【富士宮市】『羽衣区』の地名の由来?木花開耶姫命が衣をかけた『衣掛松記念碑』を訪ねた!
富士宮市西町の羽衣踏切南に『衣掛松記念碑』があります。
『衣掛松記念碑』は富士山本宮浅間大社の御神体、また富士宮市のゆるキャラでもお馴染みの木花開耶姫命がお産の時に衣をかけたという、また甲斐の戦国武将で名高い武田信玄が芝川内房と薩捶峠に布陣し、駿河の今川氏との戦いで戦塵に塗れた衣服を近くの泉で洗い、この地にあった松にかけたという伝説が残っています。
衣掛松は残念ながら明治時代に枯れてしまったそうで、現在は記念碑と鳥居と小さな祠が祀られていました。
この地域は『羽衣区』と呼ばれていて、衣掛松記念碑がある踏切の名称も羽衣踏切です。
それらの事を考えると、木花開耶姫命がお産の時に衣をかけたという説が有力なのかもしれません。
そしたら、羽衣区は『火遠理命・火照命誕生の地』という事になりますね。
また、この衣掛松記念碑より徒歩で5分もしない場所に、『蛙石』が祀られています。この蛙石は昔、空から青い光を放ちながら落ちてきたといわれています。
近くの井戸の水を蛙石の前の容器に入れ、それをイボにつけるとイボが取れるとも、目の病の神様が治るとも言われて、地元の方々に親しまれているそう。
空からやって来たといわれる蛙石。そんなの都市伝説で現実にはありえないと思いますが、富士山の噴石と有力説があり、空からやって来たという話は信憑性があるようです。
人情溢れる西町商店街での買い物ついでに、ちょこっと立ち寄っただけでしたが、街歩きで発見することの多さに驚きながら、それらを守り共に歩む羽衣区の方々の地域愛をひしひしと感じました。
衣掛松記念碑:西町羽衣踏切南側
蛙石:衣掛松記念碑から踏切を越えてまっすぐ道なり