「女子高生の肝臓を食べた」猟奇事件を助長する“全体主義”の歪んだ内幕
北朝鮮当局は最近、国内で発生した犯罪事例を集めたドキュメンタリー風の思想教育映像を国民に見せるなど、防犯対策に力を入れている。
同国はかつて、極めて犯罪の少ない国として認識されていた。日々の食べ物、生活必需品、住宅に至るまで国が配給で無料または非常に安価に提供し、現金を持つ必要がなかったから、というのが一般的な答えだ。
しかし、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」のころから犯罪が急増したと言われている。配給が途絶え、食い詰めた人々が生きるために罪を犯す構図だ。これは今に至るまで続く、北朝鮮の犯罪の典型的な傾向だが、経済状況とは関係づけられない事件も起きている。
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1990年4月から半年間、肝硬変で死が迫っていた男性が「この方法で完治できる」とする占い師の忠告に従い、女子高校生ら12人を殺害し、肝臓を取り出して食べたというものだった。犯人の名を取って「パク・ミョンシク事件」と言われるこの事件だが、犯人は同年秋、13回目の犯行を行おうとしたところで警戒中の住民に取り押さえられ、保安署(警察署、現在の安全部)に突き出された。そして、翌年10月に銃殺刑に処された。
その後も、犯罪の少ない社会が戻ることはなかった。
2013年9月、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の会寧(フェリョン)で、わずか4日間に子ども3人が相次いで殺害される事件が発生した。犠牲者はいずれも4歳で、体からは血液が抜かれていた。「死者を生き返らせるためのまじないのために犠牲になった」など、様々な噂が飛び交ったが、これまで犯人が捕まったとの情報はない。
同じ会寧では2018年、些細な問題で口論となった末に、相手を斧で殴り殺したとして21歳の女性が逮捕、処刑された。市民の間では、苦難の行軍のころに些細な喧嘩が殺人事件に発展する事例が多かったことが挙げられ、「国が生活苦に対する対策を取らないからだ」「体制への怒りが変な方向に噴出している」などと、国に対する批判と同時に社会不安が巻き起こる事態を招いた。
だが、社会が落ち着いていた時代にも、凶悪事件は起きていた。
首都・平壌に隣接する平安南道(ピョンアンナムド)平城(ピョンソン)に住んでいたキム・ヨンセという30代後半の男は1970年代後半から数年間にわたり、若い女性を「回り道」に案内すると誘い出して、石灰鉱山に連れ出し、性暴力をはたらき殺害していた。遺体は、自身が勤める公衆浴場のボイラーで焼却し、一部の犠牲者の体を食べていた。「美しすぎて殺すにはもったいない」と生きて帰らせた女性が、被害を証言したことで事件が明るみに出て、犯人は絞首刑となった。
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この「回り道」は、平城から平壌に密入国ならぬ密入市するためのルートを指す。在住者 以外が平壌に入るためには、通常の旅行証(国内用パスポート)に加え、特別な許可証が必要だったが、許可なしに平壌に入るための道が複数存在したのだ。
平壌周辺以外でも、道・市・郡の境界線上に設置された哨所(検問所)を避けて通るための回り道がどこにでも存在する。
国民から移動の自由を奪い、経済的に困窮させ、人々のリテラシーを育む客観的な報道と言論の自由を禁じる。世界的に見て最悪の部類に属するレベルの全体主義を行っているのが北朝鮮だが、そんな歪んだ体制が助長した犯罪も少なくないのだ。