボールを獲得しようとして相手に強烈な身体的圧力をかけていると見られることにはまったく問題はないが、それは故意に、あるいは悪意を持って怪我を引き起こそうとする行為とは全く別なものである。これらはプレーヤーとレフリーが追求していかなければならない境界線であり、自制と規律を融合させ、個人及び集団でそれを明確に線引きする能力が求められ、行動の規範はその能力に依存しているのである」
言い換えれば、こうだ。
「選手とレフリーが協力し合って、極端なズルを減らしていきましょう」
日本にブームとしてでなく文化としてラグビーを根付かせたい田中は、ワールドカップで勝つ前からずっと声を枯らしてきた。
試合直後に「あの方、ルールをわかってはらなかった」と具体例を挙げて説明したり。本拠地のロッカールーム出入り口付近で「僕らは人生をかけてラグビーをやっている。お金のことを言うのはあれですけど、勝敗によって家族の生活が変わる契約をしている選手もいる。命を賭けろとは言わないけど、真剣にやって欲しい。協会もレフリーにちゃんとしたお金を払って欲しい」と切実に叫んだり。持論を明かした直後に「…なんか、すみません」と取材者に謝ったり。
――そういうこと言うのって、怖くないですか。
間髪入れず、即答。
「怖いというか、日本ラグビーのためなので」
もっとも国内最高峰であるトップリーグが終盤戦に差し掛かると、田中は「もう、ここまで来てしまったら今季は従うしかない」と覚悟を決める。ラグビーはレフリーを「神」とすることで成り立つものだという、「許容」と「多様性」の本質を肌で知っているからだ。正しさを証明するには勝つしかないという現実もまた。
その思いを補完するのが、堀江翔太だ。田中の所属するパナソニックでキャプテンを務めている。こちらもスーパーラグビー経験者で、本質的には田中と同意見の持ち主ではある。ただ、優勝を決めるゲームが近づくと、決まってこの手の話をする。
「レフリーへの文句は、まず、俺に言え!」
ラグビーの法則上、キャプテンには「神」であるレフリーとコミュニケーションを取ってゲームを進めるという権利が与えられている。「ラグビー憲章」に則り、清濁を併せ飲み、この人たちは2014年度のトップリーグを制した。
「クリーン」の背景
スコットランド代表が抗議を出した18日、イングランドのラグビー専門紙「ラグビー・ペーパー」が、堀江や田中らがプレーした日本代表に勲章を与える。反則数などを基に独自に集計したフェアプレー度の調査で、ジャパンを「最もクリーンで規律の取れたチーム」と評価したのだ。大会期間中から、当事者のリーチ マイケルキャプテンは言っていた。
「レフリーといいコミュニケーションが取れた」
ジャパンのペナルティー数は、20チーム中最少の「31」。背景の規律遵守は確かだ。ただこの数字は、あくまで「各試合を担当したレフリーが反則と判定した回数」である。日本代表は、神ではないレフリーを「神」たらしめることに成功した。その結果、クリーンと謳われたのだ。
10月3日、ミルトンキーンズ・スタジアムmkでの予選プールB第3戦。
同ランキングで最下位となったサモア代表を26―5で制したこの日、くしくもレフリーは、あの、ジュベール氏だった。
リーチキャプテンは試合前から「アタックに有利な笛を吹く。ボールキープして、ジャパンに規律があることをアピールしたい」と意志を表明していた。実際、概ねその通りに試合を運び、「変にアピールしない。流れのなかで『いまのはどうですか?』と聞いてみたり。いいコミュニケーションが取れた」と振り返ったのだ。反則数はジャパンが「4」でサモア代表が「19」。敗者からは2人の一時退場処分者が出た。
もうひとつリーチキャプテンが「レフリーといいコミュニケーションが取れた」と思い返すのは、9月19日、過去優勝2回の南アフリカ代表を34-32で破ったブライトンコミュニティースタジアムでの初戦である。
ジャパンは今夏、このゲームを担当するジェローム・ガルセスレフリーを国内での事前合宿に招いている。大一番の「神」になる人の見解を、事前に確認できたのである。
一部に根付く「道徳心」とやらに当てはめれば、「クリーン」どころか「グレー」だろう。しかし、勝負を制するには試合当日にクリーンと認められなければならず、そのために「グレー」かもしれぬ手段を取ることは、実にクリーンなのだ。
無差別級の格闘技であり、手を使えるフットボールのラグビーは、「多様性」と「許容」のスポーツ。だからこそ一瞬の現象や数字では推測できない隠し味があり、観れば観るほど面白いのである。その意味では、エースプレーヤーのキックングフォームや代表選手の国籍などは、あくまで話題のきっかけに過ぎない。そんなことは、テレビ局をはしごしている「時の人」たちが誰よりもわかっているだろう。