間もなく幕を開けるエルコンドルパサーの凱旋門賞から続く新たな物語とは?
エルコンドルパサーとの出合い
今週末の東京新聞杯(GⅢ)にエントリーしているトーラスジェミニ(牡6歳、美浦・小桧山悟厩舎)。同馬が走る度、熱い視線を送る男がいる。
堀内岳志。1973年10月、大阪で生まれた彼は、以前、トーラスジェミニの担当をしていた。
現在48歳の彼が馬の世界に飛び込んだのは1995年。日大理工学部の4年生の時だった。
「学歴よりキャリアが大切な世界だと思い、大学を中退して牧場に就職しました」
そもそも一般家庭で育った彼が競馬と触れたのは親の転勤が元になっていた。中学3年の時の引っ越し先が茨城で、同級生にいわゆる“トレセンの子(親が美浦トレセン内の厩舎で勤務)”が多くいた。
「それで競馬を見るようになると、すぐに魅了されました」
オグリキャップのラストランに感動。「この世界で働きたい」と本格的に考えるようになった。
こうして内藤牧場で働き始めた。そんな99年、研修でフランスへ行く機会を得た。すると……。
「一緒に行った人の中に『息子が凱旋門賞(GⅠ)に挑戦するエルコンドルパサーを曳く』という人がいました」
当時、二ノ宮敬宇厩舎で調教助手をしていた佐々木幸二の父親だった。
「結果はモンジューに差されたけど、蛯名(正義)さんが果敢に逃げる姿が格好良くて、いつの日か自分も凱旋門賞で馬を曳きたいと思いました」
夢にまでみた凱旋門賞に挑戦
2001年、競馬学校に合格。02年から美浦トレセンで働き出すと、翌03年、思わぬ出会いに恵まれた。
「叔母の職場に偶然、二ノ宮先生のお兄さんが働いていました。その縁もあって自分も二ノ宮厩舎に転厩して働く事になりました」
5年後の08年の事だった。
「担当した馬が勝てないまま終わってしまい、代わりに入って来たのが少し気の難しい牡馬でした」
ステイゴールド産駒のこの馬は、新馬を勝つと2戦目の東京スポーツ杯2歳S(GⅢ)も連勝。翌年は皐月賞(GⅠ)8着、ダービー(GⅠ)4着、菊花賞(GⅠ)12着とクラシック3戦全てに参戦。古馬となった10年には宝塚記念(GⅠ)で1番人気のブエナビスタを楽々と差し切って優勝。ナカヤマフェスタだった。
「その後、エルコンドルパサーと同じ蛯名さんで凱旋門賞に挑戦する事になりました。まさか本当に凱旋門賞のパドックを曳ける日が来るなんて、それだけで感動しました」
毎年10月の第1日曜日に施行される凱旋門賞。この年はエルコンドルパサーが走った年と同じ10月3日だった。
「結果もエルコンドルパサーと同じ2着でした。でも、僅かにアタマ差だったので、後から悔しさがこみ上げました」
師匠の突然の引退で動き出した新たな物語
16年に落馬し、大腿骨骨折の大怪我を負った。その際、見舞いに来た二ノ宮の口から思わぬ言葉が告げられた。
「定年を待たずに先生が辞めると聞き、驚きました」
新しい職場として「いかにもチームワークが良さそう」と感じた小桧山悟厩舎を訪ねた。調教師と面識はなかったが、1週間、毎日通い、採ってもらう事になった。
「二ノ宮先生は真面目でストイックだったので大変そうでしたけど、小桧山先生は良い意味で調教師業を楽しんでいると思えました」
調教師も面白そうと思うようになると、その心中を察したか、小桧山から「全面的に応援するから挑戦してみたら」と言われた。
「それで本格的に調教師を目指す決意をして、二ノ宮先生には『次は僕が先生をフランスへ連れて行きます!!』と伝えました」
こうして早速受験。しかし、現実の壁に跳ね返された。
「全く歯が立ちませんでした」
心が折れそうになったが、一緒に勉強していた厩舎の先輩・小手川準が合格した事で、奮起した。
「翌年は純粋に机に向かっている時間だけで月200時間を目標に、ストップウォッチで計りながら勉強をしました」
それでも一次で不合格になったが「JRAの職員に『惜しかった』」と言われ、手応えは掴めた。すると、3回目の受験となった20年、ついに難関を突破した。
「小桧山先生は『自分が引退するタイミング(24年)で厩舎を引き継がせようと思い、ウォーキングマシーンまで導入したのに、合格が早過ぎるよ』と独特の言い回しで喜んでくれました。また、二ノ宮先生に伝えると『フランスが少し近付いたね』と言ってくださいました」
この当時、担当していたのがトーラスジェミニだった。
「最初は気ムラだったしひ弱でもあった」と評するように、1つ勝つのに4戦、2つ目を制すのに8戦を要した。その後、骨折もあって出世が遅れたが古馬になると徐々に開花。20年の夏には巴賞を、同年暮れにはディセンバーSをそれぞれ快勝。年末の大一番、有馬記念(GⅠ)にエントリーするまでになった。
「結局、有馬記念は除外になりました。その後は僕が技術調教師になった事もあり、自分の手を離れました」
それでも出走する度に気にして応援していると、昨年は安田記念(GⅠ)で5着に善戦、直後の七夕賞(GⅢ)でついに重賞初制覇を飾った。
「次は自分が調教師として、トーラスジェミニで出来なかった有馬記念出走をかなえたい」と言う堀内だが、勝ちたいレースに関しては次のように語る。
「勝ちたいのはダービー。そして、ナカヤマフェスタで惜敗した凱旋門賞です」
堀内はこの3月に厩舎を開業する。それは奇しくも蛯名正義調教師と同期での船出となる。エルコンドルパサーの健闘を見て、ナカヤマフェスタで惜敗をした世界最高峰のレースを巡る新たなドラマが間もなく、幕を明ける。
(文中敬称略、写真提供=平松さとし)